第6話

「行ってらっしゃい。咲綺さん」そうマルガレーテは玄関の前で言った。


 マルガレーテ今日はついてくるとは言わなかったけど、流石に理解したのかな、咲綺はそんなことを思いながら学校に向かった。


「さっきー不審者に声掛けられなかった? 大丈夫だった?」

「大丈夫だよ。莉穂こそどうなの? 莉穂かわいいから」

「それがね、心配してくれた斗真とうまくんが家まで来てくれたの!」

「おぉー、ラブラブ。いい人じゃん」咲綺と莉穂が会話をしていると、教室の中に机と椅子が運び込まれてきた。

 他の生徒達は二年生の転校生が来るという話題で盛り上がってる。先生が教室へと入ると転校生が来るということをクラスに伝えた。


 その転校生が入ってきた瞬間――咲綺は開いた口が塞がらなかった。そこには、聖トーコーロザワ女学院の制服を着て、濡羽色ぬればいろの髪をなびかせたマルガレーテ。クラス中が歓喜に満ちる中、ただひとり咲綺は呆然としていた。


 そして昨日の莉穂からのメッセージを思い出し、咲綺は怒りの視線をマルガレーテにぶつけた。視線に気づいたマルガレーテはにこやかに咲綺に向かって手を振る。


「坂之下の知り合い?」などと周りから言われるなか、咲綺は、ちょっとねと濁しているさなかに「咲綺さんは――私の飼い主様です――」とマルガレーテは恋人にでも手紙を渡すような初々しい仕草をした。ざわめきが止まらない、全員が咲綺とマルガレーテに視線と質問を往復させた。

(あの、悪魔め)


 咲綺は対応に迫られたが、どうにか弁明をしギリギリやり過ごした(親戚だとかなんとかでうやむやにした)。休み時間に入った瞬間に咲綺はマルガレーテの手を取り連れ出す、後ろからは、やっぱりそういう関係などと言われたが気にしてたら切りがなく、前だけを向いた。


 空き教室入り、マルガレーテに何しに来たのかと咲綺は問いただした。

「ねえ、聞いてる! あなた何しに来たの!」

「言ったじゃないですか、いつもお傍に――と」

 咲綺は片手で頭を抱え苛立ちながら聞いた「その制服、人から奪ったのでしょ」

「お詳しいのですね」

「自分のやったことわかってるの?」

「でも、半分は同意の上ですよ――」

「……何を言ってるの」

「その子と愛おしく戯れたんですよ」マルガレーテは咲綺の腕を舐めるように触る。


「あなた――」と強くマルガレーテに言葉を発しようとした時。莉穂の声が廊下から聞こえた。

「さっきーどこーーー」


 咲綺は唾を飲んだ。近づいて来る足音と共に思考が錯乱する。マルガレーテとの話が済んでいないし、変な勘違いされても困る。素通りするかもしれないし、入ってくるかもしれない。咲綺は空き教室に莉穂が入ってくるリスクを考えてマルガレーテを教壇に押し込み、その後狭い教壇の中に自分の身も押し込んだ。


「失礼しまーす」と言葉と共に莉穂が入ってきた。マルガレーテは冷静な目で咲綺を見ているが、咲綺はそんなことには気づかず耳を澄ます。

「さっきー……」と莉穂が言ったが、それ以外に音はせず静まり返っていた。空き教室のドアが閉まる音がし、足音が遠のく。


 咲綺は安堵の息を漏らしてマルガレーテに視線を向けると、マルガレーテが首筋にゆっくり手を回し長い指が後頭部に触れた。

「何のつもり」と咲綺。

「咲綺さんこういうのがお好きだと思いまして」誘うような表情で語りかけてきた。

「……あなたとは嫌い」

「そうですか『水葵』さんとなら、良いんですね」見通すような目でマルガレーテは言った。

 咲綺は動揺し、固まった。


「なんで水葵のこと知ってるの……」咲綺はさげすむ表情を向け、マルガレーテを睨んだ。

「私言いましたよね、時間と共に過去の記憶も複製されると」マルガレーテは続けて「記憶はその時の感情をも記録するんですよ。水葵さんと愛を確かめ合う嬉しそうな咲綺さん――」

「それ以上言ったら、一生許さないから……」

「――失礼しました」

 マルガレーテの伸ばした手を振り払い咲綺は教壇から身を出し、マルガレーテも続いて教壇から出てきた。ドアの前に立ち、マルガレーテに背中を向けた姿で咲綺は言う。


「最低」

「悪魔ですからね」

「答えになってない」咲綺はそう言うと空き教室を後にした。


 咲綺は教室に戻り机に突っ伏していた。さっきー、と莉穂の声が聞こえる。

「さっきー何処に行ってたの?」

「ちょっと用があっただけ」

「何かあった?」

「少しだけ」

「顔上げれる?」

「今は人には見せられない顔してる……」

「――そっか。なら学校終わったら、買い物にでも行く?」

 咲綺は数秒黙った後、行くと答えた。戻ってきたマルガレーテは自分の席に座り周りの人と談笑し、上手く溶け込んでいた。


 学校が終わった後、咲綺は莉穂と駅近くのショッピングモールで似合うアクセサリーを選んでいた。咲綺はシルバーカラーの大きめなチェーンネックレスを手に取り薄っすらと眺め、それを見た莉穂は「水葵ちゃん好きだったよね。そういうの」と言い、咲綺は頷き静かに微笑んだ。


「さっきーにはこれなんてどう?」そう言うと、後ろからローズゴールドの球体とパドロックがついた都会的なネックレスを咲綺につけた。

「私には可愛すぎるかな」鏡を見ながら確認をした。

「うーん、シルバーの方がいいかな?」

「うん。ハッキリした色の方が似合う気はする、こういうのは莉穂の方が似合いそう」


 咲綺は自分についていたネックレスを外し、莉穂につけた。

「莉穂の方が似合うね」

「ホント? 自分だと意外にわからないよねー」

「確かにね。そういえば髪伸ばしてるの?」

「斗真くんは伸ばしてる方が好きらしいから――」

「へえ、気に入ってくれるといいね」

「うん! じゃあ、さっきーに似合うアクセサリー探そう!」

 二人で探索でもするかのように探し回った。手に取ってはそれぞれつけてみては、似合うだとか、変なのだとか、互いに楽しんだ。



「さっきー、またねー」莉穂はネックレスを買った袋を片手に大きく手を振り、咲綺も同じく袋を持ち空いてる片手で振り返した。

 咲綺は重い足取りで俯きながら自宅へと足を進める。マルガレーテに合うのが気まずい。正直、言い過ぎたなんて思ってはいない。マルガレーテの方が悪い。だけど、そう考える度に自己嫌悪にも陥る。もう少し、上手くできたのではと。

 落ちいく太陽の光と共鳴するように気分が落ち込んでゆく。俯いた先に見えるアスファルトには黒い影が伸びていた。


「咲綺さん、こんな所にいたんですね」顔を上げると制服を着たマルガレーテが目の前に立っていた。

「――何か用」

「遅いから、探したんですよ」

「友達と遊んでただけ」

「ふふ、そうだったんですね。では、一緒に帰りましょうか」そう言って、咲綺とマルガレーテは並んで歩いた。


 マルガレーテは言う「遊んでいたのは莉穂さんですか? 元気で可愛らしい方」

「そうだけど」

「仲がよろしいのですね」

「あなたよりはね」

「――中々に厳しい言い方ですね。怒ってます?」


 怒ってないわけないじゃない、と咲綺は口に出そうとしたが、そんなことを言う自分の姿を想像した時にあまりに醜いと感じ、何も言えずに黙り込んだ。そのまま二人は冷めた老夫婦のように口を閉じ何度歩いたかわからない道を歩いた。

 咲綺は何度も歩いた道に何か新しい発見がないか探した。


 マルガレーテのことを考えるより別の何かに気を取られたい、市販の望遠鏡を覗き込み新しい惑星がないかと探す人のように――そんな気持ちで。

 池の水は輝きを失い、薄っすらとした暗さを映し出す。咲綺は池の方を見るとミズアオイの葉が艶やかに光っていた。歩く足を止め池を見るように体を向けた。マルガレーテも咲綺を視界に捉えながら立ち止まり、ミズアオイですか、とマルガレーテが口を開けた。咲綺は言葉を返さずミズアオイの葉の脈まで見るかのように遠くを見ていた。


「怒らせたいわけじゃないですが――感傷に浸るとは、どう感じますか」と咲綺に質問を投げかけた。

「私を怒らせたいの」咲綺は独り言を呟くように答えた。ただの疑問ですよ、とマルガレーテは言う。


「遠くで子供の声が聞こえるみたいに……思い出が運ばれてきて。受け取った思い出には『今の私』はそこにはいなくて『過去の私』がそこにいるの。暖かかったり、冷たかったり感じれるけどただそれだけ、結局は『過去の私』で『今の私』は蚊帳の外。『今の私』はいったい何処に向かうんだろうと考えると……怖い」と語った咲綺に、マルガレーテは興味深いですねと言った。


「今の咲綺さんがいるのは過去の記憶があるからですよ。記憶が人間を形作るんです。もし咲綺さんが記憶を失えば今の咲綺さんでは無くなってしまう。ミズアオイを見て立ち止まることも無くなってしまうんですよ」

 咲綺はマルガレーテを見て「……それは慰めてるの?」と言い「どうでしょうか」とマルガレーテ微笑んだ。


 はあ、とため息をつく。力を抜くようにそっと。

「ほんのちょっとぐらいだけど許してあげる」

「良かったです」両手を合わせ、喜んでいるようなしぐさを見せた。


 咲綺はほんのり穏やかな顔をして「帰ろうマルガレーテ」と言いながら歩きだした。

「はい」とマルガレーテは返し、隣を歩いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る