第6話 添い寝が契約範囲内だと……?
昨夜の出来事を聞かされ、悶々とするタングリーの正面で、食事を終えたエルナは準備をすべく立ち上がった。
この場を離れると言うからには、それなりに準備が必要だろう。
「さて、私は荷物をまとめる準備にかかる。国王殿はまだ体力が回復していないだろうから、回復薬を用意するよ。飲んでまたしばらく寝ているといい。ソファでは寝にくいだろうし、私のベッドを使っていいぞ」
「男を寝室に入れちゃダメだぞエルナ……」
「タングリーはその間、王宮への帰路について考えてくれるとありがたい。私は、この土地の外に出たことがないから分からないんだ」
タングリーのなけなしの指摘をスルーしつつ、食器をキッチンへと運んだエルナはふわりと杖を振る。
ソープナッツを用いた洗剤と水の精霊が踊り、綺麗になった食器は風の精霊による乾燥を経て棚へと戻って行く。その間に薬棚からオレンジ色の液体が入った瓶を取り出したエルナは、それをオルリアへ手渡した。
「これが回復薬だ。私の腕ではまだ味が美味しくならないんだが、我慢してくれ。はちみつのキャンディも一緒に渡しておくよ」
「助かる。タングリー、お前は一旦屋敷に帰って薬師契約書を用意してくれ。血判と追記はこちらでするが、まずは原本が欲しい。私はエルナに従い寝ているよ」
「あーもう。はいはい」
そう言ってふてくされたタングリーを見送り、二人は奥にある寝室へと向かう。
エルナが住むこの家はレンガ造りの平屋で、入り口を入ってすぐある広々としたリビングの奥に寝室と薬の保管庫兼精製室、もとは祖母の部屋だった書庫、そしてお風呂などが設けられている。
廊下を進み、木製の扉を開けると、子供部屋のような小さな空間が広がっていた。
「ここが私の部屋だ。ベッド……きみには少し小さいかもしれないが眠ってくれ。タングリーが帰ってきたら起こすよ」
何の頓着もなしに部屋を見せたエルナは、キルトカバーがかけられたベッドに彼を
本棚には見慣れぬ文字の本がびっしりと並び、さらには机にも積みあがっていた。
すべて薬に関する本なのだろうか。
「これは教材だよ。私は一応学生でな。東欧にあるイオルシュタイン魔法学校の四年生。母と仲が良かったらしい先生方が、異国の地で生きる私にわざわざ教材やらを送ってくれるんだ」
ベッドに腰かけ尋ねると、エルナは机に置いた本を持ち上げて説明する。
オルリアには何と書かれているか分からないが、すべて生国の文字なのだろう。加えてここエイムストン王国の言語も問題なく使いこなすあたり、秀才なのだと純粋に思った。
「それよりきみは眠れ。カーテンを閉めよう。そして火の精霊。彼が眠るまで優しく灯り続けてくれ。寄り添うようにな」
「……」
だが、詳しく説明するときではないと思ったのか、エルナは窓際のカーテンを閉めると、マッチに灯した火に願いを告げた。
ここの教材も後で運ばなければならないが、
しかし、一歩踏み出そうとした途端伸びてきた手に、エルナの視界が揺らいだのだ。
「おい!」
引っ張られる感覚がして思わず目を瞑ると、彼女はベッドに横たわっていた。
背中から腹部に回された手を見なくともオルリアが抱き寄せたのだと分かる。思わず苛ついて声を荒げるエルナに、オルリアは小さく笑った。
「この方がよく眠れそうな気がする。しばらくここにいろ」
「困る、こんなこと契約内容には……!」
「添い寝は契約範囲内だ。お前は私を癒す薬師。心身を癒すためなら私の願いには極力応える、のだろう? なぁ、エルナ?」
「……!」
まるでこのために言質を取らせたと言わんばかりの顔で寄越す艶美な声音。
彼の策略にまんまとはまったエルナは悔しげに顔を赤らめたが、この状態が良くないことは分かる。
首筋にかかる吐息にピクリと肩を震わせ、彼女は身じろぎをした。
「それ以上身を寄せたり手を動かしたら殴る。こういうことは望む相手とするんだな。曲がりなりにも王なら婚約者や妃くらいいるのだろう? それとも、まだ
「お前は私が年下に見えるのか? 私はもうすぐ二十三になる。だが、異能を得た際に縁談はすべて断った。この異能がある限り、妃を持つ気はない」
ぎゅっと目を瞑り、薬のせいもあって
十ヶ月間も閉じこもり、話しかけてくる人間すらほとんどいない生活を送っていたせいか、人恋しい部分があるのだろう。
思わず感傷的になって呟くと、大きなため息が聞こえてきた。
「仕方ない。少しだけだぞ。風の精霊、薬棚の上から二段目、左から三番目に入っている精油の香りを優しく運んでくれ。ラベンダーとベルガモットだ。気分も落ち着くだろう。さあ眠れ」
「ああ。ありがとう、エルナ」
「まったく、困った国王殿だ……」
「帰ったぞー、エルナ」
眠りに就いたオルリアの傍を離れ二時間が経った。
律義に玄関をノックし、帰宅を告げたタングリーの声に顔を上げたエルナは、きちんと着替えを済ませ、髪も整えた好青年を迎え入れる。
夏の日差しのせいか、額にうっすら汗を浮かべた彼は、じっとエルナを見下ろしていた。
「なんだ?」
「いや、準備は済んだのかなって」
すると、彼の視線に何を感じたのか、エルナは顔を
すぐに首を振るタングリーは、この時間、オルリアと何もなかったか聞くのを我慢して話題を逸らす。
人の好意を受け入れるのがとても苦手な彼女のことだ。たぶん何もないのだろう。
エルナは友愛は理解しても、その先は決して望まない。
分かっているからこそ踏み込めずにいると、違和を呑み込んだエルナはテーブルの上を振り返った。
「それなりにな。ちょうど今、新しい教材が届いたから内容を検めていたんだ。また新しい魔法と魔法薬の勉強ができる」
「ふっ、もう薬師の資格持っているのに勉強熱心だな、エルナ」
「当然。魔法薬師は十五で取れる資格だが、それでも先人たちが作り上げたたくさんの薬は網羅できていない。それに、魔法薬学だけでなく魔法基礎や魔法史、魔法生物学など、学ぶべきものは色々ある」
タングリーには読めないプリントや教科資料を嬉しそうに見つめ、エルナは言う。
彼女が間接的に通うイオルシュタイン魔法学校は、十三歳~十八歳までの身の内に
いつか行ってみたいと、エルナは胸の内で思う。
「……それより、国王殿を起こしてくるよ。契約書、持ってきてくれたんだろう?」
「ああ、うん」
だが、思いを断ち切るように
すぐさま眠っているオルリアを起こし、タングリーの待つリビングへ。
椅子に座る彼を見つめ、タングリーはしみじみと頷く。
「久しぶりにいつものお前を見た気がするよ」
「ああ。私もドレッサーに映る自分を見て思った。だが髪も多少切らねば。流石に邪魔だ」
「長いのは元からだけど、確かに邪魔そうだ」
伸びっぱなしの前髪を掻きあげ、腰元まである長い髪を手で梳いた彼は、薬師契約書を眺めながら息を吐く。
前髪を上げると凛々しい眉や切れ長の瞳、すらりと通った鼻梁が際立ち、いかにも美青年と言った相貌なのが分かる。十ヶ月前までは国中の貴族令嬢の熱い視線を一身に集めていた雰囲気は健在のようだ。
「さて」
万年筆には植物柄の凝った装飾がされていた。
「……終わったか?」
「ああ。エルナ、署名欄にサインをしてくれ」
ペン先を向け、基本項目が書かれた薬師契約書に追記すること数分。
顔を上げたオルリアは、自らのサインと血判まで終えた契約書をエルナに差し出した。
当事者間で取り決めた内容を追記するために設けられた空欄には、昨夜話した約束事が丁寧に記載されている。
「これで書面上も契約完了だ」
「うぅむ。この数時間で随分契約したくなくなったのだが……。仕方ない。約束は約束だ」
そうして、実に渋々と言った様子でサインを終えたエルナは、契約書を大事そうにしまうオルリアと帰路を説明するタングリーの傍で着々と準備を進めていった。
既に薬草園には精霊たちに願って魔法をかけてあるので、雑草駆除や水やりの心配はないだろう。あとは教科資料とまとめた薬、薬草を圧縮魔法で小さくすれば完成だ。
昼食や休憩を挟み、旅行用のトランクにあらかた詰め込んだエルナは、二人に声を掛ける。
「できたぞ。あとはシャドラたちに魔法生物と分からないような魔法をかければ終わりだ」
「うむ。こちらも月に考慮しながらの移動計画は頭に入れた。それでは我が薬師を王宮へ招くとしよう。楽しみだな」
ディープレッドの瞳で見下ろすオルリアに、エルナは頷く。
出発は明日。
彼らは王宮へ向けて旅立つ。
これがさらなる波乱の幕開けとも知らずに……――。
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