第16話 病気を操る闇

 ある夜、マナミのもとに一本の電話が入った。相手はかつて治療をした患者の一人、秋山恭子。彼女の声は震えていた。


 「先生、助けてください……夫が……夫が、急に別人のようになってしまったんです!」


 詳しく話を聞くと、恭子の夫はある「治療プログラム」を受けた後、急に仕事人間に変わり果て、家族との関わりを拒むようになったという。そのプログラムは、精神的な疲労や病気を短期間で治すと評判を呼んでいたものだったが、受けた後に性格が変わる人が多いという噂が囁かれていた。


 「その治療、どこで受けたのですか?」

 「『シグマ・ケア・センター』という場所です。とても豪華な施設でしたが……あれ以来、何かが狂ってしまいました。」


 その名前を聞いたとき、マナミの中にかすかな警戒心が生まれた。




 シグマ・ケア・センターは、近年急速に人気を集めている総合医療施設だった。最新の科学技術と伝統的な療法を融合させた画期的な治療を謳い、多くの成功事例を公表していた。しかし、詳しい治療内容は明らかにされていない。


 「病気を短期間で治す」という売り文句に惹かれ、多くの人がその施設を訪れていたが、治療を受けた後に「病気の声」が封じられるような異変が見られるという報告も増えていた。マナミは医師仲間や恩田博士にも相談したが、誰もその施設の実態を知らなかった。


 「気をつけるんだ、マナミ。その施設には何か普通じゃないものを感じる。」

 恩田博士は、これまでにないほど重く響いた。




 マナミは意を決してシグマ・ケア・センターを訪れた。見学者を装い、施設内部の調査を試みた彼女は、そこで奇妙な現象に出会う。患者たちはみな笑顔を浮かべ、健康そのものに見える。しかし、マナミが彼らに触れ、病気の声を聞こうとすると――何も聞こえない。


 「病気の声が……消えている?」


 施設の医師たちは、患者の心身をデータ化し、「病気の原因を消去する」と説明した。だが、そのプロセスで患者の感情や個性が抑え込まれていることにマナミは気づく。


 施設の責任者である志村博士が現れたとき、彼はマナミを見透かすような目を向けた。

 「あなたも『病気』に頼りすぎているのではありませんか? 我々の方法で、病気を完全に取り除けるのです。」


 その言葉に、マナミは背筋が凍る思いをした。




 調査を続けるうちに、マナミは「シグマ・ケア・センター」が特定の薬物や心理操作を使い、病気を「コントロール可能な状態」にする技術を開発していることを突き止める。その技術の背景には、志村博士率いる謎の組織「シグマ」があった。


 シグマは「病気は人間を進化させる道具である」と考え、病気を操作することで人々を効率的な存在に改造しようとしていた。しかし、それは患者の自由な意志や感情を奪うものであり、健康を得る代わりに「魂」を失うような治療だった。




 その事実を知ったマナミは、志村博士と対峙する。

 「病気は人間にメッセージを与え、成長を促すものです。あなたたちのやり方は、それを否定する行為です。」


 しかし、志村博士は冷笑する。

 「病気の声などという曖昧なものに頼る時代は終わったのです。我々の方法は、短期間で結果を出す。あなたのように遠回りをする必要はない。」


 マナミの心は揺れた。確かに彼の言う通り、患者たちはすぐに症状から解放されている。マナミ自身の方法は時間がかかり、すべての患者が治るわけではない。しかし、彼女の中には病気の声が持つ意味を知る語り部としての信念があった。




 その夜、マナミは施設の一室で眠りにつこうとしたが、不意に一つの声が心に響いた。


 「病気は人間の弱さではなく、強さを引き出す存在。」


 その声は、施設に抑え込まれていた患者たちの病気の声だった。彼らは病気を完全に取り除くことではなく、その声に耳を傾けることで成長したいと願っていた。


 マナミは患者たちの元を訪れ、一人ひとりに触れながら、病気の声を解放する術を試みた。時間はかかったが、次第に患者たちは自分自身の内面と向き合うようになり、本来の個性や感情を取り戻していった。




 最終的に、シグマ・ケア・センターの不正は明るみに出され、志村博士は追放された。しかし、病気を効率的に治療することを求める人々の需要は根強く残っていた。


 マナミは決意する。

 「私たちがしなければならないのは、病気をただ消し去るのではなく、その声を共に聞き、受け入れること。」


 彼女は新たに「語り部のクリニック」を設立し、病気と人間が対話する場を提供する活動を始めた。その中で彼女は、語り部としての使命を改めて胸に刻む。

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