第19話
「あっ、はい……音羽さん。よ、よろしくお願いします」
持ち前のコミュ力を存分に発揮し、何だかんだで事態は上手い具合に収着。お互いに熱い握手を交わし、微笑ましい友人関係が出来上がっていた。
でもこれって……。純粋に、喜んでいいのか?
思い描いた未来予想図がじりじりと横に逸れていっている気がする、ような。
「すいません茉莉愛さん。アタシ、そろそろ戻らないとなので」
「それじゃあ二人とも、ではでは~」
音羽はそう言って僕の方へ振り向くと、思わせぶりな様子で手を振った。
ようやく降りた肩の荷。これでひとまずは難を逃れることができた。多分。
「あっ、そうだッ。最後に言い忘れてた」
が、去ろうとするも。
音羽は足を止め、再び茉莉愛の元へと摺り寄って行く。
「茉莉愛さん」
「コレは、とっておきなんですけど」
(ヒソヒソヒソヒソ)
僕には何も聞こえない。
て……ん? あれ。この展開って。
思えば前回のファミレスで、自分も似たような経験をした気がする、ような。
絶えず音羽は聖女の耳元で何かを呟き続けている。
(ヒソヒソヒソ、ヒソヒソヒソ)
「ええええっ!?」
轟いた突然の歓声に。
傍にいた地上の小鳥たちがパタパタと大空へ飛び立っていく。
それほどまでの、弾丸のような一驚だった。
「それじゃあ茉莉愛さん、アタシは失礼しますね」
「奏汰センパイも――ま・た・ね。フフッ」
口調を変えての捨てゼリフ。それに何だ、最後のあの意味深な微笑みは。
一方、あまりの衝撃だったのか。
茉莉愛は瑞々しい双眸をゆらめかせ、放心状態のままその場に立ち尽くしていた。
これは、いったい。
まさか、あの小悪魔! 彼女に何か余計なことを吹き込んだんじゃ。
「あの、神宮寺さん」
「彼女は。音羽は今、何を」
未だ全く動じない聖女の眼前に立ち、恐る恐る問いかけた。
「っ、奏汰くん。あの、ええっと……そ、それが」
「『じつはアタシ、リーダーの樹の妹なんですッ。だからクレールのメンバーとはプライベートでも交流があるんです』って……。たった今、そう音羽さんが」
「えええっ!?」
やっぱり、やっぱりだった。もはや小悪魔じゃない、悪魔だ。
何てことを。ありえない。今までの流れが台無しじゃないか。完全に狂っている。
とんでもない地雷をラストに埋め込み、音羽は去っていった。
「あと、それと――」
「え? まだ何か」
「『あとアタシ、ヴォーカルの奏とも親しくしていまして……。だからもし、今度会いたいって思うような事があれば……遠慮なく、このアタシに言ってくださいねッ』って」
実り実った果実のように。先程よりも増し、茉莉愛の顔は完全に紅に染まっていた。
(は、はあああっっ!?)
堕ちる稲妻。爆ぜる脳天。
ここまでのやりとりで、一番の衝撃だった。
だがあまりに予想外な展開過ぎて、言葉が出てこない。何も出てこなかった。
僕はあの小悪魔に、操られてしまっているのか? それとも弄ばれているのか?
彼女の思惑、その全てが謎めいていて……「怒り」というよりも、どうしてか「疑念」の方が強い。
でも。それもこれも全ては、自らが蒔いた種だった。それは認めざる負えない。
策は失敗、大失敗だ。
僕は完全に動揺し、目の前の聖女とこれ以上の会話を続けるのが恐くなっていた。
「あの、奏汰くん」
「ごっごめん神宮寺さん! 何だか急に、お腹が痛くなって……」
「え、大丈夫ですか? それならすぐに保健室までお連れし」
「だだっ、大丈夫! 一人で行けるから!」
下手糞なアドリブにも関わらず心配し労わってくれる茉莉愛。その変わらぬ献身さが、無数の棘のように痛かった。
偽りの演技がかえって現実味を増していきそうで、何とも不思議な感覚に陥る。
「じゃあっ」
「あ、あの……」
何かを言おうとしたのか。
茉莉愛の途切れた声が、耳の奥を優しくつんざく。
それでもたどたどしい別れの言葉だけを言い残し、僕は教室とは逆方向の道を逃げるようにして走っていった。
◆ ◆ ◆
「ん、あぁ」
えっ。うそ。二時間?
昼休みでの一件を経てから、二時間後。
時計を見てゾッとした。
「……やってしまった」
言霊とは恐ろしい。僕はまだ保健室のベッドの中にいた。
あの後、保健室に到着した直後のこと。どうしてだか僕はリアルな腹痛に苛まれてしまい、結果長時間の休息を余儀なくされることに。そのままベッドの中で眠ってしまい、目が覚めた時には既に六限の授業が終わる時間帯まで経過していた。
「ありがとう、ございました」
「はーい、お大事にね」
度々お世話になっている保健室の先生に礼を言い、僕はつい今しがた下校時間を迎えたばかりの教室へと向かう。この日の授業は六限まで。今日はもう、このまま帰るだけだ。
「ほら、早く部活行こ!」
「ねえねえ! このあと遊びに行かない!?」
着いて早々飛び交う生徒たちのフリートーク。長い一日を終え開放感に満ちた教室全体は、相も変わらず騒がしかった。
そして――。
途中入場する僕の存在に、誰一人として注目をしない。
あぁ、良かった。これでいい。いいんだ。
悲しみなど皆無。すっかり免疫がついてしまっている僕には、至福に近い感覚だった。
でも何だろう。気だるい。
保健室であれだけ惰眠を貪ったのに、何だかまだ疲れが。
きっと昼休みに、いろいろあったからだ。それに昼食だってろくに食べていない。
今日は早いトコ退散しよう。僕はそそくさと荷造りをし、急いで席を立った。
「奏汰くん!」
数秒後だった。教室ではずっと見かけなかった彼女。だから既に下校したとばかり思っていた。けれどその透き通った声は、廊下を歩く僕の急ぎ足を無条件に停止させる。
「体調、大丈夫ですか? ハァ、ハァ」
「え? あ、うん」
「そうですか、良かった。ハァ、ハァ、ハァ」
額と頬に滴る汗を拭いながら、心からの安堵を見せる。呼吸がやけに荒かった。
「あの、ありがとうございました」
「えっ? ありがとうって、何のこと?」
「その……昼休み。音羽さんのこと、ご紹介してくれて」
「あ、いや。別にそんな」
「じつはその、わたくし……」
「昼休みの時、『もし難しそうなら紹介して頂かなくても大丈夫です。なので無理しないで下さい』って、本当は言おうと思っていたんです」
「……えっ?」
「もしかしたら、奏汰くんに無理をさせてしまっているのかなって、そう思って」
「強引すぎましたよね。だから、その」
グッと胸に手を当て、思いを吐露する茉莉愛。僕は完全に見誤っていた。
昼休みに声を掛けてきたあの時。僕のこれまでの行動を見て来た彼女は、募る罪悪感から自ら約束を断とうとしていた。それが、まさにあのタイミング。
自分が情けなくて心底恥ずかしい。脱兎のごとく直ぐにでも逃げ出したい。真正面に立つ茉莉愛に対し、目も当てられない気分だった。
「ハァ、ハァ」
そう思いつつ、絶えず先程から未だ収まる気配の無い肩の動きと荒い息遣い。
「神宮寺さん、大丈夫?」
「はい、大丈夫です……ハァ、ハァ。たった今、保健室から走ってきたので」
「その――奏汰くんの様子が気になったので」
「えっ、僕?」
「はい。でも先生が、奏汰くんはもう教室に戻ったって聞いて」
「それで、急いで戻ってきました」
まさかだった。茉莉愛は僕をずっと心配してくれていた。
浅く深く、短く長く、繰り返される呼吸。その吐息に共鳴するように、僕の胸は激しく脈を打ち始める。
どうして、そこまでして。
「……のっ」
「奏汰くん? どうかしましたか?」
「あの、さ。神宮寺さん」
最低だな、ホント。体育祭での接点を経て以降、僕は一方的に茉莉愛を振り回してしまっていた。献身的な聖女に嘘を突き、彼女はそれを真っ直ぐに信じ、こうして僕のために右往左往している。
それはきっと。生まれながらの彼女の人柄が故で、特別な感情などは無い。
だから。勘違いしてはいけない。彼女はただ優しくて、誰にでも親切で。
純粋にクレールを、そして「奏」を応援してくれているファンの一人。
でも、だからこそ。これ以上はもう。
誠実且つ無垢な彼女の前に。
もう正直に全部、打ち明けよう――そう思った。
「あの、神宮寺さん……じつは」
「セ~ンパイ!」
今まさに、最初のひと言が喉元を過ぎようとしていた。にも関わらず、静謐さを取り払うほどの無垢さと陽気さを引っ提げ、そして今日一日で何度も耳にしたその甘ったるい声に。離陸間際の決心がバサリと遮られた。
デジャブな呼び声。
僕を「先輩」と呼ぶ人物なんて、この学校に一人しかいない。
そうやって見計らったかのように、「悪戯なる小悪魔」は再び現れた。
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