第30話
「みんなお疲れーー!」
「フゥウ!」
「いやぁ、いい汗かいたぁ!」
全てのバンドが演奏を終え、ブッキングライブは無事に終了。楽屋では着飾った出演者たちからの感嘆の声が鳴り止まず、皆思い思いにライブの余韻に浸っていた。
この日は各バンドがクレールと同様結成して間もないアマチュアバンドばかりで、それぞれ短い出演時間ではありながらもその喜びは底知れぬモノだった。
一方観客は全員
いいライブだった……。全てを出し切った。
心の底からそう思える、有意義な時間だった。
ボクはホッと一息つきながら、鏡の前でメイクを落としてゆく。
「なあみんな!」
そこへ長いこと楽屋を出払っていた樹が目の色を変えて戻って来た。
「じつは今、とあるレーベルの人に名刺をもらったんだけどさ」
「それが……インディーズでもよければ、アルバムを作って見ないかって」
「マジで!? え、それってスカウトってこと?」
「ああ! 今日はもう遅いしあれだから、具体的な話は後日にまた改めてって別れたんだけど。ちょっと俺たち、凄すぎないか!」
「すんげえ! マジかよ!」
目を光らせ大盛り上がりする樹と優達。
インディーズ? レーベル? スカウト?
自分には別世界の会話に感じられて、ただ呆然とし続けていた。
「だけど嬉しい反面さ。ここまで順調だと、流石のオレでもビビっちまうっていうか……トントン拍子に進み過ぎてるっつうか」
「まあそれもそうだよな。集はどう思う?」
「……ああ。確かに優達の言う事もわかる。けど今日のライブ、前回よりもお客さん盛り上がってくれてたし、最初の登場から最後ステージをはけるまで、拍手と歓声が止まなかった。それに、三曲目のバラードを演奏してる時にさ。おれ自身ベースを弾きながら……このバンドならきっとって、もっと上に行けるって。その可能性を感じたぜ」
珍しく熱弁する集を前に、樹ら二人は「フッ」と喜悦の息を揃える。
「
「え? ああ、うん……」
「ボクは――」
「このバンドに加わって。ホント、良かったって……心の底からそう、思ってる」
「だからありがとう、みんな。ここまで連れてきてくれて」
「おいおい、何だよ奏。湿っぽいっての。そういうセリフはさ、全ロックバンドが憧れる武道館とかで、ワンマンライブを実現した時とかに言うもんだろって」
「アハハ……そっか。ごめん優達。流石に早すぎるね」
「そうだっての、ハハハッ」
そのまま笑い合う四人。また一段上へと、絆が強固になった気がした。
メンバーの夢は、まだまだ先の未来にある。
そのための、大きな布石を投じることができた。
いつまでも破顔を咲かせたまま。
こうして二度目のライブが幕を閉じた。
「お疲れ様でした!」
「ありがとうございました!」
オーナーやスタッフに何度も深謝し、その後僕たちはハザードを後にした。
汗ばんだTシャツにしなやかな夜風がそよいで気持ちがいい。さらに今日という一日を歓迎するように、真暗な空に浮かぶ満月と星々がいつになく煌々と輝いて見えた。
「奏汰センパイッ!」
「て、ちがうか……。今はカナデ、でしたね!」
ライブハウスを出て間もなく。
ずっと僕らを待っていてくれていたのか。
細い路地を抜けると、両腕を後ろに組んだ音羽が野ウサギのようにぴょこんと現れた。
「では改めて。お疲れ様です、奏さんッ」
「別にいいよ、奏汰で。もうメイクだって落としてるし」
「って――」
「あああっ!?」
湧き上がる焦燥。凍り付く背筋。
僕は即座に音羽から背を向け、両手で口元を塞いだ。
「ンフ、フフフッ」
「そんな慌てなくても」
「大丈夫ですよ、センパイ」
「えっ……」
「大丈夫です。今はアタシ一人だけですから。茉莉愛さんは一緒じゃないです」
挙動だけで事態を察した音羽が慰めの言葉を掛ける。
既にメイクは落とし、ウィッグも脱いだ状態。素の「奏汰」と異なる部分と言えばコンタクトレンズを付けているくらいで、今の自分の出で立ちは九割方「奏汰モード」へと戻っていた。
「……良かった。そう、なんだ」
「フフフッ、ああおかしい。――でも、何だかな」
「ついさっきまでステージでスポットライトを浴びていた人とは思えませんねッ。あれだけ熱いバラードを歌って感動させてくれたのに。ここにいるのは本当に同一人物ですか?」
「っ、やめてくれ……。これでもまだ、ライブで気持ち高ぶってるんだから」
「フフッ、はいはいわかりました。って……それはまあいいとして」
「先輩、ライブお疲れ様でした! 最高に良かったです! アタシ、今までいっぱいライブハウスに通っていろんなバンドの歌を聴いてきたけど……。正直一番だったかも」
「え、そこまで?」
「でも……そっか。すごく、嬉しい。嬉しいよ。ありがと音羽」
隙あらば軽口を繰り出す小悪魔だが。
最後にはそうやって背中を押してくれる。
「セ、センパイ……。いっ、今……」
「初めてアタシのこと、名前で呼びましたよね?」
「へ?」
「あっ、ゴメンいきなり!」
「ううん、全然いいです。むしろ今後はそうやって、アタシのこと名前で呼んでください」
突如色味を増すピンクパールのチーク。
音羽は何故か嬉しそうだった。
その意図は不明瞭で「……ああ、うん」と一応は返すものの、手の届かない絶妙な箇所をくすぐられているような気がして、何だか無性にこそばゆい。
そこへ「ふぅ」と浅めに息を吐いた音羽が、覗き込むように上目遣いを放つ。
「ところで先輩」
「どうしてアタシ一人だけなのかって。さっきからずっとそう思ってるんじゃないですか? 茉莉愛さんはどうしたのかって」
「えっ! あぁ……ん、それは、まあ」
読心術か? それとも読唇術?
音羽はものの見事に僕の心中を的中させる。
「一緒じゃないんだ。ライブには来てくれてたみたいだけど」
「はい。じつは、終演後に一緒に出待ちしましょうって誘ったんですけど。茉莉愛さん『いえ……今日は帰りますね』と言って、そのまま帰っちゃって」
前回は待っていてくれたのに。しかもあんなに熱烈に、ストレートに気持ちまでぶつけてくれて。
もしかして何か、不満でもあったのだろうか。
「えっ、それってまさか……」
「でも安心してください。違います。どうせセンパイの事だから、どうしようってネガティブに捉えちゃってると思いますけど」
「それは絶対に違いますから」
自身に満ちた表情で音羽は言い切った。
「多分ですけど」
「茉莉愛さん、一人で
「ひたる?」
「はい」
「だって彼女」
「…………」
(……涙してたから)
「え?」
伝わるか伝わらないか。何故か最後だけ、極端にか細い声だった。だからが故、僕は短く反応する。上手く聞き取れなかった意を込め、聞き返した。
……でも、本当は。
ちゃんと聞こえていた。言葉にするのがもどかしくて、敢えて聞こえなかった振りをした。けれど話を途中で区切ると、音羽はそれ以上何も言わなかった。
そしてそのまま話題を切り替えるようにして、再び口火を切る。
「コレ。茉莉愛さんからです。ヴォーカルの奏に、ぜひ渡しておいてほしいって」
すると彼女は、肩にかけていたトートバッグから、一輪の花を差し出した。
「これ、って」
「はい。いかにも茉莉愛さんらしい、純白の薔薇です」
「これで分かりますよね? 茉莉愛さんにとって今日のライブがどんな風に映っていたのか。何を感じたのか」
「て…………え? あれ? あれれれ?」
「どうしましたセンパイ。もしかして、泣いてます?」
「あ、いやっ……ち、違うっての! 別に、そういうわけじゃ」
熱くなる目頭。
イタズラにおちょくる音羽をどうにかこうにか振り切りつつ。
僕は一人回想していた。
あの時の、彼女の姿を。
ステージ上から輝いて見えた、あの表情を。
できるなら、今すぐに会いたかった。
会って、言葉を掛けてほしかった。
そして。知りたかった。聞きたかった。
――最後に流していた、涙の
そっと、抱きしめるように。
頭上高くに浮かぶ月を眺めながら、彼女がくれた薔薇を包み込む。
「じゃあみんな、打ち上げ行くぞー!」
数メートル先を先行するリーダーからの上機嫌な一声。
興奮冷めやらぬクレール一行はそのまま、夜の街……ではなく、定番のファミレスへと向かうことに。
「ねえ、先輩」
「先輩は、茉莉愛さんのこと好きですか?」
突如虚を衝かれ、グホッと咽そうになる。真隣を歩く小悪魔から、とんでもない剛速球ストレートが飛んできた。
とはいえ……彼女のことだ。
敢えて聞かずとも、どうせ既に察しはついているんだろう。
だから、無理には隠さない。
それでも「……どうだろう」と一言だけ添えると、僕は多くを語らずにとぼけた。
「ふ~ん」
「何だよ急に。そうやってまた
「ううん。いえ、違いますって」
「だったらいいんだけどさ」
「はい。それにしても、今日歌っていた新曲の『ルミナス』、本当に良い曲ですね」
「あの歌詞」
「あんなふうに、言われたら……」
(――アタシだって)
(動き出しちゃうかもしれませんからね)
「ん?」
「あ、いえ……何でもありません。ささ、早く行きましょ!」
パシンと肩を叩くと、音羽はスキップをし、先を歩く樹たちを追いかけていく。
僕はまた聞き返した。今回に関しては理解が追い付かず、本心からの問いだった。
ホント、まだまだ謎多き小悪魔だ。
でも何故だか憎めない。何だかんだ彼女には心の底から感謝していた。
いいだろう。
しょうがないから悪戯でも冗談でも、何だってこの先も付き合ってやる。
歩調を速め、祭囃子のように絶えない喧騒のもとへ。
賑やかな一行を追いながら。
僕は三度目の夜空を見上げた。
届いた、だろうか。
いや。
きっと、キミなら。
この日の夜空は。
今が夜だと忘れてしまう程に、どこまでも輝いていて。
そして。
月光に劣ることなく天の川を演出する、無数の星々は。
彼女のように美しく、温かく、可憐で。
絶えず、穏やかな表情を見せ続けてくれていた。
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