第3話

「えっと…何で……」


 言葉を詰まらせながらの問い返しは肯定と同義だと気付きつい視線を逸らす。


「その…あまり触れられたくない話題なら、ごめんなさい。」


「いえ…別に、そういう訳じゃ…無い…すけど…」

 正直、内容が内容だけにどう話したものか、見当がつかない。

 先輩が注文したスフレパンケーキがテーブルに運ばれてくる。


「話したくないなら無理に話さなくていいよ、でもね…」


 目の前のスフレパンケーキにゆっくりとナイフをいれて、途中で止めて。それを繰り返しながら。

 珍しく先輩が慎重に次の言葉を選びながら喋ろうとしている。


「君が思っている以上に、私は君の事を心配したんだよ。だから…」

 手にしたナイフとフォークを皿の上に置き、真摯に告げる。

 さっきは無理に話さなくてもいい、そう言った。でもやっぱり…!

「話せる範囲でいい、話してほしい。君の事。」


「…一つ聞いてもいいでしょうか?」

「何?」

「どうして先輩はそこまで俺の事を気にかけてくれるんです…?」


 先輩の真摯な言葉に少し…いや、かなり心を動かされた。

 しかしどうやら俺は、先輩にここまで言わせておきながらまだこの期に及んで二の足を踏んでいるらしい。


「……見て。」


 少し躊躇った後、八上先輩が前髪をかきあげ額を曝す。


「その印はっ……!」



 そこにあったのは二重螺旋を描く目の形をした、印のような小さな痣。

 それと同じ痣が俺の背中、あの日異形の巨蟲に何かを吹き付けられた場所にも存在する。

「じゃあ、つまり…先輩も……?」

「うん……やっぱり阿国君にもこの痣があったんだね。」


 あの日、巨蟲に何かを吹き付けられた翌日。最初その箇所は激しく滲みるだけで何もなかった。だが日が経つに連れて徐々に印のような痣が浮かび上がり、それと同時に俺はが見えるようになっていった。


「だからね、他人事とは思えなかったんだ。」

「そうだったんすね、だから……」


 今日はやけに先輩に気を使われてると思っていた。


 先輩は俺が自分と同じ事情や苦しみを抱えている事を知り、俺の事を気にかけてくれていたのだ。その事を今になって理解した。


 なら、この人には打ち明けるべきかもしれない。


「…実は俺、小さい頃に………」


 俺は今までのことを出来うる限り話した。


 小さい頃、山に囲まれた田舎に住んでいたこと、友達と山で遊んでいる最中異形の巨蟲に襲われたこと、それ以来この世ならざるモノが見えるようになってしまったこと、その事を今まで家族以外誰にも打ち明けられなかったこと。

 あの日のあの恐ろしい経験を他人ひとにこんなに話したのはいつぶりだろうか?或いはこれが初めてかもしれない。


「阿国君……。」


「ん…?なんすか…?」


 先輩がハンカチを取り出し、俺の目元をそっと拭った。


「今まで辛かったんだね」


「えっ…?」


 先輩に涙を拭われたことで自分が涙を堪えていたことをようやく自覚する。

 その無自覚のまま堪えていた涙が遂に、堰を切ったように溢れ出し、止まらなくなった。


「えっ!ちょっと!待って…その…っ!」


 確かに今までずっと一人で抱え込んできて、誰にも話せなくて、辛かった。

 でもだからって19歳にもなった大の男が家族以外の他人、それも女の人の前で泣くなんて…よりにもよって八上先輩の前で。

 恥ずかしくて顔を逸らす俺に先輩は先程俺の涙を拭ったハンカチを差し出す。


「い、いいですよ、そんな…だいたい俺、自分のハンカチ持ってますし!」


「良いよ、このまま貸してあげる。」


「だから…!」


「それで後日洗って返しに来てね、その時また話そう。君が今まで他人ひとに話せなかったこと、今日話しきれなかったことを。」


 幾ら同じ境遇でも、ここまで俺の心に寄り添ってくれる人が今までいただろうか?

「それに君の話に耳を傾けるのは私だけじゃない、だって…」


日本民俗学研究会みんけんの皆が君の仲間なんだから。」


 普段ならきっと、綺麗事だとか頭の中が御花畑だと一笑に付しているような言葉だろう。

「……ッ!」

 でも、ここまでの会話のせいか不思議と安心して素直に受け入れられる。


「つ…辛かっ…っ!辛かった…!だって…!アイツ等を見たり、感じたり出来るのは俺だけで、誰にも伝えられないなりに身近な人を危険から遠ざけようとしたり、皆と楽しく遊んでる途中に俺一人逃げ回らなくちゃいけなくなったり!」


 というか人生の途中からは友達と呼べる存在が殆どいなかった。

 そもそも元はといえば友達と山に入ったことが原因で俺はアイツに襲われた。

 だからなのかあれ以来母は俺の交友関係にうるさくなり、マトモに友達を作らせてもらえず、学校にいる間は兎も角、プライベートで友達と遊ぶことが殆ど出来なくなってしまったのだ。

「俺も皆と一緒にもっと、遊びたかっ…!」


 先輩は偶に静かに相槌を打ちながら黙って聞いてくれた。

「……もっと早くに話したかった…!」


 さっき話したのは今に至る経緯、つまりあくまで単なる事実だった。けれど今吐き出したのは紛れもない気持ちの方だった。

 だからだろうか?さっきより涙が止まらない。


「大丈夫、話す時間は沢山あるよ。」


 先輩が優しく言う。

 しかし現実はそこまで優しくは無いようだ。

 カバンの中のスマホの通知音が鳴る。


〈着いたぞ〉


 スマホの画面には母からの簡潔な報告が映し出されていた。


「…スミマセン、どうやら母が着いたようです……。」


「そっか、じゃあ今日はここまでだね。」


 そう言って先輩は席を立つ。それに続いて俺も席を立った。


 会計を済ませて店を出る。


「そうだ、先輩!」


「ん?」


 去り際に先輩を呼び止め声を掛ける。


「あの…連絡先…交換しませんか?」


 勇気を振り絞ってスマホのQRコードを表示する。


「そうだね…同じサークルの先輩後輩でもあるし、今後の為にも連絡が取れるようにしておこうか。」


 先輩が表示されたQRコードを読み取り連絡先の交換が完了する。これでいつでも先輩と連絡が取り合える。

「それから、呼び方も下の名前でいいです。“阿国君”って呼びにくいでしょう。」


「確かにそうだね、じゃあ今後は智弥君って呼ぼうか。」

 迎えに来てくれた母を持たせるのは少し心苦しいが、偶にはこんな一時ひとときの為に母を待たせてもバチは当たらないだろう。


「それじゃあ、また明日ね、阿国君…じゃなかった……智弥君。」


 下の名前で呼んでいいとは言ったがいざこうして下の名前で呼ばれると少しむず痒いというか……

 いや、少しどころか凄く………照れくさい。


「あの…コチラこそ、また明日…。」


 俺の行き先とは逆方向の、駅の構内に向かう先輩の背中が人混みに紛れて見えなくなるまで手を振り続けた。

 


 

 


 



 

 

 



 

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禍津百怪 ラルト @laruto0503

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