第9話 息子を失った母親の心臓
マナミの診療所を訪れたのは、60代後半の女性、陽子(ようこ)だった。彼女はどこか弱々しく、心の奥に深い傷を抱えていることが一目で分かった。
「先生、最近、胸が締め付けられるように痛むんです。病院では心臓の異常が見つかったって言われたんですけど……。」
陽子の声は震え、目には涙が浮かんでいた。彼女の心臓病は、身体だけでなく心にも重い負担をかけているようだった。
「お話を伺いながら、原因を一緒に探っていきましょう。」
マナミは優しく微笑みながら、陽子を診察室に案内した。
診察の合間に、陽子はぽつりぽつりと自分の過去を語り始めた。
「去年、息子を事故で亡くしたんです……。彼はまだ30代で、これからって時に。」
陽子の声が詰まり、涙がこぼれた。
「私がもっと彼のことを守っていれば、あんなことにはならなかった。私の責任なんです。」
その言葉を聞いたマナミは、陽子が抱える心の傷と深い罪悪感を感じ取った。彼女の病気は、この罪悪感が原因で心臓に大きな負担をかけている可能性が高かった。
マナミは静かに陽子の手を取り、心臓の声を聴くことを提案した。陽子が頷くのを見て、マナミは目を閉じて集中した。
心臓から響いてきたのは、重く、沈んだ声だった。
「許せない……自分を許せない。もっとしてあげられたのに、どうしてあの時気づかなかったのか。」
その声は、陽子自身の心の叫びそのものだった。マナミはゆっくりと目を開け、優しい口調で話しかけた。
「陽子さん、心臓がこう言っています。『罪悪感を解き放って』と。」
陽子は驚いた表情を見せたが、すぐにうつむいて涙を流した。
マナミは続けた。
「息子さんを失ったことは、本当に辛い出来事だったと思います。でも、陽子さんが自分を責め続けることで、息子さんが望んでいることが見えなくなってしまうかもしれません。」
陽子は涙を拭きながら、震える声で答えた。
「でも、私があの時もっと気をつけていれば……彼を失わずに済んだかもしれない。」
「洋子さん、息子さんが天国から洋子さんのことを見ているとしたら、どんな言葉をかけてくれると思いますか?」
その問いに、陽子はハッとした様子だった。
「きっと……『お母さん、もう自分を責めないで』って言うと思います。」
マナミは頷いた。
「そうです。陽子さんが心を少しでも楽にすることが、息子さんへの一番の供養になるのではないでしょうか。」
マナミは陽子に、罪悪感を解き放つための小さなステップを提案した。
息子との思い出を綴る
陽子に日記を始めてもらい、息子との楽しかった思い出や感謝の気持ちを記録するよう勧めた。
瞑想や深呼吸を通じて、自分の心と体をリラックスさせる方法を教えた。
息子の生前を知る人たちと話し、その愛された姿を思い出すことで、陽子の心に光を取り戻す手助けをした。
数週間後、陽子が再び診療所を訪れた時、彼女の表情は少し明るくなっていた。
「先生、息子と話すように日記を書き始めたんです。最初は泣いてばかりだったけど、今は少しずつ感謝の気持ちを書けるようになってきました。」
「素晴らしいことですね。陽子さんの心が少しずつ軽くなっている証拠だと思います。」
陽子は静かに微笑みながら言った。
「息子も、きっと天国で見守ってくれている気がします。私、これからは彼のためにも、自分を大事にしようと思います。」
陽子は息子を失った悲しみを乗り越え、自分自身を許すという大きな一歩を踏み出した。彼女の心臓もその変化に応えるように、痛みが和らいでいった。
マナミは陽子を見送りながら、病気が持つ癒しの力と、その背後に隠された人間の強さに改めて感動を覚えたのだった。
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