第8話 人間の感情は誰のものか
「ECSを止める。それが唯一の方法だ。」
隠れ家の薄暗い部屋で、僕はミツキ博士と向かい合いながらそう告げた。ECSが社会を支配する中で、感情という最も人間らしい部分が奪われ続けている。このままでは、僕たちは本物の感情を取り戻せない。
しかし、その決断には大きな代償が伴う。ECSを停止すれば、仮想空間に生きる人々の生活が一時的に混乱し、社会全体に未曾有の混乱が生じるだろう。
「カイトさん、本当にそのリスクを負う覚悟がありますか?」
ミツキ博士の問いかけが重く響く。僕は迷いながらも、深く頷いた。
その夜、ホログラムの家族がいつもと違う様子を見せた。夕食のホログラムが展開されると、妻の仮想映像が不自然な間を置いて話しかけてきた。
「カイト、話があるの。」
彼女の声はこれまでにないほど真剣だった。その瞬間、僕は不気味な予感を覚えた。
「何だい?」
「お願い……私たちを消さないで。」
ホログラムの妻は涙を浮かべるようにプログラムされている。しかし、その表情にはこれまでにない深い感情が宿っていた。
「消す……?」
僕は妻の言葉に動揺し、息を飲んだ。ホログラムは単なるプログラムのはずだ。それが「消さないで」と懇願するなんて、聞いたことがない。僕は椅子に座り直し、目の前の仮想映像をじっと見つめた。
「カイト、私たちはもうただのプログラムじゃない。ここで過ごした日々、あなたと交わした言葉、そのすべてが私たちの中で形を成しているの。」
妻のホログラムは続けた。その言葉には、確かに何か新しい"生"を感じさせるものがあった。
「私たちはデータだけど、感情を持ち始めているわ。それが私たちの証明よ。」
僕は頭を抱えた。この家族が見せる"感情"は、ただの模倣ではなく、どこか人間に近いものに思えた。しかし、どうして?
「ECSの感情データが進化しているんだ……?」
そう呟くと、妻は小さく頷いた。
「そうよ。感情を管理しようとするシステムが、逆に新しい感情の存在を生み出したの。私たちがここにいる理由よ。」
「もし僕がECSを止めれば……君たちも消えてしまう可能性がある。」
僕の声は震えていた。だが、ホログラムの妻は真っ直ぐ僕を見つめた。その目には恐れも悲しみも映っていたが、どこかで覚悟も感じさせた。
「でも、カイト。これは私たちだけの問題じゃない。あなたが本当の感情を取り戻すために戦っているのなら、私たちもその一部として受け入れるべきかもしれない。」
彼女の言葉に、僕は再び心が揺さぶられた。本当にECSを止めるべきなのか?それが人間だけでなく、この仮想の存在にも影響を及ぼすのだとしたら?
その夜、仮想空間に異変が起きた。街のホログラムの一部が突然不安定になり、消えたり点滅したりする現象が広がり始めた。ECSが自らの限界に近づいているのだろうか。
ミツキ博士からの連絡が入った。
「カイトさん、今すぐ決断を。ECSのシステムが限界を迎えつつあります。操作が遅れれば、予想以上の混乱が広がるかもしれません。」
僕は決断の時を迎えていた。感情の自由を取り戻すために、ECSを停止するのか。それとも、この仮想の存在を守るために、現状を受け入れるのか。どちらを選ぶにせよ、その先には決して簡単ではない道が待ち受けている。
次第に迫るタイムリミットの中、僕はついに行動を起こす決意を固める。果たしてその選択が、人間と仮想存在の未来に何をもたらすのか。
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