第8話 波乱の始まりと自称筆頭妃候補

 にこりと笑みを浮かべ、炎帝えんていの魔女と言い切った従者の言葉に、エルナは一歩足を引いた。


 魔法族の存在が広く知られるようになって四十年余り。確かに魔法族の筆頭として知られる魔法名家の特徴は、調べれば手に入る情報だろう。


 問題は、彼に悪意があるかどうか。


 魔法族をうとむ者ならば、最早ここにはいられない。警戒と緊張を滲ませつつ、表向きは平然と装って次の言葉を待っていると、彼は「ご心配なく」と前置いた。


「私は魔力を持つ皆様に純粋な敬意を持っております。もう四十年近く前になりますが、私は東欧で起きた魔法族のいさかいを止めるため、欧州国際連盟派遣の一兵士として戦場に出ておりました。その際に見た魔法名家の方々の雄姿は忘れません」

「……!」

「それ以来、憧れという意味で色々と調べていた時期があったのですよ。こうして本物の魔法名家の方にお会いできるとは、人生何があるか分かりませんな」


 オルリアに対する棘のある物言いとは打って変わり、心なしか弾んだ声音で彼は言う。


 欧州国際連盟は、欧州にある国々の大半、実に四十一ヶ国が加盟する一大組織だ。

 ここエイムストン王国はもちろん、魔法王国も加盟国として名を連ねており、有事の際に連盟を通して様々な協力関係が築かれる。


 元は軍人だった従者サイウェンは、そこで魔法族を目にしていたのだ。


「サイウェン、お前が魔法族に友好的なのは何よりだ。だが、ここには叔父上をはじめ、何を言い出すか分からない連中も多い。しばらく彼女の素性は秘匿しておいてくれ。念のため警護をつけると言うのであれば、それでも構わない」


 わずかに揺らぐ瞳と、恐れるように一歩引いた足に気付いていたオルリアは、感動でいっそ目元を潤ませる従者に、一拍置いて進言した。

 彼に敵意がないのなら、エルナがすぐさま踵を返すことはないだろう。


 念のため肩を抱くように手を置き見つめると、サイウェンは恭しく頭を下げた。


「かしこまりました。それではいつまでも玄関先というわけにも参りません、中へ……」


「どけ! 使用人共! 今さらオルリアが帰って来ただと!?」

「オルリア様~っ! このレオッカ、ずっとお帰りをお待ち申し上げておりましたわぁ~っ」

「みゃー、おにいしゃまー」


 だが、ようやっと玄関を越え、エントランスホールに向かおうとしたそのとき。


 バタバタという忙しない足音が聞こえ、三人の男女が勢いよく飛び出してきた。


 ひとりは濃灰色のオールバックに口髭、褐色の瞳をした気難しそうな壮年の男。

 もうひとりは縦ロールの金髪ツインテに藍色の瞳をした若い女性。女性の横には薄茶色の髪にルビーの瞳をした幼い少女が手を繋いで立っている。


 オルリアにとってはよく見知った面々に、笑みと同時にため息が漏れた。


「これはこれは叔父上。お久しゅうございますね。今までご迷惑をおかけしました。これより私が王の役目を果たして参りますので、ご安心いただければと思います」

「何を……っ。すべてを放棄したおぬしが……」

「言いたいことは多々ございましょう。これより説明を兼ねた会議をさせていただきたいと思いますので、大臣議員方を招集いただけますかな。もれなく全員お集めください」


 彼に対する敬意なのか、至極丁寧な口調でオルリアは青筋を立てる男に告げた。

 物言いは静かだが、オルリアの言葉には有無を言わせないような強さがある。一瞬にして空気が凍り、傍にいた使用人たちがびしりと背筋を伸ばした。

 その様子を見つめ、エルナはなるほどと思う。


(……引きこもり国王と呼ばれる所以ゆえんは、何も政を放棄し、苦しむ国民を無下にしただけではないようだな。いざというときに放つオーラ。確かに敵に回したくはない)


 オルリアから視線を一瞬だけ正面に向けると、男が身を引くのが分かった。

 チッと舌打ちをした彼は肩を怒らせたまま背を向け、


「いいだろう。一時間後の緊急招集で知らせを出す。すべてはそこでだ」

「ええ」



「……それで、お前はどうしてここにいるんだ、レオッカ? 私の妹まで連れて」


 荒々しく去って行く叔父を見送ったオルリアは、次に彼の隣にいた少女に声を掛けた。

 エルナと同じか少し年上と思しき少女は、オルリアの声に目を輝かせ、


「もちろん、オルリア様のお出迎えですわっ。レオッカはオルリア様の。そして筆頭妃候補として未来の義妹いもうとの遊び相手くらい、造作もないのですっ」


 さもあたりまえと言わんばかりに胸を張る。


 しかし、その言葉にため息を吐いたオルリアが何かを言う寸前、彼女は隣にいるエルナの存在に気付いたらしい。

 さっきまで肩を抱かれていたせいか、随分と近い距離にいるエルナに、レオッカの眉が吊り上がった。


「まぁ誰ですのっ、この庶民っ。レオッカのオルリア様に近付くなんて不届きだわっ」


 持っていた扇で口元を隠し、彼女は明らかな侮蔑の目を向ける。


 レオッカは蝶よ花よと育てられた公爵家の令嬢だ。女性的で優美なS字のシルエットに、ふんだんにあしらわれたフリルとレース。ふんわりとした袖という、これでもかと今時を詰め込んだドレス姿でエルナを見下ろす目は冷たい。


 一歩下がりかけて、エルナは何とかその場に持ちこたえた。


「レオッカ、言いたいことは色々あるが、とかく彼女を貶めるのはやめるんだ。彼女は私の特別な薬師。エルナを悪く言うことは絶対に許さない」

「まぁっ。ただの薬師……」

「そして、筆頭妃候補と吹聴するのもやめるんだ。私はそれを受け入れた覚えはないし、体が万全になるまで薬師エルナ以外、傍に置く気はない」


 淡々と、そして厳かに、オルリアはレオッカの話を否定する。

 二人は幼少期より幾度も城で顔を合わせてきた幼馴染みのような関係だ。そして彼女の父親である内務卿は、確かに熱心に縁談を進めようとしていた。


 だが、異能を得た際にこの手の話は、国内外すべて丁重な断りを入れた。事実無根でエルナを威嚇したり、妹に取り入ろうとするのは我慢ならない。

 レオッカの元を離れ、抱っこを求める妹を抱き上げたオルリアは、いい加減城内に入ろうと、エルナとタングリーを促した。


「さあ、参ろう。いつまでも夏の日差しに当たっていては毒だろう。そして、使用人かれらを立たせたままにしておくわけにはいかん」

「ああ、うん……」


 その後ろ姿を、レオッカはどこか悔しげに見送るのだった。





「久しぶりだな、ラミィ。ずっと会えなくてすまなかった。大きくなったな」

「おにいしゃまー。あえた。ラミィうれしい」


 一先ず会議が始まるまでの時間、オルリアと妹のラミィ、エルナ、タングリーの四人は、城の二階にある談話室に入った。

 広々とした談話室は赤を基調とした重厚感のある造りで、曲線が目立つ猫足のソファとローテーブルを中心に品のある家具たちが並んでいる。


 レースのカーテンを通し窓から入る日差しと、植物柄の花瓶に活けられたトルコギキョウを眺めていたエルナは久々の再会が叶った兄妹のやりとりを聞くともなしに聞いた。


 弱冠四歳の王女は、前国王夫妻念願かなっての二人目らしい。だが、最早ここまで年が離れていると親子のように見えるなとエルナは心の中で思っていた。


「おねーしゃん」


 すると、いつの間にかオルリアの隣を離れたラミィは、とてとてとエルナの傍にやって来た。

 オルリアよりも澄んだルビーのような瞳を持つ幼女は、一心にこちらを見上げている。気付かないうちにオルリアがエルナを紹介していたようだ。


「おねーしゃん、くしゅりのせんせ。しゅごい!」

「そうか? お褒めいただき光栄だ、お姫様」

「みゃー、かみふあふあ。ラミィさわりたい」


 舌ったらずな口調にキラキラとした好奇心を乗せ、ラミィは笑う。

 うんと手を伸ばし、器用にソファによじ登った彼女は、胸元まで伸びるエルナの赤い髪に触れる。

 初対面でも物怖じしないのは流石子供だが、幼い子と触れ合う機会をあまり持たなかったエルナは、困惑した顔でされるがままになっている。

 ふと、無邪気な様子に先に部屋に運んでもらおうと預けたシャドラたちの奔放ぶりが過っていた。


「フフ、ラミィはエルナを気に入ったようだな」


 と、そんな二人を微笑ましげに見つめたオルリアは、柔らかい口調で呟いた。

 王族は嫌いだと宣言していたこともあり、エルナが妹とも上手くやっていけるのか、一抹の不安があったのだろう。


 従者が用意した紅茶を飲み終え、柱時計の時間を確かめた彼は、ひとつの安心を得た後で覚悟を決めたように立ち上がる。そろそろ会議の時間だ。


「さて、私は会議に行かねば。タングリー、準備が出来次第エルナを送ってやってくれ」

「ああ」

「エルナ、会議が終わり次第塔を訪ねる。私の従者は優秀だ。安心するといいよ」


 自身もまたこれから悪政を布いていた叔父一派と対峙すると言うのに、オルリアはそれでもエルナを気遣うように笑みを漏らした。

 彼の視線は揺るがないが、瞳の奥に不安が宿っているのは分かる。


 ひとしきり髪を撫でて満足したラミィが離れたのを確認したエルナは、同じように立ち上がると彼の傍に歩み寄った。


「ありがとう、オルリア。私もきみにこれを渡しておこう」

「これは……」

「ハーブと鎮静効果のある魔法草を調合した飴だ。月が出ないうちはきみが暴走することは決してない。だが、会議が白熱したことによる感情の昂りに、不安を感じることもあるだろう。お守り代わりに持っておけ」


 小花柄の包装紙に包まれた飴を差し出し、エルナは薬師として彼の不安を的確に補う。

 貴族たちの会議がどんなものかは知れないが、仮にもオルリアは十ヶ月引きこもって政を放棄した国王だ。風当たりが穏やかだとは思えない。


 その辺りを推察しながら差し出すと、オルリアは大事そうに受け取って。


「ああやはり、お前を私の薬師にして正解だった。行ってくるよ」


 麗しい笑みと共に会議へ向かって行く。


 そんな二人の姿をタングリーが微妙な顔で見つめていた……。

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