9.イケメンと猫ちゃんとポンム酒と、時々俺
働き始めて、まだたったの2日だと言うのに、もうやつれてきた気がする。地元では、「食いしん坊のモックン」なんて呼ばれてたこの俺が、空腹すらも忘れて仕事をするなんて……。
「イーノさん、今日もよく頑張りましたね」
外はすっかり薄暗くなっていた。ショルテの笑顔を見て、やっと脱力する。
が、やっと終わったと思ったら、猛烈に腹が……。
「ぐぅ〜るるる……」
獣か? 俺の腹には獣が居るのか?
「わぁ、今のイーノさんですか!?」
「やめて! 聞かんといて!」
ショルテには聞かれたくなかった……。
「出た! イーノの腹の音!」
「うう、無視して下さい!」
「今夜も飲みに行くか?」
ゾース、2夜連続。嬉しい誘いに頷きたいところだが……。
「いや、それが今日は……」
トントン
ギルドの扉が控えめに叩かれた。
「ん? 受付終了の札、下げてるけどな……」
ショルテが扉を開けに行く。恐らく……。
「やぁ、仕事は終わりかい?」
ショルテが扉を開けると、やはりと言うか何というか、ライラスがにこやかに立っていた。
(本当に来た!)
「ライラスさん!? どうしたんです? もう今日は終了しましたよ」
「ライラス? どうした、何かあったか……!?」
意外過ぎる訪問に、ショルテは驚き、ゾースは何事かと警戒した。
「いや、ゾースさん、ショルテちゃん……」
小声で、小さく手を挙げる。が、
「実は、イーノに用があって来たんだ」
ライラスが、取り残されていた俺を指名した。
「……イーノに……?」
「イーノさん……?」
キョトンとした顔で、2人が俺を見る。
「いや、なんか……。メシ食いに行く約束し……」
ゾースが俺とライラスの顔を交互に見た。そして、俺が言い終わる前に、
「ライラスがメシ!?」
「ライラスさんが!?」
2人が声を揃えた。そんなに驚くことなん……?
「早く行け! そんで奢ってもらえ!」
「戸締りとかしときますから! 何食べたか、明日絶対教えて下さいよ!」
2人して、俺の背中をグイグイと押す。
待って、待ってぇ! 身だしなみとか服とか……!
「じゃあ、行こうか」
「えっ……」
戸惑う俺を無視して、ライラスが扉を開けてくれる。 うん、オッケー分かった分かった。俺の負け。じゃ、今から何回ときめくか数えよか。
外に出ると、街灯が点々と灯り始めていた。足早に帰る者、飲みに行くであろう楽しそうな足取りの者、今から仕事に向かう者。どの世界でも、この時間は同じなんだなと少し嬉しくなる。
「今日は急にすまなかったね」
歩きながら、ライラスが謝る。
「いや、特に予定も無かったし……。食べるの好きなんで全然問題ないっす」
「食べるのが好きなのは、昼によく分かったよ」
言いながら、慣れた足取りで路地裏に入って行く。大通りからはどんどん離れて、人気の無い細い道ばかりを通って行く。
所謂住宅街だろうか? 街灯の明かりも届かなくなって、家々の窓の明かりを頼りに進んだ。
(こんな所に飯屋があるんか?)
不安になってきたところで、ライラスの脚が小さな民家の前で止まった。
「うーん、着いてきちゃったな……。まぁいいか」
小さく一人言を言うと、俺の顔を見てふっと微笑んだ。
「ここだよ」
「え? ここって……」
飯屋の看板なんてどこにもない。家だ。個人宅だ。何なら、ポストに「ロマリー」と人名らしき物が書いてある。
「あはは! 『えぇ〜? 大丈夫かぁ?』って、顔に出てるよ!」
「うっ! い、いや、そんなことは……」
ある。めっちゃある。
「さ、大丈夫だから入ろう」
俺の背中に優しく手を添えて、また扉を開けてくれる。ハイ、ときめき5回目頂きましたー。
「わ……」
扉が開くと、ふわりと温かい空気に乗った良い匂いに包まれた。玉ねぎを炒めたような甘く香ばしい香り、ハーブのクセになる香り、溶かしバターのみたいにウットリする香り……。
「やっと来たかに」
玄関に迎えに出てくれたのは、なんと……。
「ね、ね、ねこちゅわんやーーん!」
人間の子供サイズの、二足立ちの喋る猫だ! しかも、エプロンを着けている。あまりの可愛さに躊躇いなく抱き着きに行ったが、ゴンッとオタマで頭を打たれた。
「グウッ」
「無礼者! これだから転移者は困るに! ライラスにも猫人だって言うように言っておいたに!」
ぷいっと、そっぽを向いてしまった。白キジ猫だろうか? 白く美しい毛並みに、ぶち模様がついている。小宇宙のような瞳は、オリーブとブラウンとのオッドアイだ。白く長いしっぽを、ぱしんぱしんと激しく振っている。
「ああ、怒ってはるぅ……」
「嬉しそうに言うなに!」
「あっはっはっは! ロマリー、彼が話していたイーノモトゥムだよ。イーノ、彼女はロマリー。料理がとても上手なんだ」
ライラスが、俺達のやり取りを見て心から楽しそうに笑う。
「イーノは猫が好きなんだね」
「俺、猫とか犬が大好きやねん! ……ハッ……! 猫人がいるってことは……」
「犬人もいるよ」
ライラスがニヤッと笑う。
「うおお! マジか、マジか!」
「うるさいに! 犬人なんて、野蛮な種族に!」
おお、言う事が猫っぽい……! 俺は、感動を隠せないでいた。
「さっさとこっち来いにっ」
ロマリーが、変わらずしっぽを怒りで振り回しながら案内してくれる。
オレンジ色を基調とした、全体的に背の低い可愛らしいキッチンの脇に、精々2~3人が座れるであろう小ぶりなダイニングテーブルがあった。白いレースのクロスが掛かっており、グラスが3脚と、空の花瓶が置いてある。
(花瓶、何もささってへん……)
「ロマリー、今日のお代だよ」
頭に疑問符が浮いたところで、どこから出したのか、ライラスが一輪の桃色の花をロマリーに渡した。
「うむ。苦しゅうないに」
っかー! やる事がイケメン!
いつものやり取りらしく、ロマリーは慣れた手つきでその花を空の花瓶に生けた。
「もうすぐピテが焼けるに。座って待てに。それまでこれ食べるに」
そう言ってテーブルに並べたのは、温かいスープ、華やかなサラダ、卵料理に海鮮の麺料理だった。
「え、すごいっ! これ、ロマリーたんが1人で作ったんに!?」
「フシャーーー! 馴れ馴れしいに! 真似するなに! バカにするなにっ!」
馬鹿にする気など毛頭無かったのだが、ロマリーの白い毛が逆立ってしまった。
「くくくっ……。イーノ、あのね。ロマリーはもう200歳超えてる、正真正銘の魔女なんだよ」
「ふぁ!?」
ライラスがこっそり教えてくれた事実に、変な大声は出るわ目は丸くなるわ。驚嘆とはこの事だ。
「ロマリー……様……?」
「やめろに! 気色悪い!」
「な、なんとお呼びすれば……」
「いいからさっさと食べろに!」
コツっと、またオタマで頭を叩かれた。ああ、猫ちゃんにおたまでシバかれる日が来るとは……!
「はー、イーノは本当に面白いな。……じゃあ、温かいうちに頂こうかな」
ライラスがまたどこからか、今度はボトルを2本取り出した。透明な物と深紅の物とある。ワインにしては色が明るい。
「ロマリーが好きなお酒なんだよ。澄みから開けようか」
澄みと呼んだ透明な方の栓を抜き、3脚のグラスに注いでいく。コココ……と、開けたてのボトルならではの心地よい音がした。よく見ると、ごく薄く金色に色付いている。
2人がグラスを持ち、ライラスが俺に目で合図をする。慌ててグラスを持つと、2人と同じ高さに掲げた。
「ロマリーの美味しい料理と、素敵な友人のイーノに。
「乾杯に!」
「な、ながつょし……!」
チン、と鈴のような小さな音が鳴った。昨夜の歓迎会とは打って変わって、何てお上品な乾杯なんやろ……。
「うぅーん! ライラス、また良いのを持ってきたにぃ。良い香りだに。美味に!」
ロマリーの長い髭が、ぷるぷると震える。喉がごろごろと鳴り出した。可愛すぎか?
「気に入ってくれて嬉しいよ。さ、イーノも飲んでごらん」
「は、はい……」
薄いグラスに唇を付ける。ふわりと、甘い香りが鼻先を撫でた。その香りに誘われるようにして、クピリと飲んでみる。
(ん……? この味、この香り……知ってるぞ!?)
思わず、ライラスの方を見た。
「焼きポンム、食べてくれたんだね」
彼は、安心したようにニコリと微笑んだ。
そうだ。昼に勧められたポンムの味だ!
昼に食べた物は、焼いてあってたので香ばしく、酸味はほとんど消えていた。甘みが強くトロリとした食感で、勧めるだけあって確かに美味しかった。
この酒は、ほんのり甘く華やかで、爽やかな酸味がある。冷たく冷やされたそれは、喉に染み込むようにすんなり飲み下せるのに、果実のような香りが長く口内に残ってくれる。
優雅だ。
俺は今、このグラス片手にダンスを踊ったら、軽やかに舞えるだろう。アン・ドゥ・トロワ……。
どれ、もう一口。……うーん、アン・ドゥ・トロワ……。トロワ……の先は知らへんけど。
「ライラス!?」
目を閉じうっとりと香りに浸っていると、ロマリーが声を上げた。驚き、目を開ける。見ると、ライラスが2杯目の酒を注ごうとしているところだった。
「あ、お酌しましょか?」
「馬鹿者! ライラスがグラスを空けるのがどういう事か……! し、しかも2杯目!?」
慌てふためくロマリーを横目に、ライラスは構わず注いだ。
「ロマリー、僕ね、今日昼食を食べたんだよ」
「!!?」
「お、おう……?」
ロマリーが、一呼吸置くとぶわりと涙を流した。
「ろ、ロマリーたん!?」
エプロンで涙を拭いながら、何事かうみゃうみゃ喋っている。ライラスは席を立つと、そっとロマリーの肩を抱いた。
(え、なになに? なんなの??)
完全に置いてきぼりを食らって、困惑を隠せない。が、声を掛けるのも憚られる。どうしようか悩んでいると、
「うぉ、うぉっ、うおおおぉんん!!」
「な、なんや!?」
どこからか、大きな呻き声が聞こえてきた。
「ちょっとぉおぉんん! なんなのよぉぉおん!」
何の声だ!? と咄嗟に席を立った。が、探すまでまもなく声の主はすぐに見つかった。キッチンの小窓に、ソイツは張り付いていたのだ。
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