第11話 左甚五郎

「そ、そうかい。で、でかしたな」

 久々に聞く豊三の張りのある声だった。

「誰か来てるのかい」

 佐吉はお美代に訊いた。

甚五郎じんごろうさんが来てんだよ。お酒持って来てれたりして、何かいいことあったそうよ」

 お美代は、持って来た酒を一本けながら答えた。

「おい、酒なんか出していいのかい。甚五郎さんはともかく」

「甚五郎さんの持って来たお酒は特別なんだって。どうしても一本漬けろっていうんだよ。なにしろ、公方様くぼうさまくださったお酒なんだって」

「公方様が?」

 どういう事かよく分からなかったが、ともかく二人が話している豊三の病間びょうまに行ってみた。

「これは甚五郎兄さん、お久しぶりで」

 久しぶりに甚五郎は以前よりも若くなっているように思えた。

 豊三は、佐吉を見ると、

「おい、じじ甚五郎のったねねねことさささるが公方様の目にとと留まって大層褒たいそうほめられたそうだ。今日、甚五郎のとこに大工頭の中井様が見えられて、ごごご褒美の一斗樽いっとうたるを置いていかれたんだよ。その褒美ほうびのおお裾分すそけを持ってくれたんだ。それにしても甚五郎よ、おおめぇは果報者かほうものだぜ」

 病人とは思えない大声で甚五郎を褒めた。

「そいつぁーてぇーしたもんだ。恐れ入りやした甚五郎兄さん」

 佐吉はそう云うと、両手を合わせて甚五郎をおが仕草しぐさをした。

「お二人もやめておくんなせぇー」

 甚五郎は、恐縮きょうしゅくしてかしこまったが、喜びは隠せない様子であった。

 豊三は、お美代の運んで来た酒を猪口ちょこに一杯、ちびりちびり飲み干すと、

「ああ、こここりゃ美味うめぇ酒だ。さすがの上方かみがた、なななだの酒だ」

 と云って、嬉しそうに笑った。 


 甚五郎、通称、左甚五郎ひだりじんごろうと呼ばれ、現代にまでその名工としての名はいている。二代目の弟子で、年は佐吉より十ほど上で、初老といってもいい。腕の確かさは知らぬ者は無いほどだったが、酒と博打が三度の飯よりも好きたと云うたぐいやからで、生活は、所謂いわゆる赤貧洗せいひんあらうがごとし』の状態である。豊三は何度も小言を言ったが、その生活ぶりは一向いっこうに改まる気配は無かった。しかし、一方でその技量を一番に買っているのも豊三であった。

 常々、

細工物さいくものじゃ甚五郎が日本一よ。あいつがつるならおいらはトンボぐらいだ」

 と云って、よく褒めた。

 今回の日光陽明門にっこうようめいもんの仕事も、豊三が大工頭に特別に推挙して実現したものであった。それだけに、豊三も我が事のように嬉しかったのである。


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