閑話

閑話 ある男の思惑

 ――どうして今になって。


 苛立ちに任せ、男は木箱を蹴り上げる。

 この一年、計画は上手く行っていたはずなのに。


 正当な王の復帰によって計画は大きく軌道を逸らし、修正を余儀なくされてしまった。

 ガシャン……ッと宙に舞った木箱が地面に落ち、粉々になる。


 すると、暗がりの中青筋を立てる男に、向かいにいた青年は「まぁまぁ」と切り出した。

 埃っぽいここは、いつでも彼との密会場所だ。


「落ち着いてくださいよ。大丈夫。まだ計画は修正可能です。それにしても、もう二度と復帰はないと思っていた陛下が精力的に政に関わって来るとは、驚きました」

「フン、どこぞで腕の良い薬師を見つけて来たらしい。赤毛のちんちくりんな小娘を囲って以降、以前の調子を取り戻している」

「赤毛の……? 詳しく聞かせてくださいよ」


 吐き捨てるような男の言葉に、青年は座っていた椅子から身を乗り出して問いかける。

 闇に紛れ、月光に背を向ける彼の姿は分からない。ただ声は、若い男のものだと思う。

 青く光る妖艶な瞳を見つめ返し、怒りをぶつけていた男はやがて、オルリアが連れてきた赤毛の少女について分かっていることを口にした。



「……なるほど。大変興味深いですね。狼に噛まれ、恐怖で閉じこもってしまったはずの陛下を復帰させたとなると、よほど腕が良いのでしょう」

「感心しておる場合か。あの小娘が余計なことをしたせいで国民たちからの搾取も、内々に進めていた貴国との貿易も、今やとん挫寸前。早々に手を打たねば我々の目的も果たせまい。そもそも、どうしてあの夜、オルリアをジェネビ王共々始末しなかったのだ。おかげでわしは代理どまりを余儀なくされたのだぞ」


 くすくすと笑い、どこか楽しげに告げる青年に、男はもう一度吐き捨てる。

 国の実権を握り、彼らには成し遂げたい野望があった。


 だが、手の届く距離まで近付いて来た野望への足掛かりは、オルリアの復帰という予想外の手札によって崩れかけ、暗雲が立ち込めている。


 それもこれも、あの日、彼らを始末するために送り込んだ狼がミスを犯したせいだ。

 不満げな顔を見せる男に、青年はふぅと肩をすくめる。


「そればかりは運というものですよ。陛下の実力があの狼を上回った。そしてもう二度と再起しないだろうと思われていた彼が、腕のいい薬師と出逢い再起した。今はまだ警戒心も強いでしょうが、折を見て暗殺という手もあります。そう焦らず」

「く……っ」

「お任せあれ。そのための契約。何としてでも成し遂げてみせますよ」


 顔を真っ赤にし、今にも沸騰しそうな顔でこちらをめつける男から目を逸らした青年は、立ち上がって大きく頷く。

 歩く度に床の埃がわずかに舞って、揺らめいた。


 自信に満ち溢れた姿は、この計画の過程と修正さえも楽しんでいる様子だ。


「フン」


 その威風堂々たる姿に鼻を鳴らした男は、懐中時計の時間を確かめると、徐に踵を返した。

 時刻はそろそろ深夜零時を回る。

 侍従にさえ内密にしているこの密会を、誰かに悟られるわけにはいかない。


「頼むぞ。そうでなければ貴国と同盟を組んだ意味がない」

「ええ。それではまた計画が決まり次第、共有させていただきますよ」


 帽子を目深に被り、男は人目をはばかるように立ち去っていく。

 残された青年は、背後にそびえる本棚から一冊の本を取り出すと、そこにしまわれた写真を見て咲笑う。


 写真には赤毛の魔女と少年が、楽しそうな笑みで映っていた。


「彼が言う赤毛の薬師とは、もしかするとナディ様の親族かもしれないね。少なくとも魔女でなければなど作れない。ふふ、一度会ってみたいな、その少女と……」


 笑みの中にほんのわずかな狂気を乗せ、青年は宙を仰ぐ。


 どうやらオルリアとその父が異形の狼に殺傷させられた事件には、裏で何者かが関わっていたようだ……――。

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