第9話 東の塔の炎帝姫
談話室を後にしたエルナは、ラミィと、迎えに来た彼女の乳母に別れを告げ、タングリーと共にこれから住むことになる東の塔へ歩みを進めた。
東の塔は元々、十数年前まで在籍していた老齢の女性薬師が住まい兼精製所として使っていた場所らしい。
一階には談話室などの生活スペース、地下に精製室と寝室があるという。
「なぜ寝室が地下なのだ?」
よどみなく説明をしながら城と塔を繋ぐ廊下を進むサイウェンに、エルナは問いかけた。
「薬の精製で疲労した体をすぐに休めたいからとの希望でしたな。問題がありますか?」
「いや、少し気になっただけだ」
「左様で。さて、こちらが塔の入り口になります。鍵はエルナ様と私、そしてオルリア様が常備する形となりますが、よろしいですかな?」
ギィと鈍い音を立て、扉を開けたサイウェンは、まず左手に見える木製の扉へと
吹き抜けなのか、嫌に高い天井を見上げたエルナは、塔の構造を理解しながら頷いた。
「分かった。それで構わないよ」
「いや。女の子の部屋の鍵をサイウェンさんはともかく、オルリアが持つってどうなんだ……?」
だが、コクリと頷くエルナ横で、待ったをかけたのはタングリーだ。
それはおそらく、タングリーにとってなけなしの抵抗なのだろう。
相手が親友で国王でエルナと契約を結んだ者だとしても、近しい関係にはなってほしくない。
たとえ当人たちにまだ明確な感情がないとしても許容しがたいものはある。
しかし、相変わらず分かっていないエルナは首を傾げ、
「でも、万が一急な体調不良で来た際に、私が地下室に籠っていて気付かなかったらことだろう。私は一応彼の薬師なのだし」
「うん。そう言う意味じゃないな」
「ほほ、日中は何かあると困りますので、警護をつけさせていただきますよ。ベリトリス団長に連絡しましたので、間もなくこちらに来られるかと」
がっくりと肩を落とす彼の心情を悟ったサイウェンは、同情の眼差しを向けた後で一階の生活スペースに二人を招き入れた。
メイドによって整えられた室内には、少し古いデザインながらも品の良い家具たちが並び、色味は先程の談話室同様、赤をメインに統一されている。
「うん。素敵な場所だ。家具もかわいい。シャ……猫たちを放しても大丈夫か? 一応、変なところで爪とぎしないよう、躾はしてある」
「ええ。構いませんよ」
「助かる」
全体をぐるりと見渡し、旅行用トランクとシャドラ入りのケージが置かれていることに気付いたエルナは、念のため許可を取ると、ケージから三匹のシャドラを出してあげた。
好奇心旺盛なクリュエは早速室内を物色しだし、臆病なリーファはケージの傍にころり。虎サイズから猫サイズにまで魔法で小さくした最後の一匹、茶トラのマーティはケージの中で眠っていた。
「それではごゆるりとお過ごしくださいませ。私は一旦、オルリア様の元に戻らせていただきます。また折を見てお伺いさせていただきますね」
「ああ」
愛猫に囲まれ、少しだけ強張りを解いたエルナに、サイウェンは一礼をすると出ていった。
残されたタングリーは手持無沙汰なまま、少しだけ開けられた窓の近くでリーファを撫でるエルナを見つめる。
彼の視線は穏やかで、いつまで見ていても飽きないのだろうと思わせるほどに優しい。
だがしばらくして、窓から何かが入ってきたことに気付いたタングリーは意識をそちらに向けた。
「なんだ? 鳥?」
視線の先に見つけたのは、足に手紙を括りつけた薄茶色の梟だった。
予想外の生き物にタングリーは驚き、目を丸くしている。
一方で
「おお、流石ルシウス! 仕事が早いな」
「ル……何なんだ、エルナ?」
歓喜が滲む声で梟を撫でたエルナは、実にうきうきと手紙を外し、不思議顔をするタングリーに振り返った。
丁寧に折り畳まれた手紙には、どこかの紋章が押されている。
「欧州国際連盟魔法部の知り合いに王宮での大型シャドラ飼育許可証を発行してもらったんだ。これでマーティを元の大きさでも飼える。他にもお小言付きのようだが、それはあとにしよう」
にこりと無邪気な笑みを見せ、ケージの中で眠るマーティに視線を向けたエルナは、他の手紙をローテーブルの上に放り投げ、許可証だけを抱きしめた。
折られていたはずなのに皺ひとつない手紙には「
「炎帝姫……? この呼び名はエルナのことか?」
と、共通言語のおかげで読み取ることができた宛名が気になったのか、タングリーは首を傾げて問いかけた。
彼女が「炎帝の一族」と呼ばれる名家の出身なのは知っていたけれど、普通は炎帝の魔女と呼ばれるはずだ。姫は単なる美称なのか、それとも。
「ああ。私に良くしてくれる皆が呼ぶ名前だ。的確に私の素性を表したものともいえる」
「……?」
「そう言えばタングリーにも話してはいなかったな。私は……いや、まぁ、そう呼ばれるような血筋なのだよ」
言いかけた口を濁し、エルナはどこか寂しげな顔で俯いた。
エルナが魔女と王族の娘であることは、タングリーにも話していない。だからこそ微妙なまま話を打ち切ると、今度は不意に扉がノックされた。
どんどんと叩く音はやけに大きい。
「おおタングリー! ようやく帰ったか! 心配したぞ」
「うわっ、団長!」
はいと返事をして扉を開けると、現れたのは大声をあげる体格のいい男だった。
タングリーと同じストーングレイの軍服に身を包んだ彼は、扉を開けたタングリーにいきなりがばと抱きついてくる。
もしかしてこの人がサイウェンの言っていたベリトリス団長なのだろうか。
「苦しいです。あと気持ち悪いんでいきなり抱きつかないでください」
誰とも知れない人物の登場に、部屋を物色していたクリュエと傍にいたリーファが揃って膝の上に駆け込んでくる中、エルナは警戒心を持ったままタングリーを放さない男に目を遣った。
タングリーもオルリアも、
彼の奥に控える少年の存在も悟りつつ、「そう言うな。勝手に有給を取った代償。今晩は相手してもらうぞ!」「嫌ですよ。団長、酒癖悪いんで。また机を破損させたらどうするんです」などと言い合う二人を、エルナは黙って見つめている。
「……はぁ~。悪いエルナ。変なところを見せた。こちらは俺の上司的な、近衛騎士団第一師団のベリトリス団長だ。後ろにいるのは団長の娘で、同じく近衛騎士のアーリャちゃん」
しばしの押し問答を経てようやく解放されたタングリーは、微妙に疲れた様子で彼らを紹介した。
確かタングリーは第一師団第二部隊の副隊長……だったような。役職には興味がないので曖昧な記憶を辿っていると、紹介されたベリトリス団長は、どこまでも響くような大声をあげた。
「グリトス・ベリトリスだ! 念のための警護と連絡を受けて参った次第! 我が第一師団が誇る剣の使い手! 娘のアーリャを護衛兼侍女としてお使いくださいませ!」
まるで、遠くにいる人間に話しかけるような声量を武器に、彼は一気に話を進める。
こんなに大声を出す必要はないと思うのだが、周り見るにこれが彼の普通なのだろう。思わず体が委縮し、シャドラたちが怯えるのを
後ろに控えていた軍服姿の華奢な少年が、男装の娘だったことに驚く余裕も正直ない。
「うむ。それでは本日は多忙につき、私は失礼させていただきますぞ! タングリー、今晩は必ず俺のところへ来い! 特別な酒を持って待ってるからな!」
「えぇ~……」
嵐のように現れ、暴風のように宣言したベリトリス団長は、満足したように娘を置くと、忙しなく出ていってしまった。靴音が石の塔に木霊し、すぐさま遠ざかっていく。
もしかしたら、現在開催中の会議で波乱が起きないか、警戒しているのかもしれない。
心の中で推察していると、不意に大きなため息が聞こえてきた。
「……相変わらずだな、団長。いや、半月離れただけじゃ変わらないか」
「ふふ、パパはタングリー様を気に入っているのですよ。お久しぶりですね」
「ああ。でもアーリャちゃんも巻き込まれて災難だったな。しかしいいのか? 騎士としての護衛はともかく、伯爵令嬢が薬師のお世話だなんて……」
半ば呆れたように肩を
「いいのですよ。今までも時々騎士団のお世話をしておりましたし」
長い黒髪をまとめ、ストーングレイの軍服を着こなす姿は一見して少年のようだが、言葉遣いや仕草は女性らしい。
そして何より、気兼ねない雰囲気で話す二人はなんだかとてもお似合いだ。
彼が自分を好きと言ってくれるのも嬉しいけれど、やはりこの国の貴族令嬢と幸せになるのが彼のためだろう。
なんせエルナは、魔女の裏に王女の肩書きを隠す厄介な存在。
魔法族の中でもとりわけ異端なのだから……。
「浮かない顔をしてどうした、エルナ?」
「!」
そんな思案を胸に抱え、震えるモフモフを撫で始めてからどれだけの時間が経っただろう。
不意に響いた声に顔を上げたエルナは、目の前にあるディープレットの瞳に目を瞬いた。
そこにいたのはパールグレイの髪を流す麗しの国王オルリア。
――どうやら無事に会議が終わったようだ。
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