第三章 箱庭の来春
一日の授業が終わり、賑やかな放課後が始まった夕刻。運動部の掛け声、吹奏楽部の練習の音。それらが春の風に乗って古い校舎の壁を震わせている。
無数の音が飛び交う教室棟には、同じ建物の中とは思えないほど静かな部屋がある。[文芸部]と書かれた札がかかっているその部屋では、日々、学生創作者が作品を紡いでいた。
創作者の箱庭。誰がそう言い始めたのか定かではないが、この部屋にはそんな呼び名が付けられていた。
「ダサいと一蹴しきれない私が少し恥ずかしい。」
入部直後に僕の友人、五代アキラが言った言葉だ。僕も同感だったため、この日のことはよく覚えている。
この部活には、一個上の先輩という存在がおらず、三年生が引退した段階で部員は僕とアキラの二人になった。ちなみに新部長にはアキラが就任した。主な活動は半年に一度の部誌発行と懸賞小説への応募。受賞歴はない。なぜ存続できているのか不明だが、憩いの場が確保できるので僕は助かっている。
そんなたくさんの埃とフィクションが詰まった箱庭に色々な意味で春がやって来たのは、僕の非日常が始まって一日目のことであった。
※ ※ ※
僕の今日は、落雷少女が側にいること以外は恐ろしいほどにいつも通りだった。朝、家を出たときは「これからどうなることやら」なんて小説めいたことを考えたものだが、敵襲があるわけでもなく、ただ平凡な日常のみがそこにはあった。ここまで平和だと逆に怖い。何もないに越したことはないのだが。
今日一日、ハルは常に目を輝かせていた。校内にある全てのものが目新しいらしく、掲示物を眺めたり、黒板消しを試しに叩いて粉の襲撃を受けていたり、彼女の天真爛漫さが際立った一日だった。
ハルは数学や生物が得意で、国語や英語が苦手だった。所謂理系女子というやつである。これも研究所育ちが関係しているのだろうか。
放課後、ハルの要望で行った校舎案内と部活見学(活動しているところを遠くから眺めるだけ)が終わった後、世界は強い西日に照らされていた。
『学校ってのは広いところなんだねぇ。』
空気ではなく眼鏡のフレームを揺らすハルの声が僕の鼓膜を震わせた。彼女も一日の授業を終えているというのに、疲労の色を見せない元気に溢れた声音だった。
「それじゃ、今日はもう帰ろうか。」
『マサトくんの部活は?行かないの?』
「文芸部?そうだねぇ・・・。」
『面白そうだし、見てみたいんだけど・・・。』
レンズに映る彼女はこれから見られるかもしれない景色に期待を膨らませている様子だった。なんとなく、断りにくい。しかし、今日何も無かったとはいえ僕らは危険な日々を過ごしているわけで、アキラを危険に巻き込んでしまう可能性もゼロとは言えない。親しい友人と引き合わせることに、あまり気が進まなかった。
「・・・姿、出さないでいられる?」
『うん!任せて!』
嫌な予感はしたが、影の薄い文芸部に興味を持ってくれていることへの嬉しさと今日何もなかったことでの安心感がこの選択をさせた。この非日常を誰かと共有したいとも思っていたし、まあ、なんとかなるだろう。彼女の軽快な返事はそう思わせる魔力があった。
「アキラー、いるー?」
年季の入った扉を苦戦しながらこじ開け、この箱庭の主を探す。返事は返ってこなかった。
『いないっぽい?』
「そんなはずはないんだけどな。」
ハルにしか聞こえない声で囁いた。アキラがいないという確証が無いため、ハルとの会話には細心の注意を払わねばならない。
「アキラー。」
積み上がっている本を崩さないように踏める床を探しながら歩みを進めていく。ついこの前掃除したばかりなのにもうこの有り様。部室というものはいつの間にか荒れるものだから困る。
「マ・・・サ・・ㇳ・・?」
部屋の中の何処かから掠れたアキラの声が聞こえた。執筆を頑張りすぎているときのアキラの声だ。言葉の一部しか聞き取ることはできなかったが、彼女が大体どのあたりにいるのか見当をつけることはできた。
『今、なんか聞こえた?』
「あぁ、今のがアキラ。」
整頓されていない物たちを退かしながら、少しずつアキラの声の発生源に近づく。彼女は物に囲まれるのが好きで、大体は高く積み上がった本か、背の高い棚が成した森の中で執筆をしていることが多い。それ故彼女の元まで辿り着くのには困難を極めるのだ。
『姿が見えない・・・。もしかして、わたしみたいに消えることができる人?』
「いや違う違う。普通の人・・とはちょっと言い難いけど、まぁ、ハルよりは普通の人間だよ。」
『なんか、面白いね。』
決して広くはないこの部屋で、声は聞こえるのに姿が何処にも見当たらない。この状況に慣れていなければ特殊能力と思うのも無理はないだろう。
「わ・・たしはここに・・いるぞ。」
本で形成されたビル群から、一人の人間がゆっくりと姿を現した。某光の巨人を実際に目撃したらこんな風に見えるんだろうな。
『目のクマが、すごい。』
ハルにとってアキラの第一印象は目のクマらしい。アキラの目は長い前髪に隠れてあまり見えないのだが、それでもくっきりとしたクマがあるのは分かる。
「おはようアキラ。脚本、どんな感じ?」
「おはようって、私は別に寝てないぞ。脚本はまぁ・・・ぼちぼちかな。」
アキラは珍しくこの部活に舞い込んだ”依頼”をこなしている最中だった。それは演劇部に頼まれた脚本制作。約三ヶ月後に迫った文化祭での公演に使用するものだ。あまりにも作業が多いので、僕とアキラが作業を分担して行っているのだった。
「そっか。いい感じに計画通りかな?」
「うん。ほんと、手伝ってもらって悪いね。マサト。」
「大丈夫。僕がやりたくてやってるから。共同制作ってのも楽しいもんだし。」
「はは。楽しんでもらえてるようでよかった。」
いつもと同じ、彼女と創作についての会話。”この時間は大切だ”と感じるのはもう何度目だろう。ハルがこの様子を見ていて面白いのかが不安だが、多分部屋の散策でもしているだろうから大丈夫か。アキラを巻き込まないためにもいつも通りにしなければと自分を正していたその時、事件は起こった。
『へっくし』
ハルが小さなくしゃみをした。それがただの人間のくしゃみなら重度の潔癖症でも無い限り問題はない。しかし、彼女は落雷少女。くしゃみ一つとっても普通の人のものとは異なっているのだ。
バリィィィン!!! 『うわぁ!』
くしゃみとともに放たれた電撃によって蛍光灯が二つ爆ぜた。硬い物質が撒き散らされる音と放電音が混ざり、この箱庭には似合わない爆音が空気を揺らした。幸い僕もアキラも破片の射程圏外に居たので被害を被ることはなかった。
「ご、ごめん!電気が」「ハル!怪我ない!?」
「無い無い。びっくりしたぁ。」
驚きにより目を丸くしながら笑うハルを見て、無性に安心感を覚えた。僕もついつい表情が緩む。そのまま僕らは笑いあった。
「あ。」
ハルが突然笑うのを止め、何かに気がついた表情を作った。どうしたんだろう。
「わたし、姿・・・出しちゃった・・・」
「ん、はっ!」
どうしたんだろうなんて言ってる場合じゃなかった。アキラの方を見ると、彼女は捕食される直前のリスのように固まってしまっていた。困り眉で目を大きく開きながら小刻みに震えている。ああ、嫌な予感が的中してしまった。
「あー・・・えっと・・。はは。はぁ。」
なんとなく笑顔を作ってみたが、アキラの震えを止める要素にはなり得なかった。
「えーと。以上が僕の経験した全てです。」
爆ぜた蛍光灯を先生と共に片付けた後、僕はアキラに全てを打ち明けた。組織は公共の場には襲ってこない。これを信じた。危険だとは分かっていたが、現在進行中の衝撃的な体験を誰かに共有したいという思いもあったし、隠し事も無くなってなんだかスッキリしたので結果オーライとしよう。話している最中も彼女は固まったままだった。
「小説・・・みたいだ・・。」
アキラの第一声は、実に彼女らしかった。ハルとの出会いを果たした物書きの感想は皆一様のようだ。
「あ・・えと・・・五代・・アキラっていいます。」
「マサトくんから聞いてます。霹靂ハルです。よろしくね。」
「よ、よろしく。」
アキラは僕以上に人と話すのが苦手だった。現に今も、挨拶だけで会話がストップしてしまった。にこやかなまま黙るハルと、気まずそうに黙るアキラ。挟まれる僕の身にもなってほしい。かといってこの状況を打破する術を僕は持ち合わせていない。最初にこの空気を打ち破ったのは、まさかのアキラであった。
「せっかくだし・・・部活の紹介でも・・・しようか・・・?」
「うん!聞いてみたい!」
ハルの興味津々な返事にアキラは少し嬉しそうだった。おもむろに立ち上がると、長机に置いてある部誌を手に取った。
「私とマサトは、こんな感じで小説を書いてます。」
A5サイズの一ページに、大学ノート一冊分ほどの厚さの本。それに目を落としたハルの姿は、僕ら物書きが想像している読者像そのままだった。丁寧に、そして繊細にページをめくる彼女を、アキラは感慨深さを感じているような柔らかい笑顔で見つめていた。
「すごいね。マサトくんとアキラちゃん、なんかかっこいいよ。」
部誌が他人の目に触れることは少ない。だからこそ褒められたときの喜び、物語に陶酔している人間ならではの感動は一入なのだ。
「ア、アキラ・・・ちゃん。」
「あ、ごめん。この呼ばれ方嫌だった?」
「いや、ひ、人に名前を呼ばれること自体に慣れていないもので、なんか新鮮だったから。嫌では、全然ない。」
「んふふ。そっか。それなら良かった。」
アキラが、あのアキラが僕以外の人間(?)と会話を弾ませている。アキラの友人として、これは非常に嬉しい事態だ。
「そ、そういえばマサト、ハルさんの服ってそれ、マサトのやつじゃない?」
「そうそう。やっぱり不自然かな?」
白いワンピースは洗濯が間に合わなかったので、ハルは僕の私服を着ている。男性用なのでブカブカで行き過ぎた萌え袖になっているし、色味も彼女に合っているとは言えない。ハルはこれで良いと言っていたが違和感は否めない。
「私の服・・・貸そうか?」
「いいの!?女子高生の服かぁ、なんか響きがいいねぇ。」
アキラにしては珍しく積極的だった。ちゃんと楽しめる会話ができる存在が増えた嬉しさ故だろうか。嬉しそうなハルの声色に僕も少し嬉しくなったが少し心配もあった。これ以上アキラとハルの関係が深まれば、アキラが危険に巻き込まれるリスクも高くなる。
「響きがいい・・か。ははっ。」
申し出を断ろうとしたとき、アキラが珍しく目を細めて笑った。ここ最近、脚本制作を進める過程で空気が張り詰めていたためこの笑顔を見るのは久々だった。
「まぁ・・・いいか。」
ハルとアキラが作り上げる和やかな雰囲気を眺めながら、僕は小さく呟いた。
校舎を出たとき、外はもう暗かった。日が長くなったとはいえ、部活終了時刻の六時はまだ暗いままだ。
「もう春なのにまだまだ寒いね。」
「そうだね。あ、ハル、もう姿出してもいいよ。」
『おっけー。」
三人で帰路に着いた。今現在の状況に良い意味で新鮮味を感じなかった。今までもずっとこうしていたような気さえする。
「僕とアキラの家は近いんだ。」
「何かと便利だよね。本の貸し借りとか。」
「へぇ。いいねそれ。」
地下鉄の駅まで歩いている間、車両に乗っている間、そして再び歩いている間僕らの会話は途切れなかった。ハルの会話を回す技術の素晴らしさを実感するとともに、真っ当な学生と同じように会話というものを楽しんでいることに嬉しさを覚えた。
アキラの家は九階建てのマンションで、アキラは四階に住んでいる。僕らはオートロックの玄関を抜け、年季の入ったエレベーターに乗った。
「わぁすごい!飛んでるときみたいな感じがする!」
エレベーター初体験のハルは興奮状態だった。それを見ているアキラの表情は母性に満ち溢れている。なんと幸せな空間だろうか。
「ただいま。って誰もいないんだけどね。」
アキラの家も僕と同じく母子家庭で、兄妹がいない。僕らは家の一人でいる時間が長い仲間でもあるのだ。
「さて・・・と。」
アキラが自室のクローゼットから服を引っ張り出しているとき、ハルはアキラの作業机をまじまじと見ていた。僕も自然とそこに視線を注ぐ。執筆作業に特化した机で、パソコンを置くスペース以外は書きかけのメモ用紙とメモ用紙だらけだ。脚本のプロットや細かい表現が殴り書かれていて、日頃の努力が伺える。
「机はあまり見ないでくれ。恥ずかしいから。」
後ろからアキラの声がした。両手に服を抱えて顔を赤くしている。ハルとともに小さく謝りながら服を選ぶ体勢に入った。
「こんなのどうかな?」
「おー!」「おー・・・おぉ?」
そうだ。アキラは、服のセンスが圧倒的に欠如しているんだった。アキラと制服以外で会うことが殆ど無いため忘れていた。きっとアキラを運んだコウノトリが間違ってその辺のセンスを持っていってしまったんだ。喜びの反応を崩していないハルの凄さを実感する。
ハルのために用意してくれた三着のTシャツにはそれぞれ「I LOVE BOOK」「I AM STUDENT」「ZINSEI TANOSHI」という文字がでかでかと書かれている。自己紹介二連発に加えて「人生楽しい」って・・・。なんでそこローマ字なんだよ。せっかくなら英語にしろよ。ツッコミどころ満載だがキリがないので黙っておいた。
「普段私が着てるやつなんだが、大丈夫かな?」
真面目に質問してくるアキラに、もうなんて言って良いのか分からない。「可愛らしい個性だよね。」とかか?いや駄目だ。いくらアキラ相手でも失礼すぎる。
明るい表情だったハルも、いつの間にか黙って俯いてしまっていた。アキラのセンスに絶句しているのか、笑いをこらえているのか判断つかない。
「これ・・・さ。」
ハルが口を開いた。僕の思考はアキラをどうフォローするかを全速力で考えている。早く思いつかねば。
「めっっちゃいいね。」「え?」
「でしょ?ありがとう。」
つい「え?」と言ってしまった。ハルもそっち側の人間だったとは。予想外の展開に僕の思考は停止寸前だ。
「全部借りるのはなんか申し訳ないから・・・これとこれ、借りてもいいかな?」
ハルが指を指したのは「ZINSEI TANOSHI」と「I AM STUDENT」だった。よりによって人生のやつ選ぶんかい。しかも学生ですらないだろう。
「もちろん良いよ。入れる袋持ってくるね。」
アキラが部屋から出ていった後、ハルは僕に向かって言った。
「来て良かったね。マサトくん!」
「あぁ、そうだね。」
ずっとどんな言葉を返したものか分からないまま、僕らはアキラ宅を後にした。
僕とハルは服でいっぱいになったトートバックを両手に抱え、完全な暗闇の中歩いていた。結局、人生を楽しんでいるシャツ以外にもカーディガンやジーンズなど数着ほど借りた。
「アキラちゃんとマサトくんはいつから友達なの?」
鼻歌まじりに歩いていたハルがおもむろに口を開いた。
「中学・・・一年の頃だったかな。アキラが小説を書いているところに僕が自分の作品持って突撃したんだ。」
「どうして?」
「小説書いてるときの姿がすごく格好良くてね。僕も本が好きだったし、小説を書いてみようと思ったんだ。その後いろんなことで意気投合して仲良くなってったんだ。」
「へぇ。アキラちゃんはマサトくんが小説を書くきっかけだったんだね。」
今ではもう創作が無ければ生きていけないほどには沼にハマっている。アキラには感謝だな。そう改めて感じた。
「ハル、ありがとね。」
「なんで?」
「僕とアキラと仲良くしてくれる人は珍しいからね。」
僕とアキラは孤独を愛する生き方をしている。二人きりでの会話も殆どは小説の話で、今日のような一時は本当に貴重だった。
「んふふ。そっか。」
ハルの明るい笑みを見るのはもう幾度目だろうか。本当に笑顔の輝かしい人だ。幸福と形容するのがふさわしい感情が僕を支配していた。
『そこで止まれ。』
しかし、その幸福は長くは続かなかった。僕は思い出させられた。僕らが今過ごしているのは、危険な非日常であるということを。
家の玄関に到着したとき、後ろから男の声が聞こえた。何かの機械から出力されているその声は僕の忘れていた恐怖を一気に引き戻した。その恐怖に従って振り返ると、そこにはホバリングしているドローンがあった。見たこともない形のドローンで、確かに飛んでいるのにプロペラの音が全く聞こえない。
「ごめん。マサトくん。」
”トワ”のときに発動した危機感知の力が作動しなかった。僕のはまだしも、ハルの力すらも発動しなかったようだ。ハルの謝罪が絶望を更に掻き立てた。明らかな異質。”トワ”とはまた違った類ではあるが、組織関係だと判断できる異質さを備えている。
『どうする?乾。』
当たり前のように僕の名前を知っている。家の場所もバレている。逃亡生活が始まるのか?いや、この流れで逃げたとしてもすぐに捕まって殺されるのがオチだろう。
「戦うしか・・・ないか。」
『ん?』
疑問を示す声を無視し僕は鈍い世界に入った。意識的に世界をスロー再生させるのにも慣れてきたものだ。とにかく、ドローンが僕らに攻撃を加えてくる前に潰す。それだけを考えて走った。
慣れない手つきで拳を作りドローンを殴る。ドローンは意外にも簡単に砕けた。どうやらこの世界では僕の徒手格闘もパワーアップしているようだ。よし、次は操作している人物を探そう。必死に辺りを見回す。人の姿は見当たらない。かなり遠方から操作していたのだろうか。
『後ろだよ。』
後方から、ドローンから聞こえたものと同じ声が響いた。後ろを向くと黒いコートにフードを深く被った人物が立っていた。
『なん・・で?』
『声が聞こえて、びっくりしたか?それとも速さに驚いたか?』
そのどちらもだ。しかもこの男には、僕には聞こえない僕の声も聞こえているようだ。僕よりもこの力を使いこなしている。僕の鈍い世界では対抗できない。そう痛感したのと同時、世界は通常再生に戻った。
「トワを撃退したんだからもっと骨太かと思ったけど、意外に諦めが早いね。霹靂はもらっていくよ。」
男が笑いながら言った。ゆっくりとハルの元へ歩みを進めていく。ハルは恐怖のせいか微動だにしない。このままじゃ、だめだ!
「や、やめろ!」
「あ?」
「ハルは、僕が、僕が守る。護衛を、依頼されたから。」
自然と僕は叫んでいた。ハルは雷としてこの場からの離脱が可能だ。僕の命はどうだっていい。ハルだけでも助ける。後悔はない。
「ハル!飛んで!」
「っ・・・マサトくん!」
何故この選択を取ったのか、それは僕が物書きだからだ。逃げるよりも、命乞いをするよりも、こっちのほうが主人公っぽい。結局僕は、主人公感を味わいたかっただけなのかもしれない。危機的状況のせいか思考の回転が止まらない。
「なかなか骨があるじゃねぇの。」
男はそう言うと、歩みを止めて僕の方へ視線を向けた。
「じゃ、お前から死んどくか!」
その声と共に、男のコートの両袖が弾け飛んだ。両腕の、見たこともない特殊な形をした義手が顕になる。全体的に刺々しく、黒く輝く鋼鉄製で人間の神経と同じ位置が青く光っている。この未知の凶器で、僕は一体どのように殺されるのだろうか。
男が尋常でない速さで間合いを詰めてきた。黒鉄の拳が迫りくる。どうやら単純に殴り殺されるようだ。フードが脱げその顔が現れる。藍色がかった黒髪が靡く隙間から、銀色の澄んだ瞳が見えた。瞼が恐怖によって閉じられる。
パンッ
顔面が潰れるのを覚悟したとき、軽い爆発音が鳴った。何が起こった?
「おい見ろよ!せっかく用意したんだからよぉ。」
「あっははは!」
男が残念がる声とハルの笑い声が聞こえた。ゆっくりと目を開けると、義手の先が拳からふざけた顔が書かれた球体に変わっていた。びっくり箱、というかびっくり腕か?
「へ?うえ?」
「んもーびっくりさせないでよ。」
「はっは。ごめんごめん。」
驚きで固まる僕をよそに、ハルがやけに親しく男の名前を呼んだ。何が起こっているのか何も分からないが、とにかく命の危機というわけではないらしい。
「お、おい。乾!大丈夫か?」
大丈夫かと言われても。この人のせいで死を本気で覚悟した故の硬直が解けない。そんな石像のような僕でも頭を回すことはできる。そして僕の頭脳は、一つの可能性を弾き出した。
「も、もしかして、ハルを創った人ですか?」
「お、正解。なかなかやるねぇ。」
男の表情は先程までとは比べ物にならないほど穏やかになった。
「おかえり!カオル!」
ハルは”カオル”に駆け寄ると、力いっぱい抱きついた。”カオル”は義手を刺々しい状態から滑らかな状態に変えると、優しくハルを抱き返した。
「またせたな。ハル。」
その声音は、僕が想像する父性そのものであった。
「てことで、刃(やいば)カオルだ。よろしく。」
さも当然かのように食卓の椅子に座った彼は、にこやかに自己紹介をした。藍色に近い黒髪をヘアピンで止め、独特なデザインの黒コートを着ている。ハルの奇抜な服のセンスは彼由来なのかもしれない。
「あー、えっと。乾マサトです。」
「はっは。知ってるよ。護衛を頼んだのは俺だからな。」
大人の男の人と喋り慣れていないせいか、なかなか次の言葉が出てこない。色々な疑問よりも先に、次をどうすればいいかを考えてしまう。
「カオル、これからわたしたちどうするの?」
十秒ほど沈黙を挟んだ後、ハルが口を開いてくれた。そうそう、それが聞きたかったんだ。護衛を言い渡した張本人の登場は、僕の任務にどう影響するのだろうか。
「あぁ・・・そうだな・・・。」
刃さんが考え込んでいる間、僕も思考を巡らせることにした。恐らく、僕の護衛はここで終わりだろう。刃さんは鈍い世界を完全に使いこなす力もあるし、僕がハルの側にいる必要は無い。あぁ、そう考えるとなんか名残惜しい。非日常が終わってしまうのは残念だ。しかし、命の危機が迫ることも無くなる。せっかくアキラとハルの仲もできたというのに、もったいないな。「護衛がもう少し続けばいいのに」と、死ぬ覚悟を本気で決めた直後に思う僕はどうかしているな。
「しばらくここ、住もうかな。」
「へ?」
僕の予想はあっさりと裏切られ、僕の期待はあっさりと叶えられた。いやしかし・・
「乾!お願いだ。ちょっとでいいからさ!炊事洗濯は全部俺がやるからさ!」
あんまりにも小説的な展開に僕が何も言えないでいると、刃さんが必死に懇願してきた。ヒモ男かよ。さすがに失礼か。
「マサトくん・・・駄目かな?わたしたち、行くとこないんだ・・・。」
「なぁ乾。ほら、小説のネタになるぞぉ?退屈はさせないぞぉ?」
僕の物書き性分も知っているのかこの人。言い方に腹が立つのはさておき、僕は答えと覚悟を決めた。
「わかりました。一緒に住みましょ。」
「ほんと!」「ありがとよ!乾!」
僕の非日常は、まだまだ続いていくらしい。
春雷にのって Noza @nozaki6227
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