11.勇者の涙と、それを拭う人達

 こんなに細身で綺麗な顔をしているのに、やはり勇者だ。飲みながら寝落ちしてしまった筋肉ダルマのようなブレドーを、まるで少女でも運んでいるかのように軽々とおぶっている。

「ライラス、イーノ、気を付けて帰るに……」

 ロマリーが、眠たそうに目を擦りながら、玄関まで見送ってくれた。

 彼女に手を振って、俺達は来た道を戻った。

「今日は付き合ってくれてありがとう。あんなに楽しい食事は久しぶりだよ」

「いや、こちらこそっす。可愛いロマリーたんにも会えたし、めっちゃ美味い料理も食べられたし。ライラスさんのおかげっす」

 

 本当に美味い料理だった。

 あの後、更にもう3品出てきて、ポンム酒も追加された。人の事は言えないが、3人のまぁよく食べること。ライラスは、久しぶりだからと。ブレドーは、あの体格だ。ロマリーは、魔力を使うとお腹が減るからと。3人とも、エンゲル係数がすごそうだ。

 

「かしこまらないで。僕の事はライラスと呼んで欲しい」

「ほな、ライラス」

 間髪入れずに呼び捨てた俺に、ライラスが小さく吹き出した。

「ぷふっ。僕はキミのそういうところが本当に好きだよ」

「ちょっとォ! ライラスちゃん!? アタシがいるでしょお!?」

「起きとったんかい!」

 ライラスの背中で急にガバリと起きるので、飛び退いてしまった。

「ライラスちゃんの男らしい背中を味わってたのよん……。それより、イーノちゃん」

 それよりでは無いと思う俺をよそに、ブレドーが急に真面目な顔をした。

「ライラスちゃんの呪いのコトだけど……絶対誰にも言っちゃダメよ」

「……パーティーメンバーとロマリー以外は、僕が呪われていた事を知らないんだ」

 

 一番の勇者であるというプレッシャー。人々の期待に応えなければならないという責任。尊敬される存在であるべきという義務感。寝食を忘れて、剣術や魔法を鍛えていたのだと言う。

 そんな中で、とあるダンジョンを攻略した時にそれは起こった。最深部の魔物を倒した際に、そいつの死に際に呪いを掛けられたのだという。

 食事を疎かにしてでも、強くなりたいという心に付け込まれたのだろうと、解呪を試みたロマリーが教えてくれたという。

 街の皆は、食事をしないのも鍛錬のひとつだと思っているそうだ。

 (体を動かしまくる奴の断食が、鍛錬になる訳無いやろうに。修行僧じゃあるまいし)

 その周りの「思い込み」を聞いただけで、いかにライラスが皆の理想像を押し付けられているのかがよく分かる。

 

「僕の心が弱いせいだね。ブレドーやゾースみたいに、身も心も強くなければならないのに……」

「ライラスちゃん……」

 目を伏せたライラスに、ブレドーがおぶされながらも気遣うように名前を言った。

「そんな事言ってると、また呪われるんちゃうか」

 つい、思った事が口をついて出てしまった。ライラスが、キョトンと目を丸くする。

「ちょっとォ! アンタ、デリカシーないわね! そんなんじゃモテないわよォ!?」

「うっ……た、確かにモテへんけど」

 痛いところを突いてくる。でも……。

「ありのままでいいのよ、とか言う奴おるけど、そんなん出来たら苦労せんがなって俺は思う。ブレド……ブレコだって、家に帰ったら大口開けてイビキかいて寝とるかも知れんし」

「んまっ! そんな事しないわよォ!」

「ゾースさんだって、もしかしたらレース編みが趣味かもしれへん」

「……ふふっ」

「皆、人に良く見られようと頑張ってるんやと思う。でも、ライラスは頑張りすぎや。せめてメシ食べてる時だけは……。今日みたいに『ありのまま』でおったらええんちゃうか。勇者や言っても、メシの時くらいは誰も何も言わへんやろ。むしろ、言われても放っとけ! メシの時は誰でも自由でなきゃあかんのや。メリハリ大事やで! なーんて、上手く言われへんけど……って……」

 偉そうなこと言っちゃった! と、急激に恥ずかしくなってしまった。酔ってるからか? 勇者様に対して、なんと言う上から目線! 関西弁も出血大サービスや! 無かった事にしたいと思い、慌ててふざけようとライラスを見るが、予想外な事に彼は大粒の涙をこぼしていた。

「ライラスちゃん!?」

「ひ、ひぇぇ……! すみません、すみません!」

 ブレドーが、さすがに背中から降りた。そして、レースの白いハンカチを胸ポケットから取り出すと、ライラスの涙を優しい手つきで拭ってやった。

「ごめん……。何で涙が出たんだろ。そんな事言われた事無くて……」

「ですよね、ですよね!? 本当にすみません! 1万年と2千年早かったです!」

 赤べこを高速で振り回した以上に頭を下げた。およそ1秒に10回は振ったと思う。ギネス認定間違い無し。

「ふふ。イーノ、違うよ。顔を上げて」

 言われやっと顔を上げると、そこにはいつもの微笑みを湛えたライラスの顔があった。

「ありがとう。何だか吹っ切れた気分だ。これからは、食事の時だけは好き勝手させてもらうよ。ね、ブレドー」

「……! ウン、ウン!」

 今度は、ブレドーが泣き出してしまった。

「とりあえず、3日後からのダンジョン攻略の時に作って欲しいんだけど。焼きポンムは外せないね。コカカ鶏の香草焼き、バッサ魚の揚げたやつ、岩魚のピテ、それから……」

「ちょ、待っ……紙! 紙持ってないかしら!?」

「ダンジョンで宴会でもするんか!?」

 

 ライラスは、本当は食べる事が大好きで、ありのままだと意外と遠慮ない、という事がよーく分かった夜だった。


 あくる日、俺の顔を見るなりサトゥナが詰め寄って来た。

「で? で!? 昨夜はどうだったんですか? ライラスさん、何食べたんですか? というか、本当に食べたんですか!?」

 誰にも言いませんから! と続ける。いつもは冷静な彼女でも、さすがに国一番の勇者が、異世界転移したばかりの一般人と何を食べたのかは気になるようだ。

「えーと、猫ちゃんの魔女のおうちで……」

「ロマリーさん!? 滅多に会えないんですよー! しかも手料理!? いいなぁ……。ロマリーさんのお料理って、薬草が使われてるんで身体にとってもいいらしいですよ」

 ああ、だから今朝は二日酔いもなくすこぶる体調がいいのか、と思い至った。

 結局、何の具材か分からなかったスープ、ピテで感じた香草などなど。あれらは薬草だったのかな、と考えた。確かに、あんなに飲んだのに今朝は頭痛も胃もたれの気配すら無く、目覚めも休日の朝の如く爽やかだった。……って、もしかして。サトゥナって情報通? ミーハー?

「サトゥナ、表の札がまだ出てねぇぞー」

「え!? あ、すみません、今すぐ出します!」

 ゾースに言われ、サトゥナが慌てて出て行った。

「……ライラスが何を食べたにしろ」

 ゾースが俺の横に立って、独り言のように話す。

「元気になってくれりゃそれでいい。だろ?」

「え?」

 ゾースは、俺に丈夫そうな歯を見せニカッと笑うと、

「さー、仕事仕事!」

 と、手を叩きカウンターへ入って行った。

 

 ゾースは、呪いの事を知っていたのかも知れない。ライラスが、周りからの重圧に必死に応えようとしていた事に、気付いていたのだろう。

 何にせよ、ここにも一人、ライラスの事を気にかけている人がいるんだぞと、今すぐ教えてやりたくなった。

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