5日目 第1話 もう一度
翌朝、朝食を終えた花音と綾香は、寮母室へと向かった。古びた木製の扉をノックすると、中から優しげな声が返ってくる。
「はーい、どうぞ。」
扉を開けると、寮母の千春が窓際の机に座って書類を整理していた。柔らかな微笑みを浮かべながら、二人を招き入れる。
「花音ちゃん、綾香ちゃん。朝から二人揃ってどうしたの?」
千春が手を止めて顔を上げると、綾香が一歩前に出て軽く会釈をした。
「昨日、なお姉の紹介でブライダルショップに行って、モデルの撮影をしてきました。」
「で、どうでした?」
千春の目が少し驚いたように見開かれる。
「はい。寮のOGスタッフもいて、ちょっとした撮影を……。」
そう言って綾香が隣の花音を見ると、花音はどこか気まずそうに視線を逸らした。
「それでね、花音も……その、私と一緒に撮影に参加して。」
「花音ちゃんも?」
千春が少し驚いたように目を細め、花音のほうを見つめる。
「……はい。」
小さく返事をしたものの、花音はどう説明すればいいのかわからず、言葉に詰まった。
「ええと……その……モデルをやるって話は全然聞かされてなくて、気づいたら流れでドレスを着せられてたっていうか……。」
千春は「ふふっ」と小さく笑った。
「なるほどねぇ。奈央ちゃんのことだから、きっと上手に丸め込まれちゃったのね。」
「……まさにその通りです。」
花音がため息混じりに答えると、千春はどこか懐かしそうに微笑んだ。
「でも、せっかくだから楽しんできたんでしょう?」
その問いに、花音は答えに詰まる。楽しかったか、と聞かれると複雑だったが、撮影の最中は妙な高揚感があったことも事実だった。ドレスに身を包み、鏡の前に立ったときのあの不思議な感覚。綾香と並んでカメラの前に立ち、微笑みを交わした瞬間——あのとき、自分は確かに「花音」としてそこにいた。
「……まあ、結果的には。」
ぼそっと答えると、千春は満足げにうなずいた。
「それと、ご相談が……」
綾香が少し表情を引き締めた。
「実は、昨日花音がスマホをなくしちゃって……。おそらくブライダルショップに忘れてきたと思うんです。」
「あら、それは大変ね。」
千春の表情が少し心配そうになる。
「それで、今日お店に行って探そうと思ってるんですが……。」
そう言いながら、綾香は少し言いにくそうに言葉を濁した。その意図を察した千春が、少し考えたあと「ふふっ」と意味ありげに微笑む。
「なるほど。昨日、ブライダルショップには『花音ちゃん』が行ったわけだから、今日になって『佐藤拓海くん』が現れたら、さすがにまずいわよね。」
「……はい。」
花音は気まずそうにうなずいた。
昨日、ショップのスタッフは寮のOGだったから事情を理解してくれたとはいえ、一般の客がいるかもしれない今日、男子姿で訪れるわけにはいかない。
「じゃあ、今日はもう一度、花音ちゃんとして行くしかないわね。」
千春がさらりと言うと、花音は思わず肩をすくめた。
「うぅ……やっぱりそうなりますよね。」
「仕方ないよ、スマホないと困るでしょ?」
綾香が優しく言うが、花音の気分は沈んでいくばかりだった。
「まあ、昨日経験してるんだし、今日も同じようにすればいいだけよ。」
千春が励ますように言う。
「……でも、もう一度外に出るの、やっぱりちょっと……。」
「昨日は綾香ちゃんと奈央ちゃんがいたから安心だったかもしれないけど、今日は二人だけだから、少し不安?」
千春の言葉に、花音は少しだけうなずいた。
「うん……やっぱり、ちょっと落ち着かないかも。」
「大丈夫よ、昨日より堂々としてれば誰も気にしないわ。」
千春は優しく微笑む。
「それに、花音ちゃんも昨日はすごく綺麗だったんでしょ?」
「えっ……。」
「自信を持って、『私は可愛い』って思えばいいのよ。」
さらりと言われ、花音は言葉を失った。自分が可愛い、なんて、そんなふうに思ったことは一度もない。でも、昨日鏡の中にいた自分は確かに「花音」で——まるで本物の女の子みたいだった。
「……もう、覚悟決めるしかないね。」
綾香が苦笑いしながら言うと、花音は観念したように息をついた。
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