第3話

カフェに戻ると、彼女は奥の静かなテーブル席を選んだ。

通りに面したガラス越しに、濡れた街路樹が揺れている。


「……さっきのノート、詩かと思った」


彼女がコーヒーを口に運びながら、ぽつりと言った。


「いや、ただのメモだよ。誰にも見せるつもりなかった」


「そういうのほど、見つかっちゃうんだよ。不思議だよね」


柔らかい笑顔だった。けれど、目の奥はどこか遠い。何かを隠している人の、それだ。

僕はその空気を追いかけようとは思わなかった。まだ名前も知らない。


「仕事、あれから?」


「うん。夜からだから、今はちょっと一人でぼんやりしてた」


「何やってるの?」


彼女は少しだけ迷ってから、答えた。


「シーシャバーで働いてる。…って言っても、お酒出すわけじゃないし、健全なとこだよ」


「別に疑ってないよ」


「よかった。大抵、ちょっと変な顔されるから」


そこに、ほんのわずか――“警戒”の色が滲んだ気がした。

僕が黙ると、彼女も続けなかった。けれど、その沈黙は不思議と居心地が悪くなかった。


「君は?」


「在宅の仕事してる。モノ書いたり、編集したり。ほとんど一日中、部屋にこもってるよ」


「じゃあ……人との距離、うまくとるタイプ?」


「逆に下手かも。こうやって突然話しかけられると、何言えばいいか分かんなくなるし」


「ふふ。じゃあ、今は?」


「まだ何言えばいいか分からない」


僕の答えに、彼女はくすっと笑った。

その笑い声は、どこか壊れやすいガラスみたいに静かで、それでいて、なぜか耳に残った。

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