第25話
それからの数日間。
休み時間を全投入し、僕はリリックをしたため続けた。
ありとあらゆるスキマ時間を縫い、学校の課題よりも睡眠よりも作詞を最優先させ、休日はバンド練習を終えた後すぐ、家でも徹夜という毎日を繰り返した。
っ……眩しいな。
そうして迎えた、週明けの月曜日。
教室のカーテンを貫く強い日差しが、重たい瞼にジリジリと突き刺さる。
逸らした視線の先、黒板の隅に掲示されたカレンダーにふと目を向けると、昨日でちょうど六月が終わっていたことに今更ながら気づいた。
思えば大多数の生徒たちの制服が、冬服から夏服仕様へと衣替えしている。
今日でもう、七月か。次のライブまであと、七日間をきった。
歌詞の進捗としては、三分の二まで到達していた。樹は急がなくてもいいと言ってくれたが何としてでも間に合わせたい。今週末、本番までのスタジオ練習も加味すると、少なくとも明日か明後日までには書き上げないと……。
まずい。時間ギリギリだ。
膨れ上がる焦燥を少しずつでも切削させるべく、僕はこの日も机に向かっていた。
とはいえ。瞼が重い……眠すぎる。
ちょうど三限目の授業が終了したと同時に、
けれども自我が言うことを利かず、衝動と義務の間で奔走する日々が続いていた。
頭がボーっとし、若干クラクラする。眩暈だろうか。流石にこのままでは良くない。
合間の休み時間、次の授業までに十分ある。この時間を使って少し、休息を。
いい加減ノートを閉じることにした僕は、残された刹那を睡眠に充てることにした。
メガネを外し、両腕を組んで枕に。
そして机に深々と突っ伏し、しばし夢の世界へ。
「あ! ヤバっ!」
「次の英語、宿題やってない! お願い。ノート見して!」
……堕ちてから、何分経った?
きっとまだ、三分以上はあるだろう。だが繰り返し慌てふためくクラスメイトの喧騒に、僕の意識は現実へと引き戻されてしまった。
ほんの少しだけだったけど、それでも眠れたから良しとするか。
そうして、さまよう両の手。明順応までのタイムラグに加え、眠気眼と裸眼で濃霧のようにぼやける視界の中。暗闇から目覚めた僕は、机の端に置いたメガネをようやく見つけ、かけ直した。
「……ハッ!」
その直後だった。
遠巻きで何か、切迫したような甲高い吸息音が耳朶を打つ。
厳密に言えば、聞こえた「ような気がした」のほうが正解かもしれない。
場所は生徒たちが出入りする教室のドア付近。見渡すと、近くの席で立ち話をする女子生徒が三、四人見える。けれど雰囲気的におそらく彼女たちではなかった。
でも確かに今、不可思議な声が聞こえたような。
(ぁ、ああ、ああぁ……)
クソ、欠伸が止まらない。気を抜くとコクリ、すぐにでもまた堕ちそうになる。
「ぅじさん? ぅかした?」
まどろんだ意識の中で。今度は「神宮寺さん? どうかした?」といった幻聴に似た声が響いた。
なぶるように目をこすり、再び教室中を眺める。けど本人の姿は見当たらない。
勘違いか。それとも妄想か。……こんな時に何を考えている。
大きくかぶりを振ると、僕は眠気覚ましにミントタブレットを胸ポケットから取り出し口に含んだ。僅かだが脳内がスカッと冴える。それでもやはり、室内に聖女の姿はなかった。
半袖の白いシャツに、首元にあしらわれた真っ赤な蝶結びのリボン。そして薄手のプリーツスカートを身に纏った夏服姿の茉莉愛は、この上なく可憐で、美しくて。
この日は朝から、悶絶に近い呻き声が方々から聞こえていた。
正直、男子が感嘆を漏らすのもわかる。むしろ当然だろう。だから寝ぼけて、変に夢想しないよう注意しないと。どうにか邪念を払い除け、次の授業の準備を進めた。
およそ、三分後。
とりわけゆっくりとした足取りで、夏仕様の茉莉愛がようやく入室してきた。
彼女が席に着いたのは、チャイムが鳴るその、直前。
「Hello everyone!」と言って英語教師が入って来たのと、ほぼ同じタイミングだった。
二日後の七月三日。
ライブまであと、四日。
この段階になると、何より重要なのが体調維持なのだと、僕も意識するようになっていた。そのためおとといの夜から昨日にかけ、これまでとは打って変わり作詞作業を最小限に留め十分な睡眠をとるように。だからか今日は、いつも以上に
よしっ。それじゃあ今日は久々に――歌いに行くか。
そして、仕上げてしまおう。
この日の放課後。僕は身支度を済ませ、足早に教室を後にした。
理由はここ最近、長らく行っていなかったあの、お馴染みの店へと向かうため。
新曲の詞については既に二番の終わりまで書き終えており、あとはCメロとラスサビを残すのみ。何となくだが、ラストまでのイメージもできてはいる。
全体図が鮮明に見えて来た今。僕はマイク前で、自分が書いた歌詞を実際に歌ってみたかった。週末のスタジオ練習まではまだ日数もある。先だってここはカラオケに行き、もろもろ調整に入ろう。この調子ならきっと間に合う。ラストスパートだ。
個人練習としての最後の追い込み。そう決意し、急いで校舎を後にした。
「いらゃっしゃいませ」
その後。カラオケ店へと到着した僕、だったが……。
「ん? あれ?」
「お客様、どうかされましたか?」
受付でしばらく、僕は何度も何度もポケットの中をまさぐる。
「前回来た時に貰った、割引チケット、確かに入れていたはずなのに」
「ないな……。ま、いっか。しょうがない」
特段大したことではない。それよりも早く、歌詞の完成と歌の練習をしないと。
僕はそのまま受付を済ませ、指定された部屋「114」号室へと向かった。
◆ ◆ ◆
「おーい奏汰」
「何だ、珍しいな。奏汰が遅刻するなんてさ」
「ハア、ハア……。ごめん、遅れて」
「あ、あのさ、みんな……。練習に入る前に、じつは話があって」
時は経ち、あっという間に訪れた金曜の週末。
いつもの、レンタルスタジオにて。
到着して早々。僕は持参したノートをバッグから取り出し、メンバーの前に広げた。
「できたんだ。その……歌詞」
「えっ、マジで? もうできたのか?」
「うん。だからみんなに、見てもらいたいなと思って」
そうして、開かれたノートを囲むように。
快く頷いた三人は、僕の詞を黙読し始めた。
「………………」
「………………」
「………………」
「へえ、いいじゃん。なあ? 優達、集」
「うん。オレもすっげえ良いと思う。なあっ? 集」
「あぁ。いいな、この歌詞。淡くて、みずみずしくて。一見ラブソングにも聴こえるけど、一方で、そっと背中を押してくれるようなパワーソングにも思える」
樹、優達、集からの熱い賛同。
いざ言葉にされると、堪らなく照れ臭かった。
「確かに、集の言う通りだ。なあ奏汰、この歌詞って――」
「うん。じつはそうなんだ」
「あの夜、樹に言われてラブソングを――と思って、書き始めては見たんだけど」
「恥ずかしいけど僕は、まともに恋なんてしたことのない恋愛初心者で。いきなり人前に出せるレベルの純愛ラブソングはやっぱり難しいのかなって。だから今感じているクレールに入ってからの強いキモチや等身大の想いを詞にして……カタチにしてみた」
「けど、別に諦めたわけじゃないよ。純度百パーセントのラブソングはさ」
「次なる目標として、大事にとっておくことにするよ」
それから僕は、樹たちに歌詞の世界観と一番から二番までの変遷を赤裸々に語った。
「そうか」「なるほど」「イイ、イイ!」と三人からの首肯が繰り返され、安堵する。
「ちなみに奏汰。タイトルは決まってないのか? ノートにはまだ空欄になってるけど」
「あぁ、うん。じつはずうっと、そこはどうしようかなって考えてて……」
「でも」
「ようやく今朝、決まったんだ」
流れる指先。画竜点睛。
そう言うと僕は、一番上の罫線に“最後の文字”を走らせた。
「この歌の、タイトルは――」
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