5日目 第2話 大切な服、大切な人へ

 部屋へ戻ると、綾香はすぐにクローゼットの前へ向かい、扉を開けた。 キチンと並べられた服の中から、慎重に選び始める。


 「昨日みたいに車移動ならよかったけど、今日は電車と徒歩だからね。旧型のセーラー服はさすがに目立つし……ジャージってわけにもいかないし。」


 「別にそこまでしなくても……」


 花音が小さくぼやくが、綾香は真剣な顔で服を探している。どうやら本気らしい。


 そんな時、続くノックの音とともに、聞き慣れた声が響いた。


 「昨日はお疲れさま!」


 「どうだった? 撮影って!」


 梨奈と華子だ。ドアを開けると、二人はニコニコしながら部屋に入ってきた。


 開口一番、興味津々な様子で詰め寄られる。梨奈も華子も、昨日の詳細は知らない。ただ「綾香のモデル撮影に付き添う」とだけ聞いていたはずだ。


 「うん、まあ……なんとか。」


 曖昧に返事をすると、すぐに華子が首を傾げた。


 「えー、なんか詳しく教えてよ。どんな撮影だったの?」


 「それがね……」


 口を開いたのは綾香だった。手にしていたワンピースをベッドに置き、ゆっくりと振り返る。そして、ちょっと悪戯っぽい笑みを浮かべながら言った。


 「実はね、二人でウェディングドレス着たんだよ。」


 「えっ……」


 「……は?」


 梨奈と華子が、見事に声を揃えた。


 「ウ、ウェディングドレスって……本物!?」


 「二人で、って……まさかペア!?」


 食いつくように前のめりになり、花音と綾香の顔を交互に見比べる。


 「うん。本物のブライダルショップで、ちゃんとメイクもして、写真も撮ってもらったよ。」


 「ま、待って! え、花音も!? 花音もドレス着たの!?」


 「うん、そうだよ?」


 さらりと告げる綾香に、梨奈と華子の目がさらに丸くなる。


 「えええええっ!? なんでそんな大事なこと、もっと早く言ってくれないの!?」


 「だって、まだ話してなかったし。」


 「いやいやいや、それどころじゃないでしょ!? めっちゃ大ニュースなんだけど!」


 盛り上がる二人を前に、花音はなんとも言えない表情を浮かべた。顔が熱い。昨日の出来事が鮮明に思い出されて、ますます恥ずかしくなる。


 「……で、今日は何の準備してるの?」


 ようやく落ち着いた梨奈が、クローゼットの中を覗き込みながら聞いた。


 「実は……」


 花音は、スマホをなくしてしまったこと、そしてそれを探しにもう一度ブライダルショップへ行かなければならないことを説明した。


 「そうだったんだ……!」華子は口元に手を当てて、気の毒そうな表情をした。「それは大変だね。でも確かに、昨日女子として行ったのに、今日いきなり男子姿で行くのは……ちょっとまずいかもね。」


 「でしょう?だから、私が服を貸そうと思って。」


 綾香はそう言うと、少し奥の方から一枚のワンピースを取り出した。淡いブルーのシンプルなデザインで、袖口や裾にさりげなくレースの装飾が施されている。派手ではないけれど、上品な雰囲気があった。


 「このワンピース……?」花音は不思議そうに見つめた。


 「うん。これなら女の子らしいけど、派手すぎなくて花音ちゃんにも似合うと思う。」


 「へえー、可愛いね!」梨奈が感心したようにワンピースを撫でる。「でも、なんか特別な感じしない?」


 「……うん、実はこれ、私にとって結構大事な服なの。」


 綾香はワンピースを胸に抱えながら、少し懐かしそうな目をした。


 「大事な服?」花音が聞き返すと、綾香は頷いた。


 「これはね、私が中学の卒業式のあと、なお姉が初めてプレゼントしてくれた服なの。お祝いとしてね。私は昔からあまり私服を持ってなかったし、おしゃれにも無頓着だったから、すごく嬉しくて。」


 綾香はワンピースの裾を軽く撫でた。


 「奈央が『綾香はこういうのも似合うんだから』って言ってくれて、それで初めて、自分でもこういう服を着るのが楽しいって思えたんだ。」


 「そうだったんだ……。」花音は思わずワンピースを見つめる。


 「そんな大切な服、私なんかが着てもいいんですか?」


 「うん。むしろ、大切な服だからこそ、大事な時に着てほしいなって思うの。」


 綾香は柔らかく微笑んだ。


 「それに、花音に似合うって思うしね。」


 「……。」


 花音は言葉に詰まった。正直なところ、女の子の服を着ることにまだ完全に慣れたわけではない。けれど、綾香のその気持ちを考えると、拒否するのも申し訳ない気がしてきた。


 「……わかりました。お借りします。」


 そう言うと、綾香は嬉しそうに頷いた。


 「よかった!じゃあ、これに合うカーディガンも探そうかな。」


 「うんうん、せっかくだからコーディネートしてあげなよ!」梨奈と華子も楽しそうに会話に加わる。


 花音はそんな三人の様子を見ながら、少しだけ肩の力を抜いた。


 (……なんか、昨日もそうだったけど、こうやって色々考えてもらえるのって、嬉しいのかもしれない。)


 ほんのわずかに心が温まるのを感じながら、花音はそっとワンピースの生地に触れた。


 花音は鏡の前で、綾香から貸してもらった淡いブルーのワンピースをゆっくりと整えた。シンプルなデザインだが、程よいフィット感と軽やかな素材が、どこか華やかさを感じさせる。優しいブルーが、彼女の肌をより明るく見せている。ワンピースの上に羽織るカーディガンも、柔らかな白で、どこか温かみがある。


 耳元には、綾香が貸してくれた小さなアクセサリーが光っていた。花音はその小さなイヤリングを指で触れ、少し笑顔を浮かべた。これから外に出ることが、なんだか少し楽しみになったような気がした。


 ふと、隣のクローゼットを覗くと、綾香はすでに自分の服を選び終えていた。彼女は、きちんとした白いブラウスに、淡いピンク色のスカートを合わせている。ブラウスの襟元には、細いリボンが結ばれており、その控えめな可愛らしさが、綾香の性格にぴったりと合っている。足元にはシンプルなバレエシューズを履き、全体的に落ち着いた雰囲気を持ちながらも、どこか女性らしさが引き立っている。


 「綾香先輩、すごく素敵だね。」


 花音は思わず声を漏らすと、綾香は軽く照れながら微笑んだ。


 「ありがとう、花音もとても似合ってるよ。」


 二人はお互いに頷き合い、最後の仕上げをしてから、部屋を出る準備を整えた。


 「行こうか。」


 「うん。」


 二人は並んで部屋を出ると、梨奈と華子が元気よく手を振って見送ってくれた。花音は、少し胸が高鳴るのを感じながら、廊下を歩いた。まだどこか不安な気持ちが残っているが、綾香の温かい笑顔と、自分が今日また「花音」として外に出ることに対する覚悟が、少しずつその不安を溶かしていった。


 そして、二人は寮を出て、次の目的地へと歩き始めた。

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