第12話 それぞれの感情を胸に
小鳥の
黒髪を緩くまとめ、きっちりと軍服を
差し込む朝日に目を細めたタングリーは、部屋に入りながら声を掛けた。
「おはよう、アーリャちゃん」
「おはようございます。タングリー様。ご気分はいかがですか?」
「うーん最悪。よりによってウィスキー三本、朝まで飲んでこれから仕事。平気そうな団長はバケモノだな。それより、エルナは?」
頭を掻き、苦笑と共に柱時計を見遣ると、時刻は午前七時半を指していた。
普段から早起きは習慣付いていると聞いていたのに、エルナの姿が見当たらない。
不思議に思って尋ねると、アーリャは言いにくそうに俯いた。
何か、事情を知っているのだろうか。
「エルナさんはまだお休みのようです。地下なので、時間感覚が掴みづらいのかもしれません。一度起こしに訪ねたのですが、その、陛下が、おりましたので……」
「は!? え、ちょちょちょっと待って、オルリアがい、一緒なの!?」
しかし、答えを待つ彼の視線に負けたのか、アーリャは意を決して呟いた。
すぐさま目を見開いたタングリーは、先程までの憂鬱そうな表情を掻き消し、慌てふためいている。
夕食は一緒に取るのだと思っていたけれど、まさかそのまま居座っていただなんて。赤くなったり青くなったり、彼の表情は目まぐるしい。
「え、ええ。扉の隙間から窺っただけでハッキリと確認したわけではないのですが、あのパールグレイの長髪は陛下しかおられないかと……」
「ああぁの野郎……っ。エルナに何もしていないだろうな! 確かめに行く!」
うあ~としゃがみ込み、次にはチェストのランプをひっつかんでタングリーは息巻いた。
もし何かをしていたらオルリアと言えども許しはしない。
そんな彼の姿にアーリャは静かに問いかけた。
「タングリー様は、エルナさんがお好きなのですか……?」
もちろん昨日の態度から薄々感じてはいたけれど、どうしても聞かずにはいられなくて。
「あ、その、すみません。無粋な、質問を……」
同じように彼を見て来たアーリャはしかし、目を見開く彼の姿に恥じ入った。
悲しみに任せ、つい口走ってしまったことに
「いや、これだけ動揺していたら気付くよな。エルナには応えられないって言われているんだけど、まぁ、そういうことだ」
「え……」
「あいつは過去に色々あったみたいでさ。人を深く踏み込ませたがらない節がある。だからオルリアともすぐにどうなるとは思っていなかったんだけど、無理強いされてないか心配だ。オルリアは来る者なんとなく拒まず、去る者追わず。あんな風に自分から求めるのは珍しい」
俯くアーリャに柔らかく笑み、タングリーは正直に告げる。
エルナもオルリアも、タングリーにとっては大事な友達だ。彼らの性格はよく分かっている。だからこそ心配な気もするし、大丈夫な気もしている。
自分でも驚くほど曖昧な気持ちを抱え、タングリーは地下へと向かった。
「……うーん、朝日が入らない寝起きと言うのも考え物だな」
バタンと大きく扉を開け彼らの起床を促すと、エルナとオルリアはゆるゆる目を覚ました。
二人は間違いなく同じベッドで就寝していたようだが、彼らの間にはまるで壁のように三匹のシャドラたちが並んで眠り、接触を阻害している。それも掛布団の上から縦一列並んでいる以上、実質的に分断と言っていいだろう。
いつからこうなのかは分からないが、おかげで追及する気持ちが萎んでしまった。
「おはようエルナ。ここは地下だからな。何ならベッドを一階に移動するか?」
壁の燭台に火を灯し、部屋を明るくしてやりながら、タングリーはまだ少し眠たげなエルナに問いかける。
「いや、このままでいい。私が困る」
「お前に聞いてないぞー、オルリア」
途端答えたのはエルナ……ではなくオルリアだったが、二人の態度に不審な点は見られない。
たぶん何もなかったと自分に言い聞かせるタングリーの横で、ついて来たアーリャは朝食を用意すると出て行った。
「さて、私も一度部屋に戻って着替えてこよう。そしてサイウェンとラミィを連れて来る。妹も、たまには皆で食卓を囲みたいだろうからな」
一方、彼女の姿を見送ったオルリアは、話を終えるとエルナを見て咲笑う。
彼女が傍にいたことで今日の目覚めはとても良い。やはりエルナは癒しなのだ。
もちろん、リラックス効果のある精油を傍に置いていた結果もあるだろうけれど、どんどん手放せなくなると、心の中で思っていた――。
「みゃー、みんないっちょ、ラミィうれしい」
「オルリア様、エルナ様、紅茶が入りました。どうぞお召し上がりくださいませ」
「ありがとう」
それから二十分ほどで、東の塔一階の生活スペースは活気に満ちた。
ラミィが乳母と共に現れ、サイウェンとアーリャが食事を運んでくる。
朝食は焼きたてパンにジャガイモのポタージュ、オムレツとベーコン、さらにはヨーグルトにフルーツの盛り合わせと豪勢だ。紅茶も王家御用達のダージリン
ラミィとオルリアは終始ご機嫌らしく、そんな兄妹の姿に、エルナはそっと笑みを零した。
給仕も含め、こんなに大勢で朝食を囲むのは初めてで。不思議な感覚に、戸惑いと淡い感情が広がっていった。
「オルリア様、そろそろご支度をお願いします」
「ふむ、もうそんな時間か」
雑談も含め一時間ほどが経ち、食事を終えたオルリアは従者にそう促された。
今日は国政の在り方を大臣たちと話し合って決める重要な会議が入っている。
だが、それでも不慣れな場所にエルナを残していくのが心配で、オルリアは気遣うように「また顔を出す」と声を掛けた。
すると、彼女は意外そうに首を振って、
「無理するな? きみは王としての仕事に専念すべきだ。私はきみの体に合う薬の精製作業をしたいし、長く傍にいるわけじゃない。依存はやめた方がいいぞ」
エルナの発言は単に事実を告げただけのように思えた。
彼女はおそらく、誰の好意も受ける気はないと宣言した以上、自分に好意が向けられるとは微塵も思っていないのだろう。
昨晩も普通に眠り、添い寝どころか勝手に抱き枕にしたことすら気付いていない。
もちろん、いつの間にか猫たちに邪魔されてしまったが、弱さを見せ、気を許せるエルナへの気持ちが膨らんできたこちらとしては、少しばかりもどかしい思いだ。
彼女はどうしたら心を向けてくれるだろう。
「……お前はつくづく男心が分からんのだな。私はお前を手放す気は当分ない。大人しく傍を許せ。なんならほら、こうしてお前を釣り上げよう」
心の中に燻ぶる想いを隠し、静かな攻防を見守る全員の前で、オルリアは息を吐くと懐から金貨を取り出した。
瞬時に反応を見せるエルナは、罠とも知らずに金貨の動きに合わせ視線を上げる。
途端額に唇が触れ、驚きに彼女の目が見開かれたのを確認したオルリアは、深い笑みを見せると東の塔を出て行った。
金貨の代償はとても大きい、エルナは今さらながらに悟っていた……。
そうしてオルリアが去り、サイウェンが食器を下げ、タングリーが仕事に出て行った室内で。
「エルナさんは、陛下に愛されているのですね」
アーリャはむすりと頬を膨らませるエルナに微笑んだ。
傍ではラミィがシャドラたちを追いかけ回す鬼ごっこが展開されており、少しばかり忙しない。
尤も、シャドラは敵意のない相手を引っ掻くことはしないので大丈夫だろうと視線を外し、エルナはアーリャに向き直った。
シックな軍服に身を包んだ彼女は、とても格好良い。
「そんなことはあるまいよ。私は彼の薬師だから、そう言う意味で少々依存されているだけだ。長く苦しんだ苦痛を緩和してやれる私に、安心感を覚えているのだろう」
「ふふ、まぁ。エルナさんは罪作りですね。陛下にあんなことをされていたのに。それとも身分が違うと思い、我慢されているのですか?」
口元に手を当て、あたりまえと否定するエルナに、アーリャは笑う。
タングリーが彼女を好きだと気付いたときにはショックだったし、オルリアとエルナのやり取りにむくれる彼を見るのは切ないけれど、恋模様を知ることは人並みに好きなのだ。
特に女性の近衛騎士が少ない分、話せる相手は中々いない。
そう思って言うと、エルナは驚いた顔をした。
「我慢? いや、確かに絶対に
「そんなに否定せずとも。陛下が不憫になりますわ」
「い、いや、それより、きみの軍服は格好良いな。女性の騎士、その個性が容認されるのは良いことだ」
一方、恋話になど免疫のないエルナは、アーリャの話に顔を赤くした後で話題を切り替えた。
初めて見る男装の騎士というものに興味があったのだろう。
もしかしたら、女が剣を持つなどと頭ごなしに否定されなかった国の体制に、魔女という異端も多少は容認される可能性があると思ったのかもしれない。
彼女の感想に、今度はアーリャが目を見開いた。
「お褒め頂き嬉しいですわ。私はあなたの侍女であり護衛。精一杯務めます」
「む。ありがとう。では私もそろそろ仕事に取り掛かる。ラミィ姫を送り出すまでは、ここにいてくれるとありがたい」
アーリャの信頼が少しばかりエルナに向く中で、彼女は立ち上がると部屋を出た。
目下やるべきはオルリアの体に混じった狼の異能を取り除くこと。
そして情に流される前に傍を離れること。
決して、両親の二の舞にはならない。
そう誓い、彼女は地下への階段を下りて行った。
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