第15話 奇襲と嫉妬は突然に

 秋の日差しがゆっくりと傾き、夕日が赤々と街を照らす。

 一段と薄暗さが増した広場で、エルナは子供たちと向き合っていた。


「よし、みんなありがとう。代金もちゃんと合っているし、えらいぞ。じゃあほら報酬だ」

「わぁ! ありがとうエルナ姉ちゃん。また来週も来てくれる?」

「ああもちろん。だが、近頃風も冷たくなってきた。風邪を引かぬよう、体を大事にするんだぞ?」


 麻袋に入った報酬をひとりひとりに手渡し、労いながら、彼女は笑う。

 空き家や路地が住処の彼らにとって、これから来る晩秋や冬は厳しい季節だろう。


 冬が苦手なエルナは心配そうだが、慣れっこだと笑んだ彼らは頷いて、


「大丈夫だよ。僕ら結構丈夫だし。エルナ姉ちゃんこそ、を大事にするんだよ」

「ん?」


 言い返してやったと言わんばかりに、少し離れた場所に立つオルリアを見つめる。


「旦那ではないが……」


 呟きが漏れる寸前、子供たちは一斉に駆け出していた。





「待たせたな。私の用事は以上だ。……タングリーとアーリャ嬢はどこに?」


 去って行く子供たちの姿をやや不服そうに見送り、エルナはオルリアの元へ戻った。

 黒の外套と、ひとつにまとめた長い髪を風に揺蕩たゆたわせる姿は美しく、裏路地であっても絵になる。

 これがどうしたら旦那に見えるんだ……という不満を押し込んだエルナは、近くに騎士たちがいないと気付いて周囲を見回した。

 先程までギリギリ見えない位置にいたはずの二人はどこへ行ったのだろう。


「ベリトリス嬢なら先程ひったくりが現れたので成敗しに行ったぞ。タングリーも馬車を見に行ったな。我々も先に戻ろう」

「なるほど」


 そう言って、小首を傾げるエルナに答え、オルリアは大通りへ足を向けた。

 ひったくりを放置できない彼女の正義感に感嘆したエルナも続き、二人は路地へ入る。


「……!」


 すると、そのとき。

 彼らの前に現れたのは、待ち構えていたように路地の前後を挟む男たちだった。

 先程アーリャたちが成敗した連中含め、路地にいるならず者は多い。

 それでも実際に絡まれたのは初めてらしく、エルナから盛大なため息が漏れた。


「何用だ?」


 袖口に忍ばせた杖を握り、警戒したまま尋ねる。

 にやついた顔にどこか狂気めいた瞳を持つ彼らは、目的も脅しもなく駆け出して。

 前後から一斉に迫る男たちに、オルリアが庇おうと前に――。


「風の精霊tourbillon旋風を起こせ。私とオルリアに当たらんよう、自然にな」

「!」


 そんなオルリアを制し、さらに一歩前に出たエルナは、小さな声で願った。

 彼女の得意は自身が加護を受けた炎の魔法なのだが、こんなところで火事を起こすわけにはいかなくて。街を渡る風に願うと、ビュオォ……! と一気に細い路地を風が吹き抜けた。

 旋風は男たちをもみくちゃにし、壁や地面に頭を打っては気絶させていく。


 強い海風が吹くこともある王都でなら、この風を魔法と思われる危険性は少ないだろう。

 人命優先とはいえ、はらはらしながらエルナはオルリアを振り返る。


「人が来る前に立ち去ろ……ぅわっ!」

「まったく。女性に守られては私の立つ瀬がない。こういうときは守られる側になるべきだ」


 だが完全に振り返る寸前、エルナはふてくされたような手に後ろから抱きしめられていた。

 耳元でオルリアが囁き、思わずどきりとしてしまう。

 多勢相手にちまちま倒して騒ぎになるくらいなら、一気に片付けようと思った判断が不服だったのだろうか。


「しかし、仮にも王を戦わせるわけにはいかない」

「それでも私はお前を守りたい。分かれ」

「男は面倒な生き物だな……。とにかく、ここを離れるぞ」





 ――奇襲失敗。やはりあの少女は……。





 昏倒する男たちを置き去りに大通りへ戻る二人を見つめ、ビルの屋上からが笑う。


 それに気付かない彼らは、颯爽とひったくりを成敗したアーリャと合流し、配達の代金を納め、タングリーが御者をする馬車に乗り込んだ。


 王都を照らす夕日が作る影は、長く、濃い――。





「では私は一旦仕事に戻る。また塔を訪れよう」


 謎の人物に見られていたことなど露知らず。

 王宮に帰ったオルリアは、サイウェンに促されるまま仕事に戻り、エルナとアーリャは東の塔にて休憩とお茶をし始めた。


 往診と、子供たちが配達をしている間にアーリャが見つけてきた薔薇のお茶とクッキーはとても美味しく、笑みが零れる。


 そして、なぜか定着してしまったラミィとオルリアを交えた三人での夕食が終わりしばらく。

 外出の影響で遅れていた仕事を片付け終えたらしいオルリアは、再び塔を訪れた。


 月が太くなるのはまだ少し先だが、もうこの生活に慣れてしまって。

 誰に何と言われようが、眠るのは彼女の傍でと決めている。


「……実験中だったか」


 もちろん、今はまだ何もしないと心に誓い地下へ降りると、エルナは精製室で机に向かい、熱心に薬草を磨り潰していた。

 青臭い薬草の香りと甘酸っぱいような香りが混ざる中、彼女の傍へ赴く。

 するとエルナは、教科資料を指差して頷いた。


「ああ。今月の課題中だ。薬草の発酵が終わったから、試してみたくて」

「これはどんな薬なのだ?」

「変身薬だよ。一定時間人を動物にしたり動物を人の姿にしたりできる。魔法薬学の先生自らが作り上げたこの薬を、四年生の応用課題として送って来たんだ」


 つまりはオルリアが満月の前後に飲んでいる変身抑制薬と真逆の効果があるものだろう。

 薄い緑色から徐々にオレンジへと変わっていく薬を見つめながら、オルリアはひとりごちる。

 彼女の作る薬は、身の内の魔力エレメントが影響しているらしく、赤やオレンジ色を帯びていることが多い。


 磨り潰した薬草に何やら紫色の粉と赤い木の実の汁を足してよく混ぜると、変身薬は炎のような赤とオレンジを含む色合いになって完成した。


「魔法薬学か、とても興味深いな」

「だろう? きみが飲んでいる狼人間の変身抑制薬を開発したのも、魔法薬学の教師であるリーシェル先生だ。齢六百を超える偉大な魔女だよ。きみに混じった異能を取り除けないかの相談も彼女にしている」

「ろ……魔法族は身の内の魔力エレメントが満ちた瞬間から見た目の年齢が変わらず、それがある限り生き続けると聞いたが……」


 何気ない口調で笑うエルナに、オルリアは純粋に驚く。

 この国の平均寿命は六十歳前後と、他国に比べてそれでも長いほうだ。もちろん稀に八十代くらいまで生きる人もいるが、それは本当にレアなケースだろう。

 だが、桁ひとつ超えた年齢に、開いた口が塞がらない。


「そうだな。私も多分、もう見た目はほとんど変わらないだろう。そしてきみも、異能を取り除かない限り可能性はある」


 しかし、続けざまにエルナが言う言葉に、オルリアはさらに驚いた。

 理由を問うと彼女は魔法生物学の本を取り出して、


「狼人間になる際、きみは奴の体液と共に魔力を注がれ、体に変化が起きた。つまりは魔物になったということなのだが、魔物の体質は魔法族と変わらないことが証明されている。故にきみの中に異端が存在し、それが尽きない限り、長く生きる可能性があると言うことだ」

「……」

「だが、長い寿命がある故、我々は非魔法族との価値観に差が出やすい。だからこそ、東欧の魔法王国も王族は非魔法族と決まっている。おそらくきみは史上初の魔力を持つ王だよ。……とある例外を除いてな」


 パラパラと本をめくり、魔物についての説明を指したエルナは、そこまで一気に語った。

 残念ながら東欧の文字を読むことは叶わなかったが、彼女が言うならそうなのだろう。

 狼の異能を持つ異端の王――改めて突き付けられた現実に、怖くなる。


「大丈夫だ。先生も全面的に協力してくれているし、私には膨大な情報を持つ欧州国際連盟魔法部の知り合いもいる。母が遺してくれた縁と共に、私がきみを救ってみせる」


 するとオルリアの反応に、エルナは力強く宣言した。

 知らないものに恐怖するのは当然だが、幸い先生方は「狼人間に噛まれた者の異能を取り除きたい」と言うエルナの目標を応援してくれている。


 だから心配するなとの思いを込めて頷くと、不意にどこからか慌ただしい声が聞こえていた。


「お待ちください、レオッカ様! 地下にはエルナさんしか……!」

「うるさいわよ! 伯爵令嬢の分際でレオッカを止めようだなんて無礼だわ! オルリア様が塔に入るのを見たのよ! あの薬師、とっちめてやるんだから!」


 扉越しのくぐもった声と共に響いたのは、以前筆頭妃候補を自称していたレオッカと、本日の業務を終え、帰ったはずのアーリャだ。

 もしかしたら帰りがけに塔へ入ろうとするレオッカを見かけ、慌てて止めようとしてくれたのかもしれない。


「レオッカ……あれはまた何を喚いているのだ」

「きみがこの塔にいるのが気に食わないのだろう。しかし困ったな、きみがいると知れたら庇ってくれたアーリャ嬢に迷惑がかかる。しかしここには抜け道などない。そうだ」


 階段を降りるカツカツという音が響き、間もなくここに来る事態に微妙な焦りを覚えながら、エルナはふと思いついた。

 そして先程完成したばかりの変身薬を手に、奥の寝室へと逃げ込む。


「クリュエ、リーファ、マーティ、少しだけ時間稼ぎをしてくれ!」

「みゃあっ!」


 すれ違いざまにシャドラたちへお願いしたエルナは、寝室でオルリアと向き直った。


「オルリア、この変身薬を舐めてみてくれ」

「なっ!?」

「きみがここにいないと分からせるためにも人の姿でない方がいい。安心しろ。たとえ何に変身しても理性はそのままだ」


 トマトとニンジンのジュースを混ぜたような色合いの変身薬を差し出し、エルナは願う。

 確かにオルリアがいると知れたらレオッカは大爆発だろう。だが自ら動物になると言うのは、満月の変身のようで怖くって。


 一瞬の逡巡の末、彼女たちがすぐ傍まで来ていると悟ったオルリアは、覚悟を決めてぺろりと舐めた。

 途端、ぽんっという音と共に身体が縮み……。


「……!」


 煙の中から現れたのは、ぬいぐるみのようなサイズに縮んだ、白銀のかわいらしい狼だった。

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