第10話 そして夜はやって来る

 王宮の一階に設けられた大会議室は、物々しい空気に満ちていた。


 ここは王宮での臨時会議がなされる場所であり、集うはいずれも手腕と爵位を持つ強者ばかり。

 積極的に悪政を進める叔父一派、そして前王の時代から王家を支えてくれた大臣たちが揃う中、ドーナツ型の円卓中央に進み出たオルリアは、これまでとこれからのことを丁寧に説明していった。


 彼がこれから王としての役目を全うするには、まず彼らの協力が必要だ。


「……という次第で、不安定であった精神も随分と落ち着いて来た。皆には長い間迷惑をかけたこと、心から詫びると共に、どうか私を支えて欲しい。国のために」


 ひとりひとりの顔をしっかりと見つめ、オルリアは威厳のある声音で締め括る。


 前王の腹心として、良き政治を行ってきた大臣や議員は、気持ちを改め、政に意欲を見せたオルリアを支えると言う一方、叔父一派の表情は冴えない。


 おそらく彼らは、私欲のために相当好き放題やって懐を潤わせてきたのだろう。

 正当な国王が正しく国を導いてしまっては都合が悪いのだと、その顔が語っている。


 だが、オルリアは王太子であった時代から父の補佐として政を学び、その手腕をいかんなく発揮してきた存在だ。彼がいざというときに放つ凍るようなオーラ含め、逆らえる気はしない。


 それでも赤ら顔で抵抗を試みる叔父を丸め込んだオルリアは、四時間に及ぶ会議を終えた。

 夏の日差しはゆっくりと傾き、間もなく菫色の空が現れる。


 大会議室を出て空を仰いだ彼は、その足で東の塔へと向かって行った。





 東の塔へ入ると、入り口付近で他愛のない会話に興じるアーリャとタングリー、そしてカーペットに座り、ぼんやりと愛猫たちを撫でるエルナの姿が目に入った。

 経緯は分からないが、時折彼らを視界に入れるエルナの表情は、どこか寂しげに見える。


 心許ない姿に、オルリアは思わず声を掛けていた。


「浮かない顔をしてどうした、エルナ?」

「オルリア……。会議は終わったのか?」

「ああ。それよりどうした? 置いて行かれた子猫のような顔をして。タングリーに放置されて寂しかったのか?」


 視線を合わせるようにしゃがみ込み、揺れる炎の瞳を見つめると、エルナは目を見開いた。

 彼が持つディープレッドの瞳には、エルナだけが映っていて。

 深いガーネットのような色合いに魅せられて、一瞬戸惑いを見せたエルナはすぐに視線を外して俯く。


「何でもない。大丈夫だ」


 幼い顔立ちと身長のせいもあって、彼女の姿はとても愛らしく見えた。


「……タングリー。ベリトリス嬢との話に夢中になるのもいいが、エルナにとっては初めての場所なのだ。もっと彼女に気を遣え。逢瀬はあとにしろ」


 その姿に唇を引き締めたオルリアは、あくまで何でもないことのように振舞うエルナを見つめたまま、タングリーに言い置いた。


 聞こえてきた会話から察するに、アーリャはエルナの護衛と世話役をベリトリス団長に任され、タングリーが色々説明していた、と言ったところなのだろうが、それでも彼女を一人にさせていたことがなんとなく許容できなくて。


「え、いや違うって。ちょっと世間話を……。エルナ、違うからな! さ、寂しかったならいつでも頼ってくれ」


 慌てて取り繕おうとするタングリーに、オルリアは首を振る。


「いいや、彼女の傍には私がいる。あとは下がっていいぞ、タングリー」

「えぇ……。ごめん、エルナ。本当に違うからな!」

「エルナ。間もなくサイウェンが夕食を運んできてくれる。猫たちの分も含めてだ。加えて、この塔には私が許可した者以外入れないと、先程会議で承認させてきた。安心してよいぞ」


 時間で言うと僅か数分なのだが、それでもエルナから目を離したことを後悔するように、タングリーはあわあわと食い下がった。

 その横でアーリャは微妙な表情を見せ、エルナは平気だと笑んでいる。


 彼女の傍にいなかった自分が悪いのか、タイミング悪く入って来たオルリアが悪いのか。うあ~と呻いたタングリーは、項垂れたままベリトリス団長との晩酌に向かって行った。





 夕食が運ばれてきたのは、それから間もなくのことだった。

 エルナやシャドラはもちろん、なぜかオルリアの分まで運ばれてきた食事はとても豪勢で。

 理由を問うと、ここはちょうど王宮の陰で月が見えないから、しばらくここにいたいのだと言ってきた。


「あとは、大食堂には叔父上がいらっしゃるだろうからな。数日で自分の屋敷に戻るとは言っていたが、あの人と食べる気にはならない」

「なるほど。確かにあの男はちょっと怖かった。さっき現れた団長とやらも怖かったが……」


 赤ワインと共に子羊のローストを嗜む彼を見つめ、エルナはコクリと首肯する。

 確かに悪政を布いていた叔父と食べても、ご飯は不味くなるだけだろう。もっとも、エルナと食べて美味しいのかという疑問はあるが、そこは一旦置いておこう。


 前菜から始まり、オニオンスープ、白身魚のソテー、メインにパンにデザートという、普段の生活からは考えられないようなフルコースに戸惑いながら、エルナは器用にナイフとフォークを使っていく。


 傍では三匹のシャドラたちが湯煎してちょっぴり味をつけたお魚たちを堪能していた。





「ああそうだ、エルナ。お前にこれを渡しておこう。サイウェン」

「はい、準備しております」


 そして、他愛のない会話と共に食事を終えたころ。

 オルリアは桃とオレンジのケーキを食べるエルナに、どさりと革袋を置いて切り出した。


「……!」


 直径十五センチほどの上質な皮袋には、なにやら素敵なものが入っている音がする。

 敏感にそれを察したエルナは、いそいそとケーキを平らげて、


「もしやこれは……」


 ごくりと飲んだ生唾と共に革袋を引き寄せる。


「予想通り、一先ひとまずの報酬と生活費、百コルドー金貨だ。国の予算ではなく私個人の資産から出した。生活や仕事に必要なものなど、好きに使うといい」

「ひゃ、百ぅっ! いいのか? 嬉しいぞ! シャドラたちに新しいおもちゃ買う!」

「フフ、金貨を出したときが一番無邪気だな、エルナ」


 結ばれていたリボンを外し、はしゃいだり、うっとり中身を確認するエルナを見つめ、オルリアは慈しみと呆れを半々にしたような笑みを零して呟いた。

 普段は不遜な彼女が、子供のように目を輝かせる姿はとても愛らしい。

 頬杖をして見ていると、エルナは改めてオルリアに向き直った。


「ありがとう、オルリア。大事に使う!」

「!」

「地下の寝室に金庫があるからしまって来るよ。今日の薬も飲んだし、きみはもう大丈夫だと思うが、不安なことがあれば言ってくれ。私は必ず、きみを普通の体に戻してやるから」


 無邪気でかわいらしい笑みを浮かべ、エルナは一旦彼の元を後にする。

 エルナの後ろを三匹のシャドラが追随し、彼らは地下へと降りていった。

 足音と扉を開閉する微かな音が聞こえた後、この場はとても静かになって――。


「……おや、オルリア様もそのような表情をされるのですね」

「黙っていろ、サイウェン。私自身少し戸惑っている」

「ほほ、そうですか」





「よし、これで大丈夫だ」


 同じころ。東塔の地下にやって来たエルナは、至福の笑みで金貨をしまい込むと元気よく顔を上げた。


 地下は手前が薬の精製室、奥が寝室という構造になっており、精製室には調合に使っていたと思われるガラス瓶や試験管が置かれ、寝室にはワインレッドの天蓋がついた豪奢なベッドにサイドチェスト、本棚、テーブル、ソファなど、最低限だが品の良いものが揃っている。


 きっとここにいたという薬師は、それなりに身分が高かったのだろう。

 予想をしながらエルナはシャドラたちに向き直る。


「今度おもちゃ買ってあげるからな。みんなあとはゆっくりしてくれ」

「みゃあ」


 まるで今日の任務は終わりと言わんばかりに、エルナは大きく手を振った。


 シャドラは主人と認めた者に対し、とても強い忠誠心を持つ生き物だ。移動中、ずっと周囲を警戒し、気を張っていたであろう彼らにも休んで欲しいと思う。

 言った途端、ふかふかのソファで丸くなる彼らを撫でたエルナは、しばらくして聞こえてきた足音に視線を向けた。


 石造りと言うこともあり、足音は良く響くのだ。





「……どうした?」


 ギィと扉を開け、今にもノックをしそうな態勢の彼に、エルナは先手を打って問いかけた。

 躊躇いがちに精製室を越えたらしい彼は、奥に続く寝室の前で佇んでいる。先程までと違い、どこか顔色が良くない様子だ。


「体調が悪いのか? それとも……」

「ああ。夜が深まるにつれ、強くなる月の気配に落ち着かなくなってきた。満月が、恐ろしい」


 最後の言葉は、消え入るように小さくて。


 目元を覆い嘆くオルリアは、半月の光がほんの少し触れただけでもダメだった。

 本当に、月に対する耐性がないのだろう。

 不憫になって腕をさすると、彼はまた強くエルナを抱きすくむ。


 苦しいほどに抱く腕は、少し震えているようだ。


「オルリア、なぜきみはそんなにも月を恐れる?」

「……!」


 それを確認したエルナは、寄り添うように背中を撫でてやりながら確認する。


 彼が人狼となり、被害を出すことを恐れているのは分かる。だが、オルリアの怯え方は「そうなるかもしれない」の域を超えている。

 まるで既に誰かを傷つけているようだと思い尋ねると、彼の瞳が揺らぎ出した。


 きっと彼にはまだ、話していないことがあるのだろう。

 ひとつ息を吐いたエルナは、出来るだけ優しい声音でもう一度問いかける。


「話したくなければ構わない。だが、私はきみの薬師だ。きみを否定したりしない。どんな弱さも闇も晒して構わないんだ。私が傍で受け止め、出来る限りのことをしてやるぞ?」


 囁き、諭すような声に薬師としての使命を乗せ、瞳を伏せる。

 王族ともなれば、必然的に高いプライドや弱さに対する引け目もあるだろう。


 だけど今だけは、ここでだけは、弱くてもいい。

 薬師だった祖母に倣って寄り添うと、額に唇が触れた。


 ディープレットの瞳がエルナを見つめ、そして……。

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