第4話 生垣の向こう

「佐吉、そろそろ返事を聞かせてもれぇてんだがよ。なんかお美代に不足でもあるのかい」

 昼飯の弁当が終わって一服して居る時に、豊三が訊いてきた。豊三は、職業柄、声が大きい。佐吉は生垣いけがきの向こうで、まだ梅二が弁当を食っているのを知っていた。梅二に聞こえたかもしれない。

「いや、不足なんか、あっしには勿体もったいねぇ話で」

 佐吉は小さな声で答えた。

「じぁ、承知しょうちって事でいいんだな」

 豊三は生粋きっすいの江戸っ子で気は短い。すぐに結論を出したがる。佐吉はあわてた。

「お美代ちゃんの気持ちも大事だと思うんで、あっしなんかじゃお美代ちゃん、物足りないじゃねぇかと……」

「馬鹿野郎、そんな事考えてたのか、お美代の事はな……」

 そこまで言った時、施主せしゅの住職が豊三を呼んだ。

「へい、ただいま参りやす」

 豊三はいなくなった。ふと気付くと、豊三のいた場所に梅二が立っていた。

「佐吉兄さん、風邪を引いたみたいで気分が悪いんです。申し訳ねぇんですけど、今日のところは先に帰らせてもらいやす。棟梁とうりょうに伝えといてくだせぇ」

 梅二は、そう言い残すと道具を抱えて裏門から出て行った。

 先ほどの会話は、梅二に聞かれてしまったのだ。


 梅二は、次の日もまた次の日も出て来なかった。よく々考えてみると、梅二はお美代に惚れていたのかもしれない。役者張やくしゃばりのいい男で腕のたつ職人と言えば、江戸の町娘は放っては置かないだろう。しかし、梅二には浮いた噂の一つもない。若い娘と一緒にいるのを見たのは、お美代と喋っている時ぐらいだ。その時の梅二は本当に楽しそうな顔をしていた。佐吉自身も無論、お美代の事は好きだが、男と女としてのそれではない。見習いの上がった時、お美代は数えの五歳だった。見習いで一番若かった佐吉が何かと面倒を見さされた。お美代も佐吉によくなついた。お美代の習い事の送り迎えやら遊びの相手、一緒に手をつないで露店を見て回ったりもした。佐吉にとってお美代はずっと妹のような存在であったし、それだけに、二十歳の娘がかもし出すほのかな色香いろかにも気付かずにいたのだ。

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