第17話 眠り続ける少女

 その少女、桜(さくら)は14歳。ベッドの上で静かに眠り続けていた。眠りというより、意識のない世界に閉じ込められているようだった。彼女は交通事故で昏睡状態となり、3か月が経過している。


 その病室に初めて足を踏み入れた時、マナミは重苦しい空気を感じた。部屋には少女の母親と父親がいたが、二人の間には冷たい沈黙が流れていた。


 「桜ちゃんのために、どんなことでも試してみたいんです。」母親がそう言いながら涙を拭った。


 「お願いします。医者の一人として、彼女の声を聴いてみてほしい。」父親もまた深く頭を下げた。


 マナミは頷き、桜の手をそっと握った。




 目を閉じて桜の「語り」に耳を傾けると、最初は無音のようだった。しかし、しばらくすると、遠くからかすかなささやきが聞こえてきた。


 「怖いよ……。このままでは戻れない……。」


 桜の声は幼いながらも強い恐怖を帯びていた。その声の裏には、ただの事故による心の傷以上の何かが潜んでいるようだった。


 「家族が……壊れそう……。」


 その言葉を聞いた瞬間、マナミはこの昏睡の原因が単なる身体的な損傷ではなく、家族の関係性に起因するものであることを直感した。




 桜の母親と父親に話を聞くと、二人の間に深い溝があることがわかった。事故の直前、夫婦は激しい口論を繰り返していた。仕事のストレス、育児の負担、すれ違いの日々――その中で桜は二人の争いを静かに見守り、傷ついていたのだ。


 「桜はいつも私たちの間に立って、場を和ませようとしてくれていました。でも、あの事故が起きてから、夫ともまともに話せなくなって……。」母親が声を震わせながら語る。


 父親もまた、深い後悔を口にした。「もっと早く、家族として向き合うべきだったのかもしれない。」


 マナミは二人に向き合いながら、静かに言った。


 「桜ちゃんが伝えたいのは、家族がもう一度絆を取り戻すこと。そのためには、二人がまず向き合う必要があります。」




 マナミは家族セッションを提案した。母親と父親がそれぞれの思いを言葉にし、互いに聞き入れる時間を作ることから始めた。


 最初はぎこちなく、感情的になる場面もあったが、次第に二人は桜の存在を通じて共通の思いに気づき始めた。


 「桜が戻ってきたら、もっと家族で過ごす時間を大切にしたい。」


 「お互いを責めるより、支え合うことが必要だったんだね。」


 二人が変わろうとする決意を見せる中、マナミは桜に再び語りかけた。




 数日後、マナミが桜の手を握りながら心を傾けると、今度は少しはっきりとした声が返ってきた。


 「……怖くなくなってきた。帰りたい……。」


 その声に、マナミは優しく答えた。


 「桜ちゃん、家族が君を待っているよ。大丈夫、もう一度一緒に歩いていける。」


 そして、ある朝、桜はゆっくりと目を開けた。




 桜が目を覚ましたとき、彼女のベッドサイドには母親と父親が手をつなぎながら座っていた。


 「おかえり、桜。」


 涙を浮かべた二人の笑顔を見て、桜もまたほほ笑んだ。その笑顔は、家族の新しい始まりを象徴していた。




 桜のケースを通じて、マナミは改めて「病気の語り」が持つ力を実感した。それは単に患者本人だけではなく、周囲の人々の心も動かす力を持つものだった。


 「病気が語る声を聴くことで、人々は自分たちの繋がりを取り戻せる。それが私の役目なんだ。」


 そう心に刻みながら、マナミは次の患者に向き合う準備を始めた。

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