第5章 光
第26話
その表情をふと、目にした時。
私の中で、体育祭の時にも似た衝撃がカラダ中を駆け巡った。
七月一日。新たな暦に入り、変わる季節と景色。
夏服姿の喧騒と窓から差し込む強い日差しが、本格的な夏の到来を感じさせる。
徐々に近づく夏休みに心を躍らせているのか、生徒たちはいつになく溌溂とした雰囲気で、各々が談笑に花を咲かせているよう。
その中で私には、夏休みよりも何よりも楽しみにしていることがあった。
今月の七日に開催されるライブ。ワンマンではないため時間は短いけれど、ステージで再び彼らに会える。四人の紡ぎ出す力強い演奏を、再び体感することができる。
そして。
美しい「彼」の歌声を、生で聴くことができる。
クレールが出演する、次の対バンライブ。楽しみで楽しみでもう仕方がなかった。
あと、六日後。楽しみが控えていると思うと、当日までの一秒一秒が長く感じた。
そんな中、次の授業までの何気ない休み時間に。
時の流れを憂いつつ、昨日放送していたというテレビドラマの話で盛り上がる佳奈やめぐ美たちを
「――茉莉愛さんッ! 音羽です」
「クレールが出る次のライブ。チケット入手したので、良かったら一緒に行きません!?」
「え……っ。い、いいんですか?」
「もちろんです! じゃあ七日空けておいてくださいね! また連絡しますので」
思い出す先日の会話。最近知り合った一つ年下の、久留米音羽さん。
彼女に誘われ、七月七日のライブは二人で一緒に観に行くことになった。
当日は何を着て行こうかな。前回よりももっと、ドレスアップしていこうかな。
そう言えば音羽さんって、リーダーの樹の妹で……。
うそ。
もしかしたら当日……彼と、また。
いけない、そんなこと。考えれば考えるほどに胸膨らむ妄想。
止まらない憧憬に歯止めをかけ、鏡前で深く頷き頬を叩くと、お手洗いを後にした。
次の授業は、確か英語。大丈夫。宿題は問題なく済ませてある。
ひとまずライブの事は横に置き、そのまま教室へと歩を進める。
――が、その数秒後だった。
「……ハッ!」
それはほんの、一瞬の出来事で。白い稲妻が走り、思わず足が止まる。息が止まる。
まるで、終了間際のオセロの盤面のように。夏服の白が並ぶ中に、ポツリ。
一人だけ未だ黒の冬服を身に纏う「彼」の姿に、ふいに視線が吸い込まれた。
白黒に目立つコントラストからか、それとも数日前から、彼の髪型が変わったから?
体育祭以降、日を追うごとに親しく話すようになった彼を見たその瞬間。
私は言葉を失ってしまった。
うたた寝からちょうど目覚めたタイミングだったようで、彼はメガネをかけていなかった。さらにうつ伏せで圧力がかかったのか、アップからストレートへと下がった前髪。
髪を切ったことで爽やかさが増し、より一層際立った肌の白さ。そして何より、メガネを外した状態から浮き彫りになった美しい目鼻立ち。
素顔の中にもう一つ、新たな「顔」を見たような、そんな不思議な感覚に襲われた。
(う、うそっ)
(カナ……デ?)
面影がふと「彼」と重なる。似ていると思った。
そう言えば――「あの時」も。
高校一年、終業式後のこと。あの日振り向いた時、ちょうど彼はメガネをしていなくて……。あの時と今とが淡く重なり、言葉が出てこない。頭が真っ白になっていた。
さらに動揺した途端、ドクンドクンと高鳴り出す鼓動。顔が。耳が。全てが熱い。
「ハァァ、ハァァ」
きっと今、真っ赤に火照ってるに違いなかった。
教室に入ってすぐ、私は恥ずかしさのあまり慌てて踵を返し、再び廊下へと飛び出した。壁に手を付き、表情を隠すように俯く。
一つ……二つ……三つと。
ゆっくりと深呼吸を繰り返し、落ち着きを取り戻そうと努めながらも。未だ脳裏には、彼の残像がずっと離れない。
一瞬だけれど、彼がクレールの「奏」に見えた。
けれど、そんなわけ……。
瞬間的に顔が類似して見えただけで、彼と奏は、その他に関しては全く違う。髪色も雰囲気も、奏から感じるモノとは相反するほどに大きく異なっていた。
確かに彼は、クレールを知っている。でもそれは、音羽さんがキッカケであって。
あのマフラータオルも、音羽さんから貰ったと言っていた。それにもし、彼が奏だったとしたら、メンバーの知り合い且つ樹の妹である彼女が黙っているはずがない。
徐々に冷静さが回帰する中、あらゆる角度から改めて考えてみても。
彼と奏との親和性は低いように思えた。
「あれ神宮寺さん? どうかした?」
廊下に佇み続けている自分に向け、偶然居合わせためぐ美が声をかける。
「だ、だいじょうぶ……です」
「ちょっとあっ、足の小指を、角にぶつけちゃって」
つま先をトントンさせながら頬を掻き、咄嗟に誤魔化そうと試みた。
「え、大丈夫?」
「は、はい」
「でも、ハハハッ。神宮寺さんのそういう、ごくたま~に見せるおっちょこちょいなところ、ホント可愛いよね! 体育祭の時、男子たちが悶絶してたのも理解できちゃうよ。全くもう、罪深い美少女さんなんだから。ほら、早く戻ろっ」
少し揶揄うように言うと、めぐ美は颯爽と教室へ入っていった。
体育祭? 男子? それに、悶絶って…………あ、あれは!
時間差で蘇る借り物競走での一連の記憶。あれは、その、違うのに。
先程とは別の恥ずかしさが噴泉する中、前方から教材を抱えた英語教師の姿が見えたために急いで教室へと戻る。その瞬間に私は、再び彼へと一瞥した。
見慣れたメガネ姿。その奥に見える眠気眼。
――奏汰くんだ。
少し気だるそうにしながらも、そこにはいつもの彼がいた。
ライブを待ち遠しく思う気持ちが強くなりすぎて。つい彼に「奏」を重ねてしまったんだ。きっとそうよね、うん。
心中でそう結論付けると、私は漸く席に着いた。
ウソ……どうして?
けれど二日後。その時感じた強い衝撃は、春の長雨のように止むことを知らず。
二日が経過しても尚、幾度となく胸中で降り続いていた。
七月三日。
おととい昨日はおろか、じつはここ数日、彼とは全く話をしていなかった。
クラスの中で唯一、クレールの事を知っているのは彼だけ。今までみたく声を掛けようと試みるも……。彼を一目見ると、つい頭の片隅で「奏」を連想してしまう自分がいて、上手く話しかけることができない。無意識な意識が邪魔をした。
さらにもう一つ。ここ最近の彼は、これまでとはどこか様子が違っていた。
それは決して、髪型が変化したからではない。何だろう。彼はここ数日、ノートに何かをしたため続けていた。
その表情はとても真剣で、力強くて。
どこか「自信」に近いモノが、みなぎっているようにも思えた。
奏を想起してしまったのは、偶然にも顔の造りが類似していただけであって、単なる私の思い込み。なのに、何なの……この気持ち。彼を見る度、胸がギュッと締め付けられた。
そして、訪れた放課後。
この違和感の正体を払拭したい。胸に留まり続けている言いようの無い謎の
話題は何だっていい。クレール関連の雑談でも、近日実施される期末試験の事でも。
ホームルーム前にいつも話していた時みたいに、ごく自然な感じで。
けれどもこの日。彼は早々に身支度を済ませると、足早に教室を出て行ってしまった。
待って。そんなに急いでどこへ?
もう帰るの? それとも音羽さんとまた、何か約束が?
だとしても何か、一言交わすだけでいい。
だから……お願い。
気づけば私は、彼の後を懸命に追いかけていた。
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