第7話 言葉を失った少年の声

 診療所の朝、母親に連れられて一人の少年がやってきた。少年の名前は健太(けんた)、12歳。数週間前から突然言葉を話せなくなり、学校にも通えていないという。


 「先生、どうか息子を助けてください。このままでは……。」


 母親の瞳には不安が滲んでいた。一方、健太は視線を床に落とし、俯いたままだった。その表情には、言葉を失った理由を必死に隠そうとするかのような影が見えた。




 診察室で、マナミは健太に優しく声をかけた。


 「健太くん、今日はよく来てくれたね。今は話せなくても大丈夫。ゆっくり一緒に考えていこう。」


 健太は少しだけ顔を上げたが、何も言わず、首を横に振った。彼の様子を見たマナミは、彼の心に深い葛藤があることを直感的に感じた。




 母親の話によると、健太は学校で成績優秀な生徒だった。父親も教師で、健太には将来医者になることを期待していると言う。


 「でも、最近になって宿題やテストの結果に不安がっている様子がありました。でも、そんなことでこんなふうになるなんて……。」


 母親は涙ながらに語った。しかし、マナミは健太の中にある「言葉を失う」という現象の裏に、もっと深い心のメッセージが隠されていると感じた。




 マナミは健太にそっと手を触れ、目を閉じた。そして、彼の病気である心因性失声症の「語り」に耳を傾けた。


 その語りは、低く震える声でこう囁いた。


 「僕の声は、誰にも届かない。言葉を話しても、誰も聞いてくれない。だからもう話さないんだ。」


 その声には、家族や周囲の期待に応えられない自分への罪悪感と、自分自身の心の声を押し殺してきた苦しみが込められていた。


 マナミはその語りを胸に抱き、健太と母親に慎重に話を切り出した。




 「健太くんの声は、実は彼自身の心を守るために隠れているのかもしれません。」


 マナミの言葉に、母親は驚いたようだった。


 「隠れている……ですか?」


 「はい。健太くんが言葉を失ったのは、自分の声を聞いてもらえないと思ったからかもしれません。」


 マナミは健太に向き直り、絵や文字で気持ちを伝える方法を提案した。健太はしばらく迷った末、紙とペンを取り、何かを書き始めた。


 「どうして僕は完璧じゃないといけないの?」


 その文字を見た母親の表情が凍りついた。そして涙を流しながら言った。


 「そんなふうに思ってたなんて……気づいてあげられなくて、ごめんね。」




 マナミは健太と母親に、次のようなアプローチを提案した。


 健太の気持ちを文字や絵で表現する時間を作ること

 健太が感じているプレッシャーについて、家族で話し合うこと

 必要であれば、音楽や自然の中でリラックスする時間を取り入れること

さらに、マナミは音楽療法士のリオを紹介し、音を通じて感情を解放する手助けを受けることを提案した。




 セッションを重ねる中で、健太は少しずつ自分の気持ちを母親に伝えられるようになった。リオの音楽療法も、健太の心を穏やかにする助けとなった。


 ある日、診療所で行ったリオの音楽セッション中、健太はふと口を開き、小さな声で「ありがとう」と呟いた。


 その声を聞いたマナミとリオ、そして母親は、思わず微笑んだ。健太が再び言葉を話す準備を整え始めたのだ。




 健太が言葉を失ったのは、自分の本当の声を取り戻すためだった。言葉を取り戻した彼は、以前よりもずっと自然体で、家族とも穏やかな関係を築くことができるようになった。


 マナミはこの経験を通じて、病気が伝える声の奥深さを改めて実感した。言葉を失った少年は、自分自身の声を取り戻し、再び新たな一歩を踏み出したのだった。

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