第11話 語り部の旅立ち
「マナミ、これからどうするつもりだ?」
恩田博士の問いかけに、マナミは診療室の窓の外を見つめた。青い空と静かに揺れる木々。その風景はどこか旅立ちを促すような静けさを纏っていた。
「私……自分のクリニックを開きたいんです。」
その言葉は長い間胸の中に秘めていたものだった。しかし、いざ口にすると、自分の中で意外なほどしっくりとくるのを感じた。
「そうか。それは大きな一歩だな。」
恩田博士の声は温かく、どこか誇らしげでもあった。
マナミが語り部の医術を学び始めてから、数年が経っていた。その間、彼女は数多くの患者と向き合い、病気が語る声に耳を傾けてきた。
少年の心因性失声症、マラソンを愛する女性の膝の痛み、息子を失った母親の心臓、そして手術後の傷が癒えなかった男性――それぞれの物語が彼女の中に深く刻まれている。
その中でマナミは一つの真理にたどり着いた。
「病気は、私たちに気づきを与える存在だ。」
それは単なる医療行為ではなく、心と体、そして人との繋がりを取り戻すための旅路だった。そして、その旅路を導く役割を担えるのは、自分自身だと確信したのだ。
「恩田博士、私はもう、ここで学ぶべきことは十分学びました。これからは、自分の場所で患者さんと向き合っていきたいです。」
マナミの言葉に、恩田博士は少しだけ目を細めた。
「マナミ、お前ならきっと大丈夫だよ。ただ、ひとつだけ覚えておいてほしいことがある。」
「はい?」
「語り部の医術は、病気の声を聴くことだけではない。患者の声に耳を傾けること、そして時には自分自身の声を忘れないこと。それが本当に大切なんだ。」
マナミは深く頷いた。
「恩田博士の教えを胸に、進んでいきます。」
その夜、彼女は長い手紙を書いた。恩田博士への感謝、これまで出会った患者たちへの思い、そしてこれからの決意を綴った。
新しい土地に足を踏み入れたマナミは、まず自分のクリニックを開業するための準備を始めた。古い一軒家を改装し、診察室を設けることにした。
壁は柔らかなベージュ色に塗り替え、木の温もりを感じる家具を揃えた。診察室には心を落ち着けるためのアロマと、リオから学んだ音楽療法に使う小さな楽器を置いた。
「ここが私の新しいスタート地点。」
マナミはその場に立ち、深呼吸をした。
開業初日、最初の患者が訪れた。それは60代の女性、佐藤美智子(さとう みちこ)だった。彼女は微笑みながら言った。
「新しいお医者さんが来たって聞いてね。どんな診察をしてくれるのか楽しみだったのよ。」
美智子の症状は慢性的な肩こりと頭痛。マナミは丁寧に話を聞き、彼女の肩に手を当てた。病気の声がささやく。
「背負いすぎている。誰かに頼ってもいいんだよ。」
その言葉を美智子に伝えると、彼女はしばらく黙り込んだが、やがて涙を流しながら語り始めた。
「実は夫が亡くなってから、ずっと一人で頑張らなくちゃと思ってたの。でも、それが自分を苦しめてたんですね……。」
マナミは静かに頷き、優しく手を握った。
「美智子さん、これからは少しずつ、他の人にも頼ってみませんか?その一歩をお手伝いさせてください。」
クリニックの窓から見える景色は、かつて恩田博士のもとで見たものとは違っていた。そこには新しい出会いと物語が広がっている。
マナミは手帳を開き、次の予約患者の名前を確認した。そして、自分が歩むべき道が、ここにあることを改めて感じた。
「これからも、病気の声を聴き、人々と共に進んでいこう。」
そう心に誓い、マナミは新しい一日を迎える準備を始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます