第三十七話 逃走

金時の攻撃を受け、ゆっくりと地面に倒れた熊童子。


…一瞬の出来事だった…


…しかし…


その身体には、ほんの一瞬の出来事とは思えないほどの無数の傷が付いていた。


意識を失っていたはずの彼の身体は、時折 体表を走る電気に反応して部分的に痙攣する。


動いてはいるが熊童子の意思で動かしている訳ではない事が見て取れるそれは、まだ子供の金時の目には薄気味悪く映り、それでいて どこか面白くも感じられた。


…そう…


金時はまだ気が付いていなかったのだ…。


自分に秘められている、大いなる可能性に…。


熊童子を倒した快挙を喜ぶ前に、フラフラと景綱の元へと歩を進める金時。


その体力をほとんど使いきり、刀を杖代わりに使わなくてはまともに歩く事も出来ない身体で…


それでも金時は、景綱を助けるまでは何としても意識を保とうと、最後の力を振り絞っていた。


「…あの…熊童子様が…!!」


「…酒天童子様の四天王が一人…

…熊童子様が…!!」


金時と景綱を囲んだまま、声を震わせながらザワザワと小声で話す鬼の軍勢。


彼らは熊童子の敗北を信じられなかったのだ。


それだけ熊童子の実力は他の鬼達を上回っていたから…。


驚きを口々に囁きながら、金時と景綱から少しずつ離れて行く鬼達…。


満身創痍の金時達を屠る事など、鬼でなくとも容易い事だったろう。


今なら人間の子供でも金時に勝てる。


それでも…


金時から感じ取れる気迫が…


執念が…


研ぎ澄まされた刃のような眼光が…


追い討ちを掛けんとする鬼達の戦意を喪失させていた。


「…退け…!

…全軍撤退…!!」


金時の勝利が鬼達に与えた先入観。


それは、これから襲撃する予定だった小さな人の郷の軍事力が、あまりにも大きいと言う事…。


そこに住む小さな人間の小さな子供…。


その子供が四天王に匹敵する強さを有するなら、郷の大人達は更に大きな戦力を有しているであろう。


そう思うと、鬼達には自分達が勝てる場面が想像できなかった…。


まるで伝播するように、鬼達が口に出し始めた「撤退」と言う言葉。


…だが時既に遅し…


今にも金時に背を見せて走り出そうとしていた鬼達…


その背後から…


雑兵の鬼達を薙ぎ倒しながら突進してくる人間の姿があった。


一度に三人…


いや…


五人以上の鬼が殴り倒される音と悲鳴が聞こえて来る。


重く、鈍い打撃音…。


それが金時の耳にもだんだんハッキリと聞き取れるようになり…


自然と その視線を誘導される距離になった時…


まるで大爆発に巻き込まれるように、金時の目の前の鬼達が一斉に弾け飛んだ。


おじいさん

「金時ぃーーーーーッ!!!

無事かぁーーーーーッ!!!???」


それは桃太郎のおじいさん。


それまで金時を探してひた走り、殆どの鬼を一撃で倒して回っていたおじいさんは、先程の落雷を見て金時の居場所を確信した。


…きっとあそこだ…


と…。


…あの落雷こそ…


金時に秘められた、剣術にも勝る才能である事を、おじいさんは知っていたのだ…。


だが、やっとの想いで金時を見つけ出したおじいさんが目にした光景は…


おじいさんの予測を越える、目を覆いたくなる凄惨な現実だった…。


歩くのもやっとの金時…。


立ち上がる事も出来ない、深手を負った景綱…。


二人はおじいさんの姿を見て安心したのか…


全身から抜けていく力を体内に留めようと抗うも、抵抗虚しく眠るように意識を失ってしまった…。






…場所は代わり…


…ここは鬼の軍勢の遥か後方。


そこには落ち着かない様子で戦況を見守る酒天童子と、その部下達の姿があった。


一言も言葉を発しないが、腕を組んだまま劣勢の戦況を睨むように見ている酒天童子。


無言の圧力が周囲に充満する…。


その圧力を察しているためか…


酒天童子の取り巻き達もまた一言も口にせず、緊張感のある時間がただ静かに過ぎていた…。


いつ爆発してもおかしくない酒天童子の怒り…。


だが…


自分の身の回りの気配さえ感じ取れなくなるほど、彼は心乱してはいなかった。


酒天童子

「…【飛び】か…。

…出てこい…。」


酒天童子がそう言うと、酒天童子の後方の木陰から比較的小柄な鬼が姿を現した。


その身体は忍のように黒い衣服で包まれており、顔も覆われて素顔が見えなくなっていた。


彼…或は【彼ら】は【飛び】…。


影から影へと、人目を避けて飛び移り…


時に影からの護衛を…


時に情報収集を…


時に暗殺を…


そして…


時に伝達係として、鬼ノ城の城主【温羅】に使えていた。


飛び

「…ご伝達に参りました…。」


右の拳と右膝を地に着き、頭を垂れたまま酒天童子にそう伝えた飛び。


彼は決して視線を上げないまま、酒天童子の広い背中に向かって自身が持ってきた指令を淡々と話し始めた。


飛び

「…鬼ノ城に…【閻羅天】が来ております…。

至急、ご帰還されますよう温羅様からのご命令です。」


それを聞いて酒天童子の顔色が変わった。


それは何とも表現のし難い複雑な表情…。


怒りか…


憎しみか…


鮮血のような赤い色をしていた酒天童子の肌は、僅かに浅黒く…


まるで影を落としたように暗いものへと変貌していた。


酒天童子

「…【閻羅天】…!!」


酒天童子の全身の筋肉が隆起する…。


緊張しているのか?


全身の血管が浮き上がる程に感情を乱した酒天童子が出した結論は…


主君である温羅が下した命令に従い、一時帰還する事だった。


酒天童子

「…一人で先走った【熊童子(バカ)】を連れて来い…。

そしてここを守っていろ。

俺は【閻魔大王】のご子息に会ってくる…。」


熊童子の命令を聞いて一礼をすると、一斉に飛び出した、他五名の鬼達。


一人一人が熊童子と同格か…


あるいはそれ以上の力を持つ…。


そんな彼らが…


金時達の戦うその上空へと飛び上がった。。


疾風の如く舞い上がり…


それぞれが別々の方向を目視で確認している…。


熊童子を探しているのだ…。


上空からの距離は鳥の視界。


人や鬼の顔の判別など、普通ならばできるはずがない。


…しかし…


「…おい! あそこだ…!」


鬼の一人が熊童子の姿を確認すると、そこに他の鬼達の視線が集まった。


そこで鬼達が見た熊童子の姿…


その信じられない様子に、鬼達は自らの目を疑った。


彼らも予想していなかった…。


できるはずがなかった…。


熊童子が倒れ、意識を失った姿で発見される事など…。


「…ねぇ。

…アレってもう死んでない?」


「…予想で判断するな!

また酒天童子様に怒られたいか?」


「面倒くさいね!

もう死んでた事にしない!?」


「帰りたいやつは帰れよ!

俺は好きにさせてもらうぜ!」


「…私は任務を実行致します。」


まるで統一感のないそれぞれの鬼達。


彼らはそれぞれの手に持った武器を構え、空中で移動方向を変えた。


法術で…


身体能力で…


道具の力で…


各々の手段で熊童子の元を目指した彼らの姿に、おじいさんも直ぐに気が付いた。


おじいさん

「…あ奴らは…先程の…!!」


まるで放たれた矢が地に突き刺さるように…


一人…


また一人と熊童子の周りに着地していった。


そして…


最後の一人は熊童子の側ではなく…


剣を握ったまま意識を失っている金時に向かって飛んできた。


「あ~あ…。

あのバカ…!」


その両手には一丁の巨大な斧が握られていた。


人の手で持つことなど、およそ不可能と思われる巨大な斧。


その鬼はまだ空中にいると言うのに、その巨大な斧を自身の背面にまで届くほど大きく振りかぶっていた。


驚くべき空中姿勢。


そして、その状態でも力を逃がす事なく使いこなせる体幹。


斧を持った鬼はおじいさんに目もくれず…


大きな奇声を発しながら、その斧で金時を斬り落とそうとしていた。


力の限り戦い抜き…


今は意識もない金時を…背後から…


残酷かつ無慈悲と思われるその行い…


…しかし…


当然、おじいさんがそれを許すはずがなかった。


まだ着地前だと言うのに、振りかぶった巨大斧を振り抜いた鬼。


地面さえ、地割れの如く真っ二つにしてしまいそうな威力を感じさせその攻撃は…


おじいさんの左手に捕まれて その動きを止めた。


おじいさん

「…何じゃ貴様らは!?」


攻撃を止められて驚愕した鬼達。


何よりも恐ろしいのは、斧を受け止めたその手のひらから一滴の血も流れ出ていないこと。


指先で斧の刃を両側から挟む事で止めたと言うのならまだ分かる。


普通ならそれさえ有り得ない事だが、まだ分かる。


しかしおじいさんは、斧の刃を確かに手のひらで受け止めていた。


鬼達の理解を越えたおじいさんの未知の力…。


更におじいさんの一瞥に危険を感じたその鬼は、自分の武器を捨ててまでおじいさんとの距離を取った。


否…


武器を【捨てた】のではない…。


おじいさんの握力に囚われた自身の武器を回収する事は不可能と即断し、武器を【諦めた】のだ。


鬼達はおじいさんの存在を視界では確認していたが、特に警戒していなかった。


この瞬間までは…


しかし…


目の前で起こった驚愕の出来事と共に彼らは気付いたのだ…。


最も危険な相手と遭遇してしまった事に…。


「…きっと、さっきの大声…

…あのおじいちゃんだよ…。」


「…【金童子】!!

…迂闊すぎるぞ!!

…酒天童子様はただ熊童子を連れ帰れと仰ったのに…」


「うるせぇよ!! 【茨木童子】!!

ここは戦場だぜ!?

殺せそうな敵は殺しといた方が良いに決まってんだろがよ!!」


おじいさんに警戒しつつも、べらべらと口数の減らない鬼達。


そんな彼らの不敬とも受け取れるその態度に、おじいさんの怒りは高まっていた。


おじいさんの手のひらの中で、渇いた破壊音と共に砕け散った大きな斧の刃。


それまでおじいさんが握っていた部分が無くなり、おじいさんに支えられていた大斧は地に落ちた。


その様子に、更に警戒心を強める鬼達。


彼らは戦意と言うよりは、我が身を守るために自分達の武器を構えようとしていた。


おじいさん

「…ワシは【何じゃ】と問うたのじゃ…!!

…ワシが問いた以上は…

余計な事は口にせず、ただ答えだけ述べよ!!」


…ここは戦場…


決して勝負の場ではない…。


一対一の死闘を繰り広げている最中だったとしても、殺せる隙あらば背後から刺すのが定石。


戦場と言うものを熟知しているおじいさんだからこそ、敢えてその点には触れなかった。


だが…


仲間を殺されそうになれば、それに怒るのもまた人。


その事もよく理解しているからこそ…


おじいさんは頂点に達しようとしている自身の怒りを、決して止めようとはしなかった。


「…落ち着くが良い、人よ。

…我らは…」


おじいさん

「この無礼者がッ!!!!!!」


激しい怒号と共に、強い衝撃波を生み出したおじいさんの怒号。


それは近くの木々を靡かせ、地を引き裂き、空を割り、今まで動けていた残りの鬼達を気絶させた。


たった今 到着したばかりの酒天童子の側近達でさえ…


その圧倒的な威圧感の前に意識を飛ばしかけていた。


おじいさん

「…まだ分からぬのなら子供でも分かるように教えてやる…

…ワシは【必要な事だけ答えろ】と申したのじゃ…。

…ワシを落ち着かせる事も…

…この怒りを沈める事も…

お主達にはそれを望む権利など無いと知れッ…!!」


最早 関係の無い事は一切話せない…。


話せば殺される…


抵抗しても殺される…


こんなヤツが人間の中にいたなんて…


そんな後悔が彼らの心を支配しようとしていた時…


どこかで鳴った爆発音と共に、鬼達の姿が煙に包まれた。


おじいさん

「…逃げる気か!!」


五体の鬼達 全員が、驚きの表情を見せていた。


恐らく、それは鬼達の意思ではない…。


おじいさんはその事に気付いていた。


物陰に、自分でも気配を察知出来なかった【誰か】がいた。


これはその者の仕業…。


風邪に流れて薄くなっていく煙…


徐々に回復していく視界…


その視界が完全に回復する前に、無謀にも、おじいさんはそこへ飛び込んだ。


煙が無くなる頃には敵を逃がしている…


それが分かるからこそ、その行動を取ったおじいさん。


「自分なら死角から襲われても大丈夫」と言う自信があったからこそ、おじいさんはその行動を躊躇わなかった。


しかし…


そこには既に鬼達の姿は無く…


金時が倒したはずの熊童子の姿さえ、そこには存在していなかった。


おじいさん

「…これは…【飛び】の仕業か…!!」


そう…


これは酒天童子の側近達に勝機は無いと判断した飛びの仕業…。


おじいさんの計り知れない力を恐れ、撤退を考えた飛び達が最後の逃走手段として用いた移動用の法術だった。


飛び

「…【黒死(こくし)】…【飛猿宿地(ひえんしゅくち)】…。」


それは飛ぶように…


あるいは流されるように…


気付けば術者の望んだ場所へと強制的に移動している術。


術者である飛びに触れていなくとも…


飛びが使用した法術の範囲にいる者達ならば、その意思に関係なく移動させられた。


「…飛びか…!!」


辺りを見回すと、酒天童子と別れた場所に程近い場所まで移動していた鬼達。


そこには、金時に倒された熊童子も含めた六体の鬼と飛びの姿があった。


「おいテメェ!!

いったい何様のつもりだよ!?」


「僕達【助けて】って言ったかなぁ?」


額に冷たい汗を流しながらも、鬼達の一部は虚勢を張っていた。


だが彼らは、本当はおじいさんを前にした時、死を覚悟していた…。


しかし飛びの独断により、逃げる事を強制された鬼達には言い訳ができたのだ。


本当は戦えた…


死んだとしても最後まで…


完全な嘘ではない。


少なからず彼らの中にはその意思があった事だろう。


しかし…


あの場所でおじいさんと戦って仮に命を落としたのなら…


それが【無駄死に】と呼ばれるものに値する事になると理解している鬼もいた。


「…やめろッ!!!」


その鬼の一声に反応して、飛びへの非難をやめる鬼達…。


まだ若々しく、どこか中性的な見た目をした鬼だったが…


彼の言葉に他の鬼達が従った様子を見ると、彼が酒天童子の部下の中でも別格である事は見て取れた。


「…悔しいけど…

【茨木童子(いばらきどうじ)】の言う通りだわ…。」


「…【虎熊童子(とらくまどうじ)】…テメェ!!」


【虎熊童子】と呼ばれる、まるで優等生のような甘い顔立ちの鬼…。


彼は茨木童子の意見に賛成だった。


あの状態では最悪も考えられたからだ。


この場合の最悪とは、自分達が殺されるだけではなく、持ち得る情報の全てを引き出される事…。


酒天童子の判断…


温羅の事も…


彼らには安直に話せない事がたくさんあった。


「…私も同意…。

…茨木童子は正しい…。

…飛び…

…感謝します…。」


「…【石熊童子(いしくまどうじ)】まで…!!」


機械的で無表情な女の子の鬼…。


彼女の名は【石熊童子】…。


一見では戦力を持たなそうな か弱い身体…。


常に口や鼻の周りを扇子で隠して、上目遣いでこちらを見てくる…。


感情が有るのか無いのかも分からない彼女の事を、【彼】は激しく嫌っていた…。


「大体【石熊】ぁッ!!!

テメェは酒天童子様の副官でもねぇッ!!!

四天王でもねぇッ!!!

それなのに何で着いて来たんだッ!!!

ぁあッ!!?」


熊童子

「止せッ!!!

【金童子(かねどうじ)】ッ!!!」


…他の鬼達の騒ぎを聞いて目を覚ました熊童子…。


何故自分がここに居るのか?


何故自分は気を失っていたのか?


身体を起こす事もできず、一言口に出しただけで息が上がる…。


その理由を最初は理解出来なかったが、仲間の鬼達の様子を見れば大まかな流れは理解できた。


詳細は分からない…


それでも…


熊童子

「…私達は【負けた】んだ…!!

この上ゴチャゴチャ言うな…!!」


熊童子に注意されて、落ち着くどころか逆上する【金童子】…。


顳顬(こめかみ)に浮き出した血管。


眉間に寄った皺。


険しくなった彼の表情の全てが「従うくらいなら争う」と言っているようだった。


金童子

「…俺達は負けてねぇよ…

…熊童子!!

…無様に負けてボロボロのゴミみてぇにされたのはテメェだけだッ!!」


金童子の言葉に、熊童子は反論しなかった。


自分が負けたのは本当だからだ。


熊童子は見てしまった…


鬼を凌ぐ力を…


近い将来、確実に世界を変えうる存在を…。


金童子

「何だぁ!?

今日は随分と大人しいじゃねぇか!?

気持ち悪ぃくれぇ長かった髪も斬られて、まるで日本人形みてぇだな!!

お人形さんは口も利けねぇってか?」


金童子に言われて気が付いた、短くなった自分の髪。


全身を覆う程の長さを誇ったその髪は既に無く…


熊童子の全身は顕になっていた。


…しかし…


身体を起こす事も出来ないままの熊童子が、見ることも出来ない自分の周りを手で探ると、そこには確かに自分の髪の手触りが…。


…まだそこに在る…


そう感じた熊童子は、手と指だけで集められるだけの髪を拾い集めた。


息を切らしながら…


辛そうな表情で…


その様子を見ていた子供のような姿をした鬼が歩み寄り…


自身の髪を拾う熊童子の手を力強く踏み締めた。


熊童子

「ぐッ…!!!」


見た目は桃太郎や金時と変わらない年齢に見える、可愛い子供のようなその鬼は…


苦しむ熊童子の表情を見下ろしながら楽しそうに笑っていた。


「…醜いねぇ…。

…負けて…

…仲間に助けられた挙げ句…

…斬られた髪を惨めに拾ったりしてさぁ…

…キミ…

…本当に僕達と同じ酒天童子様の【四天王】?」


熊童子

「…【星熊童子(ほしくまどうじ)】…!!

…お前は…ッ!!!」


熊童子の手を踏んだ足を左右に動かしながら、更に力強く踏みにじる【星熊童子】と呼ばれる少年。


その無邪気な笑顔とは不釣り合いな不気味な笑い声が、理解し難い彼の行動を更に不気味なものに感じさせた。


星熊童子の行動に動揺を隠せない他の鬼達。


その表情に不快感を表現しつつも、金童子達は星熊童子に何も言えなかった。


…しかし…


茨木童子だけは違った…。


茨木童子

「いい加減にしろ!!

星熊童子ッ!!!」


大きな声で星熊童子を叱責し、威圧的な視線で睨み付けた茨木童子。


しかし叱責を受けた星熊童子は、決して引くつもりはなかった。


星熊童子

「…ぁあ?」


幼い顔立ちの彼には似つかわしくない、反抗的で攻撃的な表情。


自分が感じた不満を一切隠そうともしないその視線で、星熊童子は茨木童子を睨み返していた。


茨木童子へ向けた視線を反らす事なく過ぎた数秒間…。


誰も話そうとせず、しかし二人の成り行きから、誰も視線を反らそうとしなかった。


…痺れを切らしたように歩き出し、茨木童子の方へと近付いて行った星熊童子。


ゆっくりと歩みを進め…


お互いが間合いに入ったかと思われた…


鬼同士の戦いが始まると思われた…


その時…


星熊童子は子供らしい無邪気で明るい笑顔を見せて、茨木童子の懐へと歩を進めた。


星熊童子

「そんなに恐い顔しないでよぉ!

僕、これでも臆病なんだからぁ!」


星熊童子は両手を背中側に回し、腰のあたりで両手を組んでいた。


武器を使う気配は無い…。


それでも、彼の性格を考えるなら何かして来ないとも限らない。


茨木童子は予測不能な星熊童子の言動にも行動にも警戒しつつ、ただ黙って星熊童子の言葉を聞いていた。


星熊童子

「今のは四天王 同士の馴れ合いみたいなものだよぉ!

本気じゃないってぇ!

だからそんなに怒らないでよぉ!」


身体をクネクネさせながら、茨木童子に可愛らしさを訴えてくる星熊童子。


傍から見れば、甘えっ子が年上に甘えているようにしか見えない。


…しかし…


金童子と熊童子だけは見逃さなかった…。


星熊童子は背後に回したその両手で、何かの法術の印を組んだ。


一瞬だが、キラリと光った星熊童子の手。


そこからこぼれ落ちるように地面に向かったその光は、茨木童子には見えない角度で地面に吸い込まれると、そのまま見えなくなってしまった。


…いったい何だったのか?


不発だったのだろうか?


金童子からすれば「何も起こらないなら良い。」


「争いは好きだが、面倒な事は嫌いだ。」


だが熊童子は違う…


相手の見えない角度からコソコソコソコソと…


その【汚い】とも感じられる行動が、熊童子の同族嫌悪を刺激した。


熊童子

「…おい星熊…お前 今…!」


熊童子の声に反応して振り向いた星熊童子。


その表情はとても楽しそうで…


それでいて視線だけはとても冷たく、とても醜悪で…


その視線の先に映っているものが何なのか、熊童子にさえ理解出来なかった。


…同時に…


熊童子と金童子は茨木童子とも目が合った。


小さく首を横に振る茨木童子。


その様子を見て、熊童子は自身の口から吐き出そうとしていた言葉を飲み込んだ。


熊童子と金童子が不満を抱えつつも茨木童子の意思に従ったと同時に、茨木童子は小さな深呼吸を入れて星熊童子から離れていった。


茨木童子

「いいかお前達、良く聞け!」


そう言って茨木童子は自らの左手首を前に出した。


そこにあったのは腕輪…。


宝石とも数珠とも受け取れる石が着いた帯を手首に巻いたもの。


その装飾は美しく、帯も高級感に満ちていた。


その腕輪に全員の視線が集まる。


何かを覚悟したような表情でその腕輪を見る鬼達の視線。


返事をする者はいなかった。


しかし…


茨木童子の言いたい事を理解出来ない者もいなかった。


茨木童子

「…お前達も与えられているはずだ…。

…コレと同じ物を…。」


全員の表情が更に引き締まっていく。


茨木童子

「我々は…まだ完全には負けていない…。」


全員の気が微かに昂っていくのが茨木童子に伝わった…。


茨木童子

「…忘れるな…。

我らが何のために在るのかを…!!」


暗く、重々しい表情で何かを決意した鬼達。


やはり返事はなかった…。


それでも…


その表情を見ただけで、自分の意思が伝わっている事を茨木童子は理解できていた。


茨木童子がどこかを目指して歩を進める。


その後ろ姿に着いていくように、他の鬼達も歩き出した。


金童子も熊童子に肩を貸して、共に歩く。


その先にどんな困難が待ち受けようとも…


酒天童子のため…


ただその為だけに、彼らはその道を歩んだ…。


茨木童子

「…全ては…

…我ら鬼達の未来のために…!!」

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