第4章 炎の魔女は秘密を抱えて生きている

第17話 告白の覚悟

 届けられた手紙を見つめ、オルリアは深いため息を吐く。

 彼の社交界復帰からしばらく経ち、季節は本格的な冬を迎えていた。


 窓の外では鈍色の空からはらはらと雪が舞い降り、世界をうっすら銀へ染め変えている。

 経済も、市井の暮らしぶりも回復の一途を辿り、王に対する信頼度も随分と上がってきたというのに、このため息は何だろうか。


「どうした、オルリア。無理難題でも押し付けられたか?」


 すると、深く陰鬱なため息に、書斎の整理と称して呼び出されたタングリーは、出しっぱなしの分厚い本を棚に戻しながら問いかけた。

 暖炉のおかげで室内の寒さは幾分ましだが、連日の氷点下に、本を持つ手がかすかにかじかんでいる。


「いつものあれだ。まったく、どうしてこうも皆、私を結婚させたいのだ」


 一方、呑気な問いに首を振ったオルリアは、重厚な台紙に貼られた写真を差し出した。

 写真には、これでもかと派手に着飾ったご令嬢が、張り付けたような笑みで写っている。


 オルリアが本格的な政や社交に復帰して三ヶ月余、国内外からの縁談話は耳にタコができるくらいには聞かされていた。


「ああ。今回はどこから?」

「中欧のプレアス王国だ。そこの第二王女を嫁がせたいと。親睦を深めるために、今すぐ姫をこちらに向かわせても良いとの仰せだ」

「うわぁ、積極的。でもプレアスか~。あの国は国王が好戦的で器が狭いって有名だし、あんまりいい縁じゃないよな。確か十六年くらい前に起きた暴動で粛清された前国王も、結構ヤバい方だったみたいだし」


 たれ目がちの瞳をした一見穏やかそうな少女の写真から目を逸らし、最早世間話のような口調でタングリーは本の整理に戻りながら口にする。

 侯爵家の嫡男として、国際情勢くらいは興味がなくても頭に入れているのだろう。国名を聞いただけで的確な見解を見せるタングリーに、同意と頷いたオルリアは、壁際に飾られた深紅のドレスに目を遣った。


 繊細なフリルとレース、そして銀糸で蔓薔薇の装飾を施したドレスは、彼女への贈り物として用意したものだ。


「そうだな。それに私には……」

「おにいしゃまー!」


 だが、思いを馳せ呟いた途端。

 突撃の勢いで書斎の扉が開き、満面の笑みで小さな妹姫が現れた。

 外にでも出ていたのか、温かそうなオレンジ色のケープを纏うラミィは、オルリアを発見し目を輝かせている。


 後ろには、遊び相手として同伴していたらしいエルナとアーリャが、慌てたようについて来ていた。


「こら、ラミィ姫。お兄様の邪魔をしてはダメだぞ。お部屋に戻ろう」

「ちょっとだけ!」


 すると、ようやく立ち止まったラミィを後ろから抱き上げ、エルナは諭すように促した。

 この数ヶ月ですっかりラミィもエルナに馴染み、今では姉のような存在になっている。


 一昨年に母が病気で亡くなり、例の件で父が殺され、オルリアも引きこもりと化していた日々は妹にとって寂しいものだっただろう。

 そう思うと、元気な妹の姿に目頭が熱くなる。

 エルナの抱っこを受け入れながら、甘えたように目を向けたラミィは、元気よくオルリアに手を伸ばした。


「おにいしゃま、ラミィゆきだるまつくったの! あとでみてみて!」


 手を伸ばすラミィの指先は、雪に触れていたせいか、少し赤くなっていた。

 エルナよりもぽにぽにした手を握ると、やはりその手は冷たくて。温めるように包むと、オルリアは嬉しそうに破顔する。


「雪だるまか。今年は珍しく雪が多いからな。あとで行くよ」

「うん! ラミィ、おべんきょうのまえにおにいしゃまに言いたかったの! あとでぜったいみてみて」


 兄の笑顔に満足したのか、それを告げたラミィは、エルナに下ろすようお願いすると、またとてとて歩き出した。

 微笑ましげにアーリャが付き添い、エルナもそのまま書斎を出て行こうとする。


 と、彼女の視界に、美しい深紅のドレス、そして机に置かれたままの見合い写真が写った。

 一瞬、エルナの表情が曇ったような気がしたのは、気のせいだろうか。


「見合いか? きみも大変だな、オルリア」


 しかし、すぐにいつもの不遜な態度に戻ったエルナは、何気ない調子で問いかけた。

 オルリアは上手く隠しているつもりかもしれないが、ここ最近、この手の話が増えているのには気付いていた。

 加えて、ドレスまで用意されているところをみるに、今回の彼は本気なのかもしれないと思う。


「ん? まぁな。だが、気にする必要はない。なぜなら……」

「ああ。私は薬師だからな。きみが誰と結婚しようが気にはしない。だが、身を固める覚悟ができたなら、なおのこと早くきみの異能を取り除かねばと思っただけだ」

「……!」

「さて、私は戻る。邪魔したな」


 オルリアの話を打ち切るように言葉を重ね、エルナはくるりと踵を返すと、そのままラミィとアーリャを追って部屋を出て行ってしまった。

 彼女にしては珍しく一方的な打ち切り方に二人は目を瞬いたものの、もう姿は見当たらない。

 たっぷり沈黙した後で、オルリアはふと失笑した。


「私が誰と結婚しようが気にしない、か。相変わらず……」

「オルリア。お前、いつまでこの関係を続ける気なんだ?」


 すると、相変わらずなエルナを思い呟くオルリアに、タングリーが意を決した顔で切り出した。手元の本をすべて片付け終えた彼は、真剣な目をしている。

 いつかは聞かれるかもしれないと思っていた問いに、オルリアは平静としていた。


「進展させたいのは私とて山々だ。だが、お前も分かっているだろう?」

「そうだけど。でもお前、立場を利用して今度の親睦会にあいつを参加させる気なんだろう。勝手にドレスまで用意してさ。いい加減、ケジメつけろよ」


 そう言って、オルリアの余裕に顔をしかめたタングリーは、どこか棘のある口調でなおも食い下がった。


 エルナに用意した深紅のドレスは再来週、オルリアの社交界復帰を祝い、各国の友人たちとこの城で行う親睦会に出席してもらうために用意したものだ。

 とりわけ仲もよく、歳の近い王侯貴族たちとオルリアは定期的に親睦会をしており、皆、復帰したオルリアに会いたいと集まってくれることになった。


 本当はそこで恋人と言って友人たちにエルナをお披露目したいくらいなのだが、彼女の心が向かない以上、薬師として紹介するしかないだろう。

 だが、事実上特別な存在だと印象付けるようなそれに、タングリーは不満なようだ。


「お前はずるいよ、オルリア。好きだって自覚してるくせに、薬師契約を利用してさ。告白もケジメもなく、あいつを自分のものにした気でいるなんて、おかしいだろ」

「それも承知だ。だが、愛しているからこそ、不用意なことはできない」

「んなもん言い訳だ。お前は拒絶されるのが怖いんだろ。女の子に拒絶されたことなんてないもんな。でも俺はさ、時々辛くなるんだよ。お前らが笑い合っているのを見ると苦しくなる。いい加減にしてくれ」


 静かに、だがどこか怒りのこもった声音でタングリーは心を告げる。

 互いの気持ちは二人をよく知るタングリーには分かっていた。だがエルナの過去、一度見せた拒絶、それらが邪魔をして足踏みを繰り返す姿に、苦しさと安堵と怒り、色んな感情が渦巻いて、胸がぎゅっと苦しくなる。


 もういっそ進展してくれれば、こちらだって諦める気になるかもしれないのに。


「……」

「俺は別に、あいつが幸せになるなら相手が俺じゃなくてもいいと思う。でも、お前が足踏みして、今の関係を続けながら、あいつの全部を自分のもんだって思うのは違う。いい加減腹を括れ。全部を見せろ。知りたいなら心を晒すしかない。それであいつが受け入れて、自分のことを話したらお前の勝ちだ。だろう?」

「……」

「そうしないなら俺だってもうこれ以上、お前に先手を取られ続けるのやめる。ずっと本気だけど、もっと本気で彼女に近付く。本当はお前にだって、エルナを渡したくはないんだから」


 カツカツと靴を鳴らし、タングリーは窓辺に佇むオルリアに詰め寄った。

 珍しく眉根に皺を寄せた顔で睨み上げると、オルリアはしばらく迷った後で睨み返す。


 タングリーがエルナに好意を寄せているのは、最初から気付いていた。

 それでも自分がエルナを必要としている以上、この優しい親友は身を引くだろうと勝手に思っていたのも事実だった。


 争うことはしたくない。

 それでも、早々にケジメをつけなければ、彼をずっと苦しめることになる。

 傷つきたくないと甘んじていた関係に、終止符を打たなければ。


「……分かった」


 やがて、揺らいでいたディープレッドの瞳は平静を取り戻し、二人の視線がまっすぐにぶつかる。

 ようやく、覚悟が決まったのだろう。


 それを察してタングリーが一歩足を退くと、オルリアは部屋の端に飾られた深紅のドレスに目を遣った。これを贈って告白したら、彼女はどんな反応を示すだろう。


「彼女は手放せない。欲しいと、心から思う。だから」

「ああ」

「もう隠すのはやめだ。真面目に彼女を親睦会へと誘う。そして濁さず、正直に心を告げる。それで満足であろう?」

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