第14話 王都の光と闇に触れ

 王宮を出て、王都スティリアの中心街へやって来たエルナは、主な目的地だと言う薬屋の少し手前で馬車を降りた。

 普段から徒歩で通っている彼女が、いきなり馬車で現れたら驚くだろうとの判断だ。


 しかも隣にはパールグレイの長髪をひとつにまとめ、黒の外套にシルクハット、白手袋にステッキという、いかにも上流階級な恰好をした美貌の青年オルリア。

 彼が数歩進む度、街の女性たちが熱っぽい視線で見つめてくるものだから、普段より目立って仕方ない。


 せめてアーリャやタングリーのように少し離れてくれれば、他人のフリをできるのに……。



「コーウェル殿、今日も邪魔させてもらうぞ」


 心の中でそんなことを思いながら、エルナは植物をあしらった看板がかかる薬屋へと足を踏み入れた。

 扉の開閉に合わせてチリリンと鈴が鳴り、薬草のつんとした香りが二人を出迎える。

 中では薬師で店主のコーウェルと三人の弟子が、それぞれ仕事に励んでいた。


「あっ、エルナちゃん。いつもありが……どちら様ですか?」


 すると、エルナの声に気付いて腰を上げた彼は、隣に立つオルリアを見上げ目を瞬いた。

 コーウェルは茶髪に青い瞳をした二十代後半くらいの青年で、柔和な顔立ちと丸メガネが特徴だ。

 一年ほど前にこの地で店を開いて以降、豊富な知識と物腰で市民たちの信頼も厚いという。


「これ、今日の納品分だ。あと彼は私の雇い主だ。薬師契約を結んでいるのは前に話したと思うが、ちょうど散策ついでについて来られてしまって」

「あ、ああ、そうなんだ。それは失礼。あ、これ代金ね。私はコーウェル・ファグナーと申します。エルナちゃんの雇い主様がお越しになるとは思わず……」


 ズレかけた眼鏡を押し上げ、受け取った薬の代わりに代金を渡しつつ挨拶を行うと言うまとめ技をしながら、コーウェルは深々と礼をする。

 ここにも時折薬を求めて貴族が訪れることはあるものの、オルリアほど高貴なオーラを持つ方に出会ったのは初めてなのだろう。


 無駄にへりくだって媚びを売る雰囲気がないのは幸いだが、腰が引けていると気付いたオルリアは、表情を変えないまま手を振った。


「そう畏まらずともよい。今日はただ、エルナが通う薬屋を見てみたかっただけだ」

「はあ、そ、そうでございましたか」

「ふふふ、銀貨だ……っと、コーウェル殿、今日も仕事を手伝うぞ。リストをくれ」


 オルリアが無意識にコーウェルを威嚇しているのか、それとも単に上流階級の人間に対してはこうなのか。随分と物腰の低いコーウェルに、代金を確かめたエルナは頓着せず切り出した。

 彼女は普段から人手不足の面々に代わり、薬の配達や軽い往診を引き受けていたのだ。


「あ、でも雇い主様もおられるのに……」


 だが、いつも通りリストを渡そうとしたコーウェルは迷うようにオルリアを盗み見た。

 彼がいる以上、今日の手伝いは難しいのではと思う。

 ぷにぷにと柔らかそうな手を差し出す彼女の姿に、戸惑いが浮かんだ。


「気にしなくて大丈夫だ。いつも通り配達を終えたら裏口のポストに代金とリストを入れておく。ご主人殿、私は仕事にかかるので、何なら他を散策してきても良いぞ」

「いいや。ならばついていくまでだ。店主よ、私のことは気にせず普段通りで構わない」

「あ、ありがとうございます……」


 しかし、頓着しないエルナが大丈夫と言い、そんな彼女に執着するオルリアが許可をする姿に、コーウェルはおっかなびっくりリストと薬を差し出した。

 そして最後に患者についての注意点、と切り出したところで彼はまたオルリアを盗み見る。


 どうやら薬師としての守秘義務上、部外者に聞かれるのはまずいと思ったのだろう。

 彼の視線から察したエルナは、オルリアの名前を伏せたまま告げる。


「ご主人殿。患者についての情報はきみに開示できない。すぐに済むから店を出てくれないか?」

「お前たちを二人にしたくはないが……」

「弟子たちがいるから二人ではない。ほら頼む」

「……仕方ない」


 再び嫉妬深い恋人のようなことを言い出す彼を宥め、エルナは扉が閉まる音を背にコーウェルと向き直る。


 彼の話では、今日残っている往診は珍しく一件だけで、腰が悪く臥せっている帽子屋のご隠居殿の様子を見てほしいとのことだった。

 腰痛に効く薬を別途手渡し、彼は視線をエルナに向ける。


「これで今日の分は全部だ。よろしくね、エルナちゃん」

「分かった」

「それにしても綺麗だったね。きみの雇い主、いや、恋人と言った方が近い関係なのかな?」


 すると、情報を聞き踵を返そうとするエルナに、コーウェルは躊躇いがちに問いかけた。

 彼女が初めて薬屋に現れたひと月半ほど前、確かに薬師契約を結んでいるとは言っていた。

 だがあんなにも親しげに寄り添い、こちらを警戒するような人だとは思わなくて。

 それを受け入れ、いつもより柔らかい表情をした彼女に告げると、エルナは大きく目を見開いた。


「恋人? いいや私たちはただの契約関係だ。見誤ってもらっては困るよコーウェル殿。では彼が待っているから私は行く。また来週顔を出すよ」

「うーん、自覚なしかー……」


 チリリンと鈴が鳴り、薬草を臼で挽く低い音だけが木霊する店内で、コーウェルは困ったように呟いた。





 店を出ると、オルリアは扉のすぐ近くに立っていた。

 話を盗み聞くような品性の持ち主とは思えないが、それにしても近い。まさかと思って顔を上げると、オルリアは不機嫌そうに見下ろした。


「話は済んだのか?」

「ああ。薬と情報を受け取っただけだ。この先路地を行くから――」

「それはお勧めいたしませんわ」


 眉間に皺を寄せ短く問う彼に、エルナは淡々と言い返す。

 薬の配達に彼女はある人手を使っていた。だからこそ路地と言い出した途端、待ったをかけたのは近くにいたアーリャだ。

 細身の長剣を持つ彼女は、近くの路地を一瞥し、


「お二人を狙う不埒な輩は、人通りの少ない場所に溢れるものです。可能な限り人目のある場所をお通りくださいませ」


 意味ありげな視線を不思議に思い赴くと、薬屋から一番近い路地に五人の男が積み重なっていた。

 タングリーの説教を受けている六人目を除き、全員すっかり伸びているようだが、これはもしかして彼らの仕業だろうか?


「ナイフを手に機を窺っている様子でしたので、二人で成敗いたしました。いずれも峰打ちですので、ご安心ください」

「……」


 満面の笑みで一礼し、アーリャは当然のように言う。

 最初に会ったとき、ベリトリス団長はアーリャを第一師団が誇る剣の使い手と評価していた。

 あのときはあまり気にしなかったうえ、これまで比較的安全な王宮でしか彼女と顔を合わせて来なかったエルナは、アーリャの騎士としての一面をすっかり忘れていたらしい。

 見事な倒しっぷりに、思わず目が輝く。


「格好良いな、アーリャ嬢。剣を鞘に納めたまま倒したのか? すごいぞ! タングリーもな!」

「おう」

「騎士として当然ですわ。お分かりいただけましたなら……」

「だが、子供たちに会うためには路地を行かないといけない。気を付けるから許してくれ」


 腕前を褒められ頬を紅潮させるアーリャに、しかしエルナは残念と呟く。


「子供たち?」


 意外な単語に皆驚いた様子だが、エルナはそんな彼らに頷いて、


「ああ。路地に住む子供たちに薬の配達を手伝ってもらっているんだ。報酬と引き換えにな」


 柔らかく笑い、躊躇いなく路地に入ったエルナは、少しばかり警戒したような三人を尻目に、大通りから一本外れた通りの先にある小さな広場へやって来た。

 建物に囲まれたこの場所は薄暗く、傍にはうずくまる男や街娼がいしょうと思しき女たちの姿が見て取れる。

 普段見ることのない王都の裏側の人種に、彼らは微妙な顔だ。


「みんな今日も仕事を手伝ってくれるか?」


 一方、気にした様子もなくエルナが声を掛けると、どこからともなく六人の少年少女が現れた。全員十歳前後と思われる彼らは、わらわらとエルナに駆け寄って来る。

 この子たちはもれなく全員ストリートチルドレンだ。


「遅いよ、エルナ姉ちゃん。来ないかと思った」

「悪いな。さ、今日の分だ。マリーはセオドーラさんにこれを届けてくれ。いつも通り痛みを緩和する湿布で、代金は四ブレドリー銅貨だと伝えれば分かるよ」

「はーい」


 子供たちの文句を受け止めつつ、ひとりひとりの目を見つめたエルナは、リストの情報と薬を子供たちに託す。

 文字が読めない子たちばかりであるせいか、伝達は口頭だ。それでも街が庭である彼らにとっては造作もないらしく、皆受け取ると一時間後の集合を目途に駆け出した。


 湿布や塗り薬など、定期的なお届けが必要な家庭への配達は、彼らの仕事になっていた。


「……大丈夫なのか? 子供に託して」


 だが、一連の様子を眺めていたオルリアは、懐疑的な眼差しで問いかけた。

 子供たちを信用に値するとは思っていないのだろう。生まれたときから植え付けられた上流階級と市民の壁に、エルナは肩を竦めて言う。


「問題ないよ。最初はちゃんと付き添って、配達を果たせば報酬がもらえることを覚えさせた。万が一薬を盗んだりすれば、成敗すると同時に二度と仕事は回さない。酷だが、正当な働きをした者に対価を渡すということが伝われば、彼らはきちんと仕事をこなす」

「……」

「以前住んでいた場所でもやっていたことだ。使える人手があるのに、誰も彼らには目を向けない。人……特に身分のある人間は、見た目や階級で人を判断しがちだ。心の壁がなくならない限り、この国の浮浪者は減らないかもな」


 最後の言葉だけを皮肉っぽく付け加えて、エルナは往診のため大通りへ戻って行く。

 確かに王都の失業者や貧民層への対策は、早急に行わねばと思っていた。

 だが、その事実をエルナから指摘されるなんて。


 思わず目を瞬いたオルリアは、また一歩興味を深くすると、彼女の後を追った。

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