【むかしのはなし】

 隣人との付き合い方は、人も『人以外』も変わらない。

 むしろ、人間の方が面倒だとエスメラルダは思っていた。

 それは、『故郷』と呼べる土地を持たなかったからか。

 それとも、『人以外』との付き合いがあったからか。

 それでも師よりはまだ向いていて、だから、師は自分を街へ置いていったのだろう、とエスメラルダは思っていた。

 『星読み』、『羊飼い』、そうして『旅商人』。

 ……肩書きを指折り数える師は、エスメラルダを拾ってから別れるまで、見た目が変わることはなかった。

 人に紛れて、『人以外』に応える。

 幸いにもエスメラルダを見染めた男はそれに理解があったが、それでも薄氷の上で踊るような日々だった。

 息苦しさが増したのは、魔女狩りが起きた頃。

 病のように広がったそれは、何人もの罪のない女達の命を奪った。

 けれどもそんな人間の事情は、『人以外』は関係が無い。

 息を潜めて、『人以外』の要望に応えて。

 彼が死んで、娘婿に家を任せて。

 そうして適当な理由を付けて、秘密を知るアーデルハイドと暮らし始めた時――深い、深い溜息が落ちた。


 ――その日は、やけに鬼火が騒がしかった。

 アーデルハイドに一声告げて、家を出る。鬼火に招かれるまま、向かったのは森の奥。

 ちかちかと、鬼火達がざわめく。何と言っているかまでは分からない。

 昔は片言でも意思の疎通ができたのだが――とエスメラルダは思う。

 自分の力が弱まっているのか、彼等の力が弱まっているのか――あるいは、その両方か。

 そんな思考は、茂みが揺れる音に打ち切られた。

 そこからは鼻を、姿を現したのは、灰色の毛並みを持つ狼。その黒い瞳と目が合ったことを自覚して、エスメラルダは舌打ちをする。

 鬼火達の悪戯かと身構えるのと――狼がくるりと、森の中に入って行くのは同時だった。

 黒い目はエスメラルダを振り返り、それから森の中へと進んでいく。その後を追う鬼火達。

「……ついてこい、って?」

 問えば、狼が一度頷いたように見えた。

 息を吐いて、その背を追う。

 普段は聞こえる森のざわめきは、今は聞こえなかった。

 段々と増える鬼火が、足元を、行き先を照らす。

 この先には確か、少し開けた場所がある、とエスメラルダは思い出す。

「……この先で何かあったのか?」

 先を行く狼に問えば、視線だけが返ってくる。

 夜闇を切り取った目に促されて、エスメラルダは足を速めた。

 大樹が倒れ、出来た空隙にはスミレなどの背の低い植物が生えている。

 ――その中に、鬼火に照らされる人影が、二つ。

 親子だろうとエスメラルダが感じたのは、大きい方が小さい人影を抱きしめていていたからだ。

 足音にか、大きい人影が視線を上げる。

 鬼火がその輪郭を照らして、女だ、と分かった。

「……迷ったのかい? ワケアリかい?」

 その場で立ち止まり、エスメラルダはそう投げる。それでも、女の顔に浮かんだ警戒は薄れない。

 彼女の元に狼が近寄る。エスメラルダに対するのとは異なり、彼女はその巨躯に警戒を向けない。

 狼も彼女に襲い掛かることはなく、ぽすん、とその傍らに体を伏せる。

 一拍置いて、彼女の後ろから幼い手が伸びてきた。狼に触れ、体を寄せたのはフードを被った子供。

「――魔女かい?」

「ひっ――ち、がっ」

「そうかい。近頃街は物騒だろう? こんな時間になんて、同業かと思ったのさ」

 え、という驚きの声は、静かな森の中で良く聞こえた。

「魔女よりは『賢い女』の方が好みだがね。この鬼火共が呼ぶもんだから――何かお困りかい?」

 エスメラルダの言葉に、女の視線が揺らぐ。

 二つの街を行き交う御者達は、噂話の延長で魔女狩りのことを語っている。

 下火にはなれどもまだ残るそれから、逃げてきたのだろうとエスメラルダは推測していた。

 その様子に何かを察したのか、狼を撫でていた子供が彼女に抱き付いた。

 おかあさん、と、小さな声が夜を震わせる。体を寄せた拍子に、子供が被っていたフードが落ちる。

 鬼火に照らされるのは灰色の髪と――獣の耳。

 驚いたエスメラルダの表情から気付いたのか、女は子供を抱え込む。

 おかさん、と、泣きそうな子供の声が響く。

「嗚呼、もうきておった」

 ――その瞬間、木々が、左右に『動いた』。

 そうして出来た道を、ゆらゆらと揺れながら歩く人影がある。

 鬼火が照らす、その体は全身が苔で覆われていた。

「……森の御方がお呼びとは思いませんでした」

「嗚呼、嗚呼、すまんな、陽が悪くて、説明できるものをやれんかった」

 森の人、と呼ばれる『隣人』は、この辺りの山々を代表する存在だ。

 それが何の用だろう、とエスメラルダは静かに息を吸い、吐き出す。

「いいえ――御用は、その二人ですか」

「うむ……北の旧い血に連なる御子と、その御母堂だ。どうにかできんか」

 ざっくりとした依頼だが、『良き隣人』からすれば、随分と人に寄り添ってくれている。

 今度は内心で溜息を吐いて、エスメラルダは子供を抱えたままの彼女に声をかける。

「そちらに行っても? フロイライン」

「……もう、お嬢さんという年ではありません」

 さっきよりも険が取れた声に、エスメラルダはゆっくりと近付いていく。

 散歩分の距離を開けて、しゃがみ込む。

 やつれた様子の女と、彼女の面影を持つ、人間のものではない――黒い目の子供。

 その子の腰の辺りから覗く狼の尾に、あぁ、と息を吐く。

「……旧い、北の血筋でしたか?」

「嗚呼、嗚呼、月喰う狼の、すえの裔だ。人とは混じっているが、珍しいことでもない」

「……最近は随分と珍しくなりましたよ、御方……一旦、今晩はウチで預かりましょう」

「そうしてくれるか。森の貴婦人も気にしておったのだ」

 森の人が頷く。それに合わせて、鬼火が舞う。

 どうやら、『隣人』達の機嫌を損ねることはなかったらしい。

 そんな様子に目を細めて、エスメラルダはその親子に手を差し出した。

「この辺りの『賢い女』……街から来たなら、『魔女』の方が通りは良いのか。エスメラルダさ。『良き隣人』の方々から今頼まれたように、今晩の寝床の食事くらいはどうにかできるさね」

「……エスメラルダ?」

「ああ」

「ぼく、ロルフ」

 母親が生死をかける前に、子供は素直に名乗る。

 それだけで、この子供が――少なくとも、母親には愛されて育ったのが透けて見えた。

 そのことに、息をもう一つ。

 二人の傍らに侍っていた狼が吠える。

 つられたのか、子供――ロルフも声を上げる。

 月の無い空に響く遠吠えに、エスメラルダはもう一つ、深い息を吐いた。

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