第18話 命の終わりを語る老人
秋の風が木々の間を吹き抜けるある日、マナミは病院のホスピス棟を訪れた。そこには末期癌を患う老人、安田哲夫(やすだ てつお)がいた。80歳を超える安田は、かつては地元の名士として人々に慕われたが、現在は病室のベッドで過ごす日々を送っていた。
医師からは「余命は数週間」と告げられていたが、安田は家族や看護師に心を閉ざし、ほとんど誰とも会話をしようとしなかった。
「先生、彼はずっと『俺のことは放っておいてくれ』と言うばかりで……」
看護師の言葉に、マナミは静かにうなずいた。安田の病室に入り、挨拶をすると、彼は目を細めて冷たく言った。
「お前も俺を励ますつもりか? 無駄だぞ。」
マナミは微笑んで椅子に腰を下ろした。
「いいえ、私は励ましに来たわけではありません。ただ、哲夫さんが何を考えているのかを聞かせてもらえたらと思って。」
その言葉に安田は少しだけ表情を和らげた。
翌日もマナミは病室を訪れた。そして、そっと安田の手に触れ、病気の声に耳を傾けた。その瞬間、彼の病気が囁いた。
「私は終わりではない。ただの区切りだ。」
その声は深く静かで、どこか慈悲に満ちていた。マナミはさらに問いかけた。
「あなたは哲夫さんに何を伝えたいのですか?」
「恐れずに迎え入れてほしい。彼が抱える重荷を下ろし、心の平穏を取り戻すために。」
マナミはそのメッセージを哲夫に伝えるべき言葉として胸に刻んだ。
「哲夫さん、あなたの病気は何かを伝えたがっているようです。」
マナミがそう言うと、彼は目を細めた。
「病気に語りなんてあるわけないだろう。これはただの罰だ。これまで自分勝手に生きてきた俺への罰だよ。」
マナミは静かに首を振った。
「病気は罰ではありません。それは哲夫さんが人生を振り返り、次に進む準備をするための機会を与えてくれるものです。」
哲夫は黙り込み、その後ぽつりと呟いた。
「俺は……何もかも失った。妻も先立ち、息子たちも忙しくてほとんど来ない。この先、何をすればいい?」
マナミは彼の問いに応えるように、優しく言った。
「哲夫さんが過去を受け入れ、心の中で愛する人々と再び繋がること。それが今のあなたにできることかもしれません。」
マナミの言葉に影響を受けた哲夫は、少しずつ心を開いていった。そして、ある日、彼は自身の過去を語り始めた。
「私は若い頃、事業を立ち上げて必死に働いた。家族にいい暮らしをさせたいと思って……でも、それがかえって妻や息子たちを遠ざけたのかもしれない。」
マナミは頷きながら、彼の言葉に耳を傾けた。
「哲夫さん、後悔や自責の念があるのなら、それを家族に伝えてみてはいかがでしょうか?」
その後、哲夫は息子たちを病室に呼び寄せた。最初はぎこちなかったが、彼は思い切って心の内を語った。
「お前たちに寂しい思いをさせて悪かった。だが、父親としてお前たちを愛していたんだ。それだけは分かってほしい。」
息子たちは涙を浮かべながら答えた。
「父さん、僕たちは父さんを尊敬しているよ。だから、もう自分を責めないで。」
家族との対話を経て、哲夫の心は次第に穏やかになっていった。彼は病気のメッセージを受け入れ、最後の時を迎える準備を整えた。
「マナミ先生、俺は怖くなくなったよ。この先がどうなるか分からないけれど、きっと妻が迎えに来てくれると思えるんだ。」
数日後、哲夫は静かに息を引き取った。家族に囲まれ、満ち足りた表情でその最期を迎えた彼の姿は、マナミにとって忘れられないものとなった。
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