第15話
二人はただ歩いていた。どこへ行くのですか、とマルガレーテが聞いても咲綺は「別に」と言うだけであった。筆についた墨を紙の上に伸ばしてくように曖昧な濃淡の境界線が歩道のアスファルトに現れた。
薄くひび割れたアスファルトから黒いアスファルトへと変わっていき、小さな破片のクズが減って足音は静かになっているが反比例するように雑音が増えて――むしろ、雑音の方が大きくなっていた。
「駅ですか?」とマルガレーテは言った。
「悪い?」
「いえ、聞いただけですよ。電車でどこかに行くのかと」
サングラスを掛けた咲綺はマルガレーテに目をやった。
「別に電車には乗らない。せっかくいい服着たんだから、人が多い場所に行きたいってものじゃない?」
「そういうものなんですね。まあ、咲綺さんらしい理由だとは思いますが」
駅構内に併設されている商業施設は水平連続窓のおかげで開放感があり、広々と感じれた。外に面した窓からは自然光を取り入れられ、床は木目調、正方形の休憩できるベンチの真ん中からは木と花が添えられていて駅であるということを忘れてしまうようであった(改札口が目の前にはあるが)。
カフェ、レストラン、食品、雑貨、ファッションなどが立ち並ぶなか、二人はエスカレーターに乗って三階(咲綺たちが入ってきた西口は二階なので、一階分しか上がっていない)の本屋に入った。
咲綺は平積みされたファッション誌に目を通し始める。見づらいのでサングラスを頭に乗せ、一ページ……二ページ……と、めくるなか隣ではマルガレーテが咲綺の読んでいるファッション誌を覗いていた。
「……集中できないんだけど」
「気になさらないでください」
誌面を閉じるように合わせながら、マルガレーテに顔を向けた。
「子どもじゃないんだから、ひとりでいられるでしょ」
「咲綺さんは子どもじゃないですか」
「わ――」咲綺は頭が沸騰しかけそうになったが耐えた「……そういうことじゃなくて、別に勝手にいなくなったりしないから――本屋の中でなんか見てて」
頭に乗せてあったサングラスを取って、マルガレーテの顔に掛けさせた。咲綺は閉じかけていたファッション誌をもう一度広げ、誌面を見る。
「あなたに渡しとく、これで勝手にいかないってわかったでしょ」
サングラスのフレームを撫でるようにマルガレーテは触れる「まあ、よしとしましょうか」背中を見せて歩き出す「咲綺さんが満足するまで人間観察でもしておきますよ」
「捕まらないでよー」と咲綺はマルガレーテに目も向けず、本に語りかけるように言った。
高品質な紙に印刷された、光沢があって厚みのある一枚のページをめくる。紙の表面に施されたコーティングは誌面を綺麗に見せるが、指の腹が触れる時の感触に妙な抵抗があって滑り止めに引っ掛かるようで鳥肌が立つ時があった。
写るのは高身長で手足の長いモデルたち、前衛的な服(ロープを使って編んだのかと思わせる極太のニット、人間をサナギへと変体させてしまうかのように羽織っている。前身頃を留める金のボタンはオーナメントボールと見分けがつかない)に身を包んで退廃的な雰囲気で佇む。こんな服を着たら、裾がエスカレーターに巻き込まれてしまうし、大きなボタンは小さな子どもに奪われるとしか思えなかった。
咲綺はこういう服が載っているファッション誌を読んだりするが、大して理解しているわけではない(少しは理解はしている)、何か新しいセンスというものが見つかるのかもしれないと思いながら目を通しているだけで本気にしているわけではない(ハイファッションを嗜む、という僅かながらの見栄も存在はする)。実際、ページをめくる速さは一定のリズムでおこなわれていた。
紙が厚いせいでページ数が少ないだけなのか、咲綺の読む速度がただ速いだけなのか、重みのあるファッション誌にしては読み終えるのが少々早かった。
マンガコーナーを見に行ったが、マルガレーテの姿はない。いるとも思ってはいなかったが、人間観察と称して子どもが多いところで変なことをしていても困るので確認だけはした。
来たついでもあるので、新刊のマンガを眺めた。薄いビニールに覆われたマンガを持ちながら手首を軸に左右に動かして買おうかと悩んではいたが、目の焦点は違うマンガに向かっていた。持っていたマンガは十三巻、家にはそれまでの十二巻分はあるが、直近の二巻ぐらいが退屈で十三巻にも期待が持てる内容ではなかった(ネットで先の展開を少しばかり知ってしまった)。だからといって、表紙が気になった知らないマンガを読もうとする気もあまり起きなかった。
そんなようなことを考えて突っ立っていたら、走ってきた小学生ぐらいの子どもが咲綺にぶつかった。子どもは悪びれることもせずに去っていくと、咲綺は手に持っていた十三巻のマンガを置いて、マルガレーテを探さなくてはいけない、と思い返してマンガコーナーから離れた。小説、サブカルチャー、自己啓発、ビジネス、ノンフィクション、暮らし(クッキング、ガーデニングなど)、スポーツ、芸能――カテゴリ分けされている各コーナーに寄っていくが、一向に見当たらない。
目立たない見た目でもないし、ごちゃついてる店内でもない。むしろ見通しが良いぐらい――絶好なすれ違いでも起こしていなければ見つかるはずではあった。
「まさか、本当に捕まって……」
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