第16話

 言葉にしてみたものの、さすがにそんなわけはないだろう、と咲綺は自分に答えを返して結局は十三巻のマンガを手にしてレジへと並んだ。


 パープルグレー色の三つ折り財布(右端にはブランド名が筆記体で書かれてる)からお金を出してから、ふと本屋の出入口に顔を向けると警察官がちょうど見えた。単純にパトロールだとはわかってはいるが心持ちが悪くなり、会計に通したマンガを持ったものの、レシートを受け取るのを忘れてレジから出ていった。焦燥感に駆られて本屋の外で右から左へと頭を動かす途中で咲綺を呼ぶ声がした。



「こちらですよ咲綺さん」



 加速度的な頭の動きをそのまま斜め後ろ側へと向けると、テラス席でマルガレーテがフルーツティーを飲んでいた。本屋と一緒にカフェも併設されていて、コーヒーやスイーツを味わっている人がいるなかで、サングラスが掛かったマルガレーテは脚を組みながらまるでどこかの金持ちのリゾート休日的なスタイルでいた。


 心配して損をしたという気持ちと何もやらかしてはいないという気持ちが渦巻きつつも、マルガレーテの座っている席まで行った。



「本屋の中に居てって言ったのに。勝手にリラックスしてないでよ」

「ここも本屋の中に当たるかと思いまして――往来してる人を観察するにはいい場所ですよ」



 咲綺は椅子に腰を掛けて、手に持っていたマンガをテーブルにショッパーは床に置いた。金持ちのお嬢さんが優雅にテラス席で庶民を観察している……ような雰囲気を漂わせたマルガレーテを咲綺が見つめているとフルーツティーを口から離して咲綺に聞く。



「咲綺さんも飲みますか?」

「どうしよう、美味しい?」

「よかったら飲んでみます?」マルガレーテは半分飲んだフルーツティーをテーブルに置いた。



 スライスされたリンゴとレモンとグレープフルーツが入ったフルーツティーに咲綺は手を伸ばしたが、触れる前にいったん止めると手を戻して近くにあったマンガを濡れないようにと端へと寄せた。


 想像していたより重いフルーツティー(ガラスのカップであることと、リンゴやレモン、グレープフルーツが入っているだからだろう)を持って飲んだ。レモンが一番最初に口に当たったせいで酸っぱさを感じたが、傾けていくとティー入ってきてフルーツの溶けだした甘さとさっぱりした味が通っていった。



 マルガレーテは咲綺の表情を見て立ち上がる「買ってきますね」

「待って、こっち」


 手を招いてマルガレーテを呼んだ。なんですか、と言ってマルガレーテが近づくと、咲綺は手を伸ばして彼女に掛かっていたサングラスを取った。隠れていた琥珀色の瞳が露わになる。


「――ああ、サングラスですか。忘れてました」

「ちょっと違う。今度はあなたが勝手にいなくならないため――返して欲しかったらしっかり戻ってきなさいマルガレーテ」咲綺はサングラスを揺らす。


「おいそれといなくなったりはしませんよ。いつもお傍にいますから、私は」



 微笑みながらマルガレーテはテラス席から離れて、本屋の中に併設されているカフェに入っていった。店員とやり取りしている姿をガラス窓を通して、フルーツティーに入っているスライスされたリンゴをかじりながら咲綺は見ていた。

 ゆっくりと食べたリンゴが食べ終えるとほぼ同時ぐらいにフルーツティーを持ってマルガレーテが戻ってきた。



「お待たせしました」

「ありがと」咲綺は受け取ってひと口飲む。

 咲綺はマルガレーテにサングラスを渡す「はい、返してあげる」

「元々は咲綺さんの物ですし、別にいりませんよ」



 そう言うと、さっきまで座っていた椅子に座った――今度は脚を組まずに。意図的にああいう雰囲気を作っていたのだろうな、と咲綺は思った。



「そうではあるけど――あっ、そういえば悪魔って眩しいとかあるの?」

 悪魔は光に弱いとかそういうのを読んだ、あるいは見た気がしたので興味本位で咲綺は聞いた。



「ありませんね。すべての源ですから――『光あれ』ですよ」邪魔にならない程度に軽く両手を広げる。

「ふーん」

「むしろ、悪魔は光の天使に偽装したりしますから。たらし込んだ人間が敬虔けいけんな人に三十九回のむち打ちを五回、むちで打ったのが三回、石を投げつけたのが一回――あと、三度ぐらい難船したのでしたかね。ふふっ、よくそそのかしたものです……懐かしい」


「うわあ……」と咲綺。


 ノスタルジーに浸った顔をしているマルガレーテに、咲綺は引いていた。

「若い頃はやんちゃしてしましたみたいな雰囲気で怖いこと言わないでよ。鳥肌立ってきた……」

「いえ、間違ってませんよ。実際あの頃は私もやんちゃでしたし――もっと前では、ある男の息子を七人と娘を三人、羊七千頭、ラクダ三千頭、牛五百頭、雌ロバ五百頭の……まあ、細かいことは言わないでおきますか」


 この悪魔め、と咲綺は心の内で呟く。



「それにしたってひどいことする。悪魔って」咲綺は自分のフルーツティーに入っているリンゴをそっとつまんで食べた。肘をテーブルにつけながら。

「ここは悪魔らしく褒め言葉として受け取っておきましょう」

「都合のいいこと。そんなことされたら、耐えられる気がしない。私なんてひとりですら……」

 テーブルに置かれた、リンゴ抜きのフルーツティーを咲綺は見ていた。


「この世には三人の友だけではなく多くの人がいるんです」マルガレーテが半分しかないフルーツティーを持って軽く揺らす「いなくなっても、このフルーツティーのようにフルーツが溶け出して記憶のプールへと残るんですから、気にしすぎないことですね」


「――薄情な悪魔」

「長生きの秘訣ですよ」

「したくない」

「苦しみにただ耐え抜く行為も長生きの道。答えを見つけ出さなくては――いけません」

 持っていた半分しかないフルーツティーから視線をずらし、咲綺を見て言う。


「――リンゴ、食べましたね」

「うっ!」と咲綺。

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