第17話

 それから二日後。

 これまでずっと墓石として過ごしていた僕、だったが……。

 茉莉愛との接点が生まれて以降、その行動パターンに大きな変化が生じ始めていた。

 休み時間の直前や授業の合間合間に、チラチラと感じる聖女からの視線。明らかにタイミングを見計らっているのがわかった。彼女がまた僕へと近づこうものなら、監視カメラよろしく男子生徒たちが飢えた獣のように再び牙を向け、蛮行に走る可能性は大。まさに八方塞がりだった。

 そのため僕は、自席での滞在時間を極力最小限にとどめていた。朝はホームルーム開始ギリギリに登校し、授業と授業の間の十分休みには毎度トイレへと駆け込む。そして昼休みには外で昼食を摂り、終礼後はいの一番に教室を後にする、などなど……。

 一分一秒と隙を見せないよう、終始「逃げ」を徹底するのに必死だった。

 そんな中で迎えた、この日の昼休み。運動音痴ながらもチャイムと同時に、疾風迅雷な動作で逃避を遂行すべく弁当片手に席を立った。

 ガタン、ッ!

 だが、早くも二日目にして――まるでそれを予見していたかのように。

 同様にすぐさま席から立ち上がった茉莉愛が、くるりと僕の方へ振り返った。

 やばい。これは――。

 ギアをトップ、アクセル全開の急ぎ足で廊下へと向かう。俯きながらも、視界の端々に映りこむ白く端麗な二本の脚。その美しいプロポーションは狭いスクリーンから消えることなく、微かな息遣いと共に熱心に後を追いかけてきた。

「あっ!」

「待って、奏汰くん!」

 僕を呼ぶ声。けれど、振り返ることはできなかった。徐々にフェードアウトする気配に、背を向けていても彼女の心情が伝わってくる。

 ……ごめんなさい、マリア様。こんなことをしても意味が無い。イタチごっこだ。そんなこと最初から分かっていた。でも、どうしていいか……。これ以上ごまかし続けるのも辛い、かといって、正直に打ち明ける勇気もない。結果聞こえない振りをし、そのまま校舎を後に。

 不器用な僕には――彼女を避けるという形でしか、感情表現ができなかった。


「ハ……」

「ハア……ハア……」

「いったいお前は、何から逃げているんだ」「心底薄情なヤツめ」「最低だな」と、絶えず自分を卑下し責め立てながら。僕は陽光照り付ける校舎の中庭へと繰り出した。

 もうすぐで七月。季節はすっかり夏模様。そんな真昼の暑い中、わざわざ外で食事をしている生徒など一人もいない。当然だろう。自覚しながらも、僕はギリギリ日陰を保持しているベンチを見つけぐったり腰を下ろした。

「あぁ……」

「やっぱりもう、正直に言うべきだよな」

 こんな虚しい逃避行を続けたところで、すぐに終わりが見えている。意を決し、自分がクレールのヴォーカルであることを自白するべきか。もしくはタオルに関して、知人から貰ったのは嘘だと白状し他の理由をでっちあげるべきか。どちらにしても……ハードルが高い、高すぎる。

 繰り返される無意識にも近い溜息と、全く持って沸かない食欲を重々に自覚しながら、僕は弁当の入った巾着袋に手を掛けた。


「あっ、いたいた!」

「センパ~イ!」


 突如校舎と中庭のコンクリート四方に響く、聞いたことのある女子の声。聖女の放つ「それ」とは違っていた。それは極端に可愛らしく、あどけなく。けれども少しだけ艶やか且つ、どこか小悪魔を彷彿とさせるような甘々ボイスで。

 この声は、つい最近どこかで。

 慌てて振り向くと、ちょうど校舎の渡り廊下からこちらに向け大きく手を振る、小柄な少女の姿が目に入った。崩したブレザーに短めのスカート。そして丈から伸びる黒タイツ越しの細い脚。全身シックで黒を基調としながらも、コントラストとして際立った小顔と腕の白さ。胸元の付けられたリボンが黄色であることから、一つ下の一年生だとわかる。 

「フフ、やっと見つけたッ!」

 彼女は小刻みな足音を鳴らしながら、真っ直ぐ僕のいるベンチへと近づいてきた。

 満面の笑顔と共に、徐々に鮮明になる輪郭。ひらりと舞う萌え袖と黒髪のツインテールが陽光に反射し、さらにオレンジの薔薇のシュシュが頭上高く昇る太陽と重なって――。

「っ、え? ウソ……」

 瞬間、僕は全てを思い出した。

「奏汰センパイ!」

「まさかアタシの事、もう忘れちゃったんですか~?」

 あっけにとられた僕を前に、ふんわり言い放つ彼女。時間差で届いた初夏の風に乗り、あの時と同じ甘い香りが鼻先から全身へと浴びせられる。

 そう――彼女とはつい先日、先週の日曜日に会っていた。

「ア・タ・シですよ。久留米音羽くるめおとはです!」

「ど、どうしてキミが、ここに……」

「どうしてって、もぉ~」

「アタシもココの、学校の生徒だからに決まってるじゃないですか!」

 思わぬ展開だった。樹からは何も聞いていない。それに会ってまだ二度目。だが彼女はまるで古くからの幼馴染かのように、距離感ゼロでグイグイと接してきた。

 流石は樹の妹。コミュ力の高さが伺えた。

「でもねセンパイ。じつはアタシも、ファミレスでセンパイと会った時にはまだ、同じ学校だったとは知らなくって」

「えっ?」

「この間ヘルブラッドのライブを観に行った帰り道に、お兄ちゃんから聞いたんです。『そうだ音羽。そう言えば奏汰の奴だけど、じつは音羽と同じ学校なんじゃね?』って」

 そういうこと、か。ようやく合点がいった。

 だから僕の名前を聞いたあの時、ずうっと何かを熟思していたのか。

 いや、でも待て。この子は一年生だ。学年も違うのに、樹から聞かされる前からどうして、名前だけであんな反応を……。って、まさか、先日の体育祭!? あの時は同学年の多くから何度も名前を連呼され、全校生徒にも見られていた。

 間違いない。思わぬ伏兵に寝首を書かれたような気分だった。

 にしても、ウチのリーダーは。樹は音楽以外に関しては随分と適当というか鈍いというか。それは絶対に、いの一番にファミレスで言うべきセリフだろ。

「それよりセンパイ。こんな暑い日にわざわざ外でお弁当ですか?」

「あ、ああ……いや。これはその……まあ、いろいろあって」

 話題が変わり、思いがけない真っ当な質問に言葉が濁り反応に困ってしまう。一方の音羽は「ん?」「センパイ?」と小さく顔を傾け、こちらを覗き見るような仕草を連射してきた。繰り出される上目遣いと吐息のように漏れ出る甘い声。自分が年下だと知ってか知らずか、彼女は造作もなく持ち合わせたポテンシャルを存分に発揮し迫ってくる。

「あ~わかった! もしかしてセンパイ、クラスで仲間外れなんでしょ?」

「っ、い、いや、それは全然ちがっ」

「フフッ」

 途切れた否定。茶化すように言うと、音羽は僕の眼前で人差し指をクルクルとさせた。

 正直間違ってはいない。が、どちらかというと、自ら望んでそうしているといった方が正しい。と思いつつも反応に困り、頭を掻き濁すことしかできなかった。

「それにしてもセンパイ。ライブの時と、ホント雰囲気違いますね」

「まあ髪色とヘアスタイルが、全然違うからかもしれないですけど……。伸ばしっぱなしの髪で、目元も隠れちゃってて。それに、根暗チックなメガネもかけてるし」


「あーあ。何だか


 音羽は舐め回すように僕を見ると、ぷいっと渋面を滲ませ嘆息交じりに言い放った。

 ツラツラと失礼な……。だいたい「根暗チック」って何だよ。僕は元々暗い人間だ。これがナチュラルな素なんだよ。リア充で陽キャな人間など好かない。逆につまらないというか、何というか。だから僕はこれでいい。ポジティブなネガティブなんだ。

 あと――「もったいない」とはどういう意味だ? そういえば前にも言っていたような。

「ねえセンパイ。バンド活動のほうは順調ですか?」

「え? ああ、うん。それはまあ」

「なら、良かったです」

「えっ? それってどういうい」

 すると不意を突くようにして、ツンと立てた彼女の人差し指に言葉を遮られた。橙色に彩られた夏らしいネイルの光沢とパチリと大きなまつ毛が、眼前でキラキラと輝く。

「ねえ先輩」

「バンド、絶対に辞めちゃダメですからね」

「えっ」

「お兄ちゃん。今すっごくやる気になってて。それにここ最近はずうっとウチで曲作りにも励んでるみたいだから。だから、絶対に辞めちゃダメですよ?」

「そう、なんだ」

 聞きながらふと、自室に籠りギターを爪弾き、四六時中音楽に没頭する樹の姿が明瞭に浮かんだ。身内とはいえ第三者からメンバーの日頃の様子を耳にすると、不思議と嬉しさを感じる。

 クレールはもう、僕の心の拠り所だ。辞めようだなんて、これっぽっちも考えてなどいない。

「それにね先輩」

「……アタシ」

 また一つ、彼女の声のトーンが切り替わった。

 この小悪魔、今度は何を繰り出そうと。

「アタシ、先輩のことが」

 一つ一つの投げかけに逐一含みを持たせてくる。それがどこか憎らしくもあり、だけども可愛らしく、見えなくもなくて……。とにかく言葉を交わす度に惑わされてしまう。まさに、恐るべき魔性だった。

「大好き……なんです」

 甘えたようにゆっくりと。思いがけない告白が、柔らかくも深く僕の芯を貫いた。

「え……ええっ? すっ、好き!?」

「はい」

「アタシ、センパイのが大好きなんですッ。ンフフッ」

 ああ、そっちね。決して「人物」そのものではなく、一パーツのこと。僕はバカだ。

 本来なら嬉しい言葉であるにもかかわらず、勘違いの発動から身勝手に上昇する体温。恥ずかしい。不憫。僕はただ己の愚かさを呪った。

「あ~センパイ。もしかして今、アタシのこと意識しちゃいました?」

「は、はああ!? 違っ、別に!」

「そんなこと言って~。顔真っ赤ですよ」

「っ、これは……そっ、外が暑いからで」

「ンフフッ。ホントにそうですか~」

 言葉と表情と仕草で、隙間を縫うように翻弄してくる音羽。良い子なのかそうじゃないのか、素性が全く持って見えなかった。もう、何なんだ。終始他愛もない問答をただ繰り返すだけで、時だけが過ぎていく。


「……あ」

「奏汰……くん」


 その時だった。遠巻きから、疑問符を交え響く、もう一人の声。

 場所は先程と同じく一階の渡り廊下から。通路の真ん中に立ち、右手の親指と人差し指を口元に添え、こちらをじっと見つめる一人の。

(……神宮寺さん!?)

 しまった。目の前にいる後輩の小悪魔女子に気を取られ、すっかり失念していた。

 時計台を一瞥する。既に昼休みの三分の四を過ぎていた。

 そして再び、視線を下げると……。

 僕の方に顔を向け、立ち尽くす茉莉愛の姿があった。

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