第6章 笑顔のキミ、紅に咲く
第31話
「――やっぱり」
「キミ、だったんだね」
あの日。
二度目のステージを目の当たりにして。
溢れ出た想い。
キミの言葉が。ふとした仕草が。
恥ずかしそうに照れ笑い、優しくはにかむ笑顔が。
キミの真剣な眼差しが。
その、全てが。
紛うことなく「彼」とシンクロした。
ポタッ……ポタッ……。
どうしてだろう。
ラスト。
キミが歌うバラードを聴いて、私は。
涙が止まらなかった。
◆ ◆ ◆
額から首筋へとなぞる、カーテン越しからの淡い光。小鳥たちのさえずりと蝉の鳴音から成る合奏が思ったよりマッチしていて、できればもう少しだけ聴いていたくなる。
一昨日のライブによる心地良い疲労もあってか、今朝はスッキリと目が覚めた。
繰り返される毎日。週が明け、「枚方奏汰」としての一日がこうしてまた始まってゆく。
ガヤガヤケラケラ、ばたばたぞろぞろと。相好を崩しながら学び舎を目指す夏服たち。
その群れに交じりながら僕は、ステージ上で歌っていた二日前を思い返していた。
いつまでも覚めない夢の中。
気が付けばあっという間に、校門を通り過ぎていた。
履き潰したローファーを脱ぎ、下駄箱の中へ。そして雑に落としたルームシューズに履き替え、そのまま廊下へと向かう。
「おはようございます」
それは、突然だった。
どれだけ眠くとも、朝の訪れが好きになってしまう程に。耳心地の良い澄み切った声。
「うん……おはよう……」
いつもの教室とは違って、珍しい場所での対面に戸惑ってしまう。
「おとといのライブ……観に来てくれて、ありがとう」とつい言葉が漏れ出そうになったが、瞬間我に返りグッと堪えた。
「あの、奏汰くん」
ぷいっと死角から現れた彼女はスクールバッグを両手で握りしめ、じりじりと距離を摺り寄せる。どこか思わせぶりな声音と素振りに背筋がピクっと伸びた。
「奏汰くん。今日の放課後、お時間ありますか?」
「えっ? 放課後?」
「はい。じつは先日、クレールのライブに行ってきまして」
「それがものすごく良くて、楽しかったので。その感想をぜひ、奏汰くんにも話したいなって。語りたいシーンがたくさんあるので」
「……ですので、出来たら放課後に、と」
神妙な面持ちというわけでもなく、彼女はごく自然だった。
察するに、ライブに関しては好意的に受け取って貰えた、それは間違いないだろう。
そしてまだ。
僕の存在にはどうやら、気づいてはいない様子だった。
「うん……わかった」
突然の聖女からの誘いといつになく真剣なその表情に、僕は断るなどできなかった。
それから。
この日一日を通して、茉莉愛はいつもと変わらなかった。
授業中はもちろん、合間合間の休み時間においても何ら変化が見当たらない。
正直ずっと身構えていた僕の方が、拍子抜けしてしまう程だった。
「あれ? 神宮寺さん、まだ帰らないの?」
「え、ええ。今日はこの後、少しやる事がありまして。ですので、先に帰っててください」
「そっか。うん、わかった。それじゃあまたね!」
迎えた放課後。茉莉愛は佳奈たちを見送ると再び着席し、視線をちらちらと右往左往させる。
珍しいその所作に、彼女は他の生徒たち全員が教室から出払うのをじっと待っているのが見て取れた。
だから話かけず、席も立たずに。
僕は茉莉愛の方から声を掛けて来るのを待つことに決め、合わせるように自席に留まった。
それから三分、五分……さらに十分と経過し、ようやく静まり返った二年C組の教室。
バサッッ――。
「おっ、神宮寺。それに枚方も。ちょうどよかった」
「「っ……?」」
今、まさに。彼女が意を決し席を立った、ちょうどその瞬間だった。
「すまないが二人とも。少しだけ先生に協力してくれないか?」
僕へと振り返った茉莉愛が、さらに半回転して教室の扉を見つめる。同じタイミングで僕も立ち上がると、偶然通りかかった担任教師に声を掛けられた。
「来週の期末テストの準備と部活指導に忙殺されててさ……。頼む二人とも! じつは、コレなんだが」
「…………」
「…………」
「「……はい」」
聖女は無下に、断ることなどしない。
だから、僕も。
そのまま僕ら二人は、先生から頼まれた暫しの雑用タスクを任されることとなった。
パチ、パチ。
パチ、カチ。
パチパチ、カチカチ。
パチパチカチ、カチカチパチ、カチッ。
二人きりの教室。二つのホチキスによる、どこかぎこちないアンサンブルが流れる。
夏休み前に配布する大量のプリント類を人数分、ホチキス止めしてほしい。そう担任から頼まれた僕らは、向かい合って着席し、ただ粛々と手を動かしていた。
作業とはいえ、これなら運動音痴の僕でも容易い、何てことない軽作業。
そして。話をするには良きタイミング。
思いながら、手元から茉莉愛へとさりげなく視線を送ってみる。
けれども彼女は黙々と作業に集中していた。いつもとは違う、より凛とした雰囲気で。
話しかけても良いか、とは思ったが……どうしてだろう。
今はまだダメだと、無意識にそう思ってしまった。
根拠はないが、彼女は僕以外の他人を一切介さないと約束された時間、空間で。
全て終えてから話がしたい――そんなふうに思えてならなかった。
「ありがとな二人とも。助かったよ」
それから、二十分が経過し。
僕と茉莉愛の二人は職員室を後にすると、身支度のため再び教室へと戻る。
もちろん誰もいない。聞こえるのはグラウンドから微かに響く、サッカー部員の発声くらいだ。作業を終え一息つくも、沈黙を貫いたままどこか神妙な面持ちの彼女。
「それで、神宮寺さん」
「朝に言ってた、話って」
今だと思った。話の内容はライブの感想と聞いている。
流石に気になり、僕は口火を切った。
「……あっ、はい」
「すみません。本人を目の前にすると、その」
「途端に緊張してしまって」
ヒラリと揺れるスカート。すると茉莉愛は小さく頷き、「ふぅ」と静かに息を吐く。
そして手を後ろに組み、ゆっくりと近づくと。
再び翻り、窓の外を眺めた。
「奏汰くん……なんですよね?」
「え?」
反射的に漏れ出た声。
全身に鳥肌が立った。
放たれた、問い。
誤魔化すべきか。そう、思ったが。
その言葉を聞くまでの前段階と節々に見せる彼女の所作から、それが何を意味しているのかを瞬時に自覚する。
っ……そっか。
驚きと共に押し寄せた覚悟。
僕だっていつかはと、心積もりはしていた。
タッ、タッ、タッ!
――と、その時。
顔と顔が今にも触れそうだった。茉莉愛は至近距離まで近づくと、うんも言わさず僕のメガネをはぎ取る。
さらに続けて、舞い踊る蝶のように。その、白く細い指で。
無造作な僕の前髪を下ろし、
それはライブ前のスタイリングと少し似ていて、だけれど違う。
「カ……」
その手つきは、この上なく滑らかで。優しくて。あたたかくて。
距離が近い分。
弱視の僕にでも、彼女の表情が明瞭に映った。
「カナデ……」
「うん……そうだよ」
茉莉愛の震えた声に、正直に返す。
繕うことはせず、真っ直ぐに答えた。
「ゴメン、今までずっと黙ってて……。きっとがっかりしたよね」
だけど堪らず、言いながら。
僕は目を伏せた。
手が震えてる。やっぱり怖い。
遂にこの時が来たんだと、そう思った。
サラッ。
すると、追いかけるように。
茉莉愛は両手で僕の頬に優しく触れると、再び眼前へと寄り戻した。
「ううん。いいえ」
慈悲深い眼差し。天使のように穏やかな笑顔。
彼女は嬉しそうだった。
「もしかしたらって……。ずっと、そう思ってたから」
「あの『ルミナス』の歌詞を聴いて……」
「奏汰くんだって。そう、確信しました」
「だって……二人で交わした会話が、言葉が。一緒に過ごした時間が」
「たくさんたくさん、散りばめられていたから」
茉莉愛は僕が書いた新曲の歌詞から、「奏」の正体に気づいてくれていた。
届いていた。
彼女はちゃんと受け取ってくれていた。
僕は今にも泣き出しそうになる。
「……嬉しかった」
「えっ」
「だって。自分が推してるヒトが、すぐ傍にいたから。それもこんなに近くに」
美しいその瞳に、潤んだ姿の僕が映える。
照れ臭くて。でも。ものすごく嬉しくて。
だからこそ、見透かされたくなくて。
「――ック」
「ハハハハハッ」
「え? あ、あの、ええっと……」
「奏汰くん? どうかしましたか? 何か可笑しいですか?」
「ハハハッ。だって神宮寺さん今、『推し』って言ったから。神宮寺さんでも使うんだね」
「つ……っ、使いますよ、私だって!」
「何ですか、もぅ」
「…………フ」
「フフフフッ」
「ハハハハッ」
ほどけた糸。気づけば二人して笑っていた。
どこか感動的に醸成されていた空気がカラッと晴れてしまう。
でも、それで良かった。
何ならこのまま、時間が止まればいいのに。
なんて、そう望んだのも束の間。
「ねえ、奏汰くん」
「少し寄り道していきませんか?」
「えっ?」
「じつはこれから奏汰くんと、一緒に行きたい所があるんです」
すると――ファサッッ!
触れ合い、繋ぎ合う手と手。
まるでおもちゃをねだる、あどけない幼子のように。
「ね、行きましょ」
茉莉愛はギュッと手を握ると、そのまま僕を教室の外へと連れ出した。
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