かわごえともぞう

第1話 土佐屋

 佐吉さきちは、宮大工みやだいく豊三とよぞうの元で働いている。十三歳から見習みならいになって今年で十五年目になる。宮大工は一人前に年期ねんきがいるのだが、生来せいらい生真面目きまじめで仕事熱心な佐吉は、腕の上達も早く、最近では一人前とはいかなくても一人前扱いはされている。棟梁とうりょうの豊三の信頼も厚く、大事な仕事もまかされるようになっていた。


「宮大工てえのは合わない稼業かぎょうよ。やっと一人前になったかと思ってたら、もう爺様じいさまで、おむかえがやってきやがるって寸法すんぽうよ」

 豊三の口癖くちぐせである。実際、本当にそのとおりだと佐吉は思っている。一つの仕事がなんとかこなせるようになったら、すぐに次の仕事の前で右往左往うおうさおうするのだ。棟梁の豊三でさえ考え込んでしまっている姿をよく見かける。

 豊三の家は、代々の宮大工で、徳川家康の駿府すんぷから江戸の国替くにがええと共に京からやって来た。今の豊三で三代目になる。手がけた仕事は、初代のしば増上寺ぞうじょうじを始めとして、江戸の著名な神社仏閣じんじゃぶっかく、大名屋敷など枚挙まいきょいとまは無い。

「俺んとこの爺様は、権現様ごんげんさまと一緒にやって来た」

 と云うのが、と豊三の家の誇りである。

 実際、初代は、芝の増上寺の落成の折りに当時の幕府大工頭ばくふだいくがしら中井正清なかいただきよに伴われ、家康に目通めどおりがかなったことがある。

 その時、家康にたいそうめられ、苗字めょうじ帯刀たいとうまで許された。以後、土佐とさの苗字を名乗っている。元々が大和の土佐と言う処の出だ、という言い伝えから勝手につけたものだ。勝手と云っても、その昔、平城京へいじょうきょうの建設のりに土佐から徴用ちょうようされてきた人々たちを聖武天皇しょうむてんのうが気に入り、領地を与えたので土佐という村ができたとある。だが、大工仲間で苗字・帯刀と云う家は豊三の家だけで、それだけでも一目置かれる存在になっている。屋号も土佐屋そのままである。

なにがしかの寄合よりあいなどがあると、必ず、豊三は、腰に日本刀を差して出かけるのだが、その時の誇らしげな顔は、なんとも微笑ほほえましい。差した刀は三両もしないぼんくらで、剣術けんじゅつの方もまるっきしなのだが、それもまた愛嬌あいきょうである。

 豊三には息子がいなかった。娘は三人いる。上の二人は片付かたづいていて、末のお美代みよが残っている。今年で数えの二十歳になるのだが、十五、十六で嫁に行くのが普通だった当時では、婚期が遅れていると云っても過言ではない。無論、豊三には自分の代で宮大工を終わらせるという考えは毛頭もうとうなく、お美代に婿むこを取らせてだいを継》がせることを考えていた。

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