第6話 善哉

 明くる日、施主の都合で仕事は休みになった。佐吉はお美代を誘って九段下の茶店へ行った。この茶店で出される善哉ぜんざいが評判で、前からお美代に連れて行ってくれとせがまれていたのだ。

 善哉の歴史は古く鎌倉時代にさかのぼる。室町時代に入って茶の湯が盛んになるとともに茶席の間食菓子かんしょくがしとして全国に広まった。ちなみに、『善哉』と云う名は、一休禅師が初めて食べた時、『かな』と云ったというのが由来だそうだ。伝説の類であり、信ずる信じないは勝手である。


 お美代は江戸っ子の類に漏れず新しい物好きで、評判のものがあるといつも連れて行けと佐吉にせがんだ。江戸は開放的とはいえ、まだまだ女一人で出歩くことができるほど治安が良いとは言えなかったのだ。

「あぁおなか一杯、美味しかった」

 お美代はひざくずして腹をさすった。

「お美代ちゃん、いくらなんでも食べ過ぎだよ」

 佐吉はあきれて言った。佐吉は辛党からとうだから善哉はせいぜい一杯が限度だが、お美代は四杯も食べたのだ。

「だって、お嫁に行ったらこんなことできなくなるし」

 お美代はそう云うと、頬を赤らめた。

 お美代は豊三にすでに言い含められているのだ、と佐吉は悟った。

「お美代ちゃん、棟梁からおいら達の事、話し合ったのかい」

 帰りの道すがら、佐吉はお美代に尋ねた。

 お美代は小さく頷いた。

「お美代ちゃんの気持ちはどうなんだい。大事なのはお美代ちゃんの気持ちだ。棟梁に言われたからって無理しなくてもいいんだぜ」

 佐吉は、言葉を選びながら言ったつもりだった。

「それは、あたしが云いたい事よ。先に言うなんてひどい」

 お美代は、佐吉を見上げて怒ったような声で云った。そして、続けた。

「あたしの気持ちは、ずっと前から決まっているわ。そう、ずっとずっと前から」

 お美代は、いつかはきっと佐吉の嫁になることを幼心おさなごころに決めていたのだ、と話した。佐吉が見習いに上がってお美代の世話をしている頃から、佐吉が他の誰よりも好きだったのだとも話した。佐吉はお美代の手を取り、そして、握りしめた。

 いつの間にか空は茜色あかねに代わり、小鳥たちが群れをなして家路を急いでいる。二人の影は長く長く寄り添い、そして重なり合った。

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