第5話 蛻の殻

 梅二は十日経っても出て来なかった。豊三はしびれを切らして言った。

「野郎、風邪でもこじらせてむくろになってんじゃねぇのか。佐吉、おめぇ、ちょいと見に行ってやってくれないか」

「へい」

 佐吉は、梅二が風邪をこじらせてないことは分かっていた。それよりも、もう何処かへ行ってしまっているのではないかと心配した。それにしても、こんな役割が回ってくるとは、ほとほとついて無い。

 案の定、梅二の長屋は蛻の殻もぬけのからだった。近所のおかみさんたちに尋ねたら、五日ほど前の朝、起きたらもういなかったということだった。それどころか、反対に、「博打ばくちの借金かなんかがまって夜逃げでもしたのか」と聞かれてしまった。佐吉は長屋の連中から博打の借金の取立屋とりたてやと間違える始末であった。

 当時、長屋を勝手に出て行くことは重要な意味を持っていた。長屋に住んで居られるということは、親方である豊三と長屋の大家とが身元を保証しているということである。ちゃんと人別帳じんべつちょうに記載される良民と云う身分を意味することである。勝手に出て行くことは,『無宿者むしゅくもの』になり下がる事にもなりかねない。新たに身元を保証してくれる棟梁なり親方なりがいればいいのだが、そのあてはあるのだろうか。佐吉にとって、梅二は小生意気こなまいきとは云え、長年、弟のように接してきただけに心配は募った。


 豊三には、梅二の長屋がもぬけからだったことを報告した。豊三は怒った。

「野郎、何処かに引き抜かれたか。恩知らずめ。それとも博打の借金でも溜めで夜逃げか」

 吐き捨てるように言った。

「どっちにしても馬鹿な野郎だ。人の顔に泥塗りやがって」

 豊三の怒りは、なかなか収まらなかった。

 引き抜かれたわけでも博打の借金でもないことは佐吉は知っていた。しかし、いきなり居なく無るという事は、恩知らずのそしりは免れないであろう。気持ちは分からぬでもないが後味が良くない。


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