第2話 お美代の婿に

「佐吉、ちょいと話があるんだが、今晩付き合ってくれねぇか」

秋も深まった頃だった。仕事が終わって一服いっぷくしているところに豊三が来たのだ。

「へい、分かりやした」

 豊三と佐吉は、神田にある料理屋に上がった。寛永年間かんえいねんかん、江戸が開発されて半世紀に満たない時代であるが、人口は既に二十万を超え世界有数の大都市になっていた。都市化と共に色々なニーズが生まれてくる。今で云うところの外食産業もその一つである。当時、料理屋と云うのは仕出しだし屋だったが、寛永年間の初めに客を座敷ざしきに上げて食べさせる店が現れ、それが新しい物好きで短気な江戸っ子の評判を呼び、江戸中に広まった。おそらく日本人に外食の習慣ができた最初であろう。

 酒をわし、煮魚にざか湯豆腐ゆどうふをつつきながら取りとめのない話をした。仕事の話、仲間内のうわさ流行はやり芝居しばいの話などである。豊三が話し手で、佐吉は聞き役だった。しかし、わざわざの呼び出しての事である。なかなか持ち出せないでいる大事な話があることを佐吉には分かっていた。そろそろ看板という頃合ころあいになって、やっと、豊三が口を開いた。


「佐吉、お前さえよければ、お美代の婿になってくれねーか」

「えっ……」

「お美代も今年で二十歳だ。知っての通り上の二人は嫁に行っちまった。俺には息子はいねぇ。代を取らすのは、お美代に婿を取るしかねぇんだ。何とかいい返事くれねぇかい。親のおいらが云うのも何だが、器量きりょうい方じゃねぇかと思うんだ」

 そう云うと、豊三は頭を下げた。佐吉は豊三に頭を下げられたのは初めてだった。驚いて恐縮きょうしゅくするしかなかった。

棟梁とうりょうあたま上げておくんなせえ」

 佐吉は、あわてて言った。

承知しょうちしてくれるのかい」

 豊三も妙に緊張していた。豊三としてもこういう経験はしたことが無いので当然と云えば当然である。

「いや、突然のことで、あっしもどう返事いいか」

 佐吉も急な事で胸が鳴った。大事な話だとは思っていたが、このような話だとは想像もしていなかったのだ。

「ああ、すまねぇ、すぐ返事しろって訳じゃねえんだ。お前にも都合つごうってもんがあるだろうから、よーく考えてくれ」

 豊三はそう云うと、ほっとした顔をした。実際、こういう話を持ち出すのは今も昔もエネルギーがいるものである。

 料理屋から出、しばらく一緒に歩いて豊三と別れた。

「いい返事待ってるぜ」

 別れ際に、白い息を吐きながら豊三の言った言葉が耳に残った。

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