第2章 王宮の魔女は薬師で癒し係を履行する
第7話 王の帰城と薬師の来訪
翌朝。日が昇り切らぬうちに家を出たエルナは、魔法をかけた三匹のシャドラをケージに入れると、オルリアたちと共に森の入り口に向かって歩き出した。
もちろん、敷地内への防犯対策はしっかり施したものの、住み慣れた家を離れると言うのはどこか寂しくて。にゃあと鳴くシャドラに笑みを見せた彼女は、隙間から彼らを撫でる。
眼前では森の入り口に放置しては可哀想だと連れてきていた馬車用の馬を、タングリーが連れていた。
「それにしても、駅舎のある街まで馬車で半日も掛かるとはな」
それらを見るともなしに見ながら、エルナは聞いた話を意外そうに呟いた。
彼らはこれから半日かけて駅舎のある街まで行き、そこから汽車に乗って移動。途中下車も含め三日かけて王宮へと帰る予定だ。
「ああ。でも汽車を使えるだけましだよ。行きはオルリアが絶対に人に会いたくないって一週間以上のんびり馬車旅だったんだ」
「当然。異能が発現する条件等もよく分かっていなかったんだ。下手に人の多い場所で発現し、臣民に危害を加えるわけにはいかない」
「俺はいいのかよ……」
どうやらこの近くまで線路を伸ばすはずだった計画は、前王の死去とオルリアの引きこもりにより頓挫しているとのことらしい。余計な情報も加えつつ、灰毛のがっしりとした二頭の馬を器用に引きながら、タングリーはぼやいた。
流石、普段は王国の騎士をしているだけあって、馬も扱いなれているのだろう。隣でエルナの旅行用トランクを持つオルリアも馬は任せきりのようだし、普段からこういう事態には慣れているのかもしれないと思った。
「さて、じゃあ
二十分ほど歩いて馬車へ辿り着いたエルナは、荷物とシャドラを運び込むと、タングリーに言われるがまま中へと入った。
御者台に腰かけ、手綱を握るタングリーの合図と共に車輪が回る音を聞きながら、彼女は窓の外に目を遣った。
エルナにとって久方ぶりの長距離移動。自然と胸が高鳴り、意識が流れる風景へと向く。
祖母に助けられ、転々とした後で辿り着いたこの森とも、しばらくはお別れだ。
(運命から逃れるために城を出た私が、また城に行くことになるとはな……。運命は一体、何を望んでいるのだ。こればかりは、水晶も教えてはくれまい……)
遠ざかる景色。
やがて森を抜け、時折訪ねているヒューンズ侯爵家領の大きな街を横目に彼らは進む。
時折会話をしながらも静かな馬車の中で、エルナはそっと自らの運命に思いを馳せていた――。
そこからの旅路は順調だった。
駅舎の近くに着いたエルナは、人目がないのを確認した後で馬車と馬を魔法で小さくして鞄に詰め込み、そのまま汽車へと乗り込む。
一等車からの眺めは素晴らしく、初めて乗る汽車というものに、エルナもシャドラたちもはしゃいでいた。
三人でひとつのコンパートメントに身を寄せ、夜はオルリアの希望で人気のない町はずれに馬車を停め眠る。
正直、宿で眠りたい気持ちはあるものの、満月が近いこともあり彼の不安も大きいのだろう。
せめてエルナだけでも宿で、というタングリーの進言は却下され、馬車の中はエルナとオルリアの二人きり。
どうやら彼は、
昨日も寝付くまで傍にいてやった以上、もういいかと半ば諦めている。
それでも、二人きりは良くないと騒ぐタングリーを考慮し、空気の見えない壁を作ったエルナは、座席に置いてあったクッションを枕に浅い眠りに就いた。
向かいではオルリアが月に触れないよう、目隠しをして座ったまま眠り、タングリーは様々な意味での万が一を考慮して、外で寝ずの番をしている。彼の主な睡眠は日中の汽車移動中だ。
尤も、夕食毎に飲んでいる変身抑制薬が上手く効いているのか、オルリアが夜に魘されることは減っていった。
そしてようやく旅路を終えたのは、予定通り森を出て三日半が経った頃だった。
海に面した王都・スティリアの駅舎は大きく、風に乗ってほのかに潮の香りが漂ってくる。
エルナにとって初めての王都に、思わず足が
「ここからは馬車ですぐだ。敷地内に入ってからの方が長いかもしれん」
「そうだな。エルナ、また馬車を出してくれ。門衛は顔見知りだと思うし、問題なく城の前まで着けると思うから」
「ん……」
馬車が行き交う道と、舗装された石畳を行く人々。
華やかで活気に満ちた大通りと、脇道に
今さら怖気付くわけではないが、これから多くの貴族たちに会うかもしれないと思うと、嫌に動悸が激しくなっていった。
「これはこれはオルリア様。どこぞへ雲隠れしてしまったかと思えば、よくぞお帰りくださいました。ようやく、外へ出てくださったのですね」
「……」
門衛に話をつけ、広大な庭を進んだ先にある王宮の正面玄関に辿り着くと、片眼鏡をかけた初老の紳士が出迎えた。
微妙に棘のある物言いをする彼は、オルリアの身の回りの世話をしていた従者らしい。
どうして王の帰城が分かったのかは知れないが、彼にはどこか待ちかねた雰囲気が漂っている。まさかずっと、正面玄関で帰りを待っていたのだろうか。
「ああ。色々と迷惑をかけたな。サイウェン」
「いえいえ、主を心配するのも従者の務めです。それよりどちらにお出かけなさっていたのですか? かわいらしいお嬢さんまでお連れして」
ロマンスグレーの髪を丁寧に撫でつけ、目元に皺を浮かべ笑んだ従者は、エルナに一度目を向けて問いかけた。物腰は柔らかでも見定めるような鋭い視線に、思わず喉がひゅっと鳴る。
それでも我慢して耐えていると、オルリアは彼女の肩に手を置いて説明した。
「タングリーの案内で腕の良い薬師の元まで行っていたのだ。彼女の薬のおかげで症状は随分よくなった。しばらくは王宮で私の薬師をしてくれるよう頼み、連れて参った次第だ」
よどみなく、自分の異能もエルナが魔女であることも隠しつつ、オルリアは説明する。
本当のことをすべて話すわけではないけれど、嘘はひとつも存在しない。そう言う話し方に慣れているのだろう。
御者台を降り、こくこくと首肯するタングリーにも目を向けた従者は、また笑みを深くした。
「左様ですか。しかし専属の薬師を連れて来られるとは、王宮の侍医が泣きますな。オルリア様のお役に立てないとさんざ嘆いておりましたゆえ」
「それは……悪いことをしたな。だが、私の症状は少し特殊なのだ。それより、彼女を東の塔に住まわせたい。あそこは十数年前まで王宮の薬師が薬の精製含め使っていた場所だ。人を向かわせ、内部を整えてくれるか?」
また微妙に棘のある物言いで笑う従者に、オルリアは言葉を濁した後で指示を出す。
ちらほらと王の帰還に気付いた使用人たちが正面玄関に集まり出し、一部の――おそらくこの間、実権を握っていたオルリアの叔父一派に加担している――者たちが、慌ただしく駆けていく。
まずは、大臣たちを集めて詫びも兼ねた会議が必要だ。
彼らの姿を目の端に捉えたオルリアは、不安そうにしているエルナに向き直った。
「エルナ、今から部屋を整えてもらう。その間、どこか客間に案内させる。旅は疲れただろう。私も後で向かうが、先に休んでいてくれ」
「分か……りました、陛下」
「フフ、いつも通りで構わない。陛下でも国王でもなくオルリアと呼んでくれ」
「オルリア。分かった」
わざとらしい敬語と白々しい呼び名。玄関先にもかかわらず、しれりとそれを是正させたオルリアは、ごほんと咳払いをする従者の声に視線を戻した。
主の交友関係をとやかく言うタイプではないはずだが、やはり庶民の娘が王を呼び捨てるのは
「オルリア様。まず東塔の一件は承知しました。すぐにメイドたちを集め、内部を整えさせましょう。使用するのは一階と地下室でよろしいですかな?」
「ああ、構わない」
「そして薬師殿――エルナ様と仰いましたかな、のご休息についても準備を致します。しかし、あまり彼女を
冷静な口調でそれを告げ、従者はもう一度エルナと目を合わせる。
彼女の瞳は炎のように赤とオレンジが揺らぐ色合いだ。一族特有の瞳を確認した従者は、近くのメイドたちに聞こえないような小声で呟いた。
「ましてやエルナ様は魔女とお見受ける。それもただの魔女ではない、炎の精霊の加護を受けた炎帝の魔女。そのようなお方をお招きするからには、こちらも相応の準備が必要かと」
「……!?」
それは思いもよらぬ発言だった。
隠し通そうと決め、約束までした正体を暴かれたエルナは、手のひらを握りしめる。
逃げるべきか。
迷いを抱く彼女の正面で、従者は嬉しそうに笑った。
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