第三十五話 今、自分にできる事を…
熊童子
「…人間の子供め…
…よくも私の姿を見たな…!!!」
一度は手放してしまった薙刀を拾い上げ、激しい怒りの眼差しで金時を睨み付ける熊童子。
今にも襲い掛かり、その牙で金時の血肉を喰らいそうな形相を見せた彼とは裏腹に…
金時の眼光はどこまでも冷たく、鋭いものになっていった…。
深呼吸をして…
重心を低く構えた金時…。
その姿勢はかなり前のめりで…
誰から見ても、次の瞬間にでも走り出そうとしているのは明白だった。
話し合う気など無い…
戦う以外の選択肢も無い…
言葉に直さなくとも、それらの言葉が意思となって伝わって来る。
その意思に応えるように動き出した金時の身体。
次の瞬間…
金時の脚は地面を蹴り、熊童子に向かって真っ直ぐに走り出した。
…熊童子から言わせれば予想通りの展開…
…だが…
彼の予想を大きく裏切ったものが一つある…。
それはその速さ…。
かなり離れていたはずの間合いを、一瞬にして詰めた金時。
その手に握られた刀は振り回される事もなく…
その切っ先は…
最初に構えた状態から、ただ一直線に熊童子の左目へと向かって行った。
…【突き】…
最も距離感が分かりにくい太刀筋…。
攻撃された者は相手が構えた剣の切っ先が突然大きくなったように見えると言う…。
熊童子
「ちっ!!!」
あっという間に熊童子のいる場所を通過しようとしていた金時の攻撃。
しかし…
そこは酒天童子・四天王の一人…
熊童子…
恐るべき反射神経を持った彼は、右目が隠れたままだと言うのに金時の攻撃をギリギリで躱した。
その攻防の際に足を縺れさせ、体制を崩してしまった熊童子。
大きくよろけた身体…
金時はその好機を逃すまいと、すかさず次の攻撃を仕掛けた。
今度はいきなり致命傷を狙わずに、まずは身動きを封じるために足首を…。
地面スレスレの場所から真横に凪ぐように仕掛けられた攻撃は、熊童子の踵骨腱目掛けて滑り込んだ。
しかし…
金時の攻撃が届く前に、自身の薙刀を地面に突き立てた熊童子。
その薙刀が障害物となり、金時の剣は無念にも弾かれてしまった。
今までの金時ならば、この攻撃を防がれた事で少なからず動揺していたに違いない。
しかし…
動揺も、混乱も、不安も、失意も…
自分の戦闘性能を下げる要因の全てが【無駄】でしかないと認識している今の金時には、【次の攻撃を考える】以外の思考は存在しなかった。
間髪入れずに次の攻撃を放った金時。
その攻撃を防ごうとした熊童子だったが、彼の薙刀は地面から抜くのに ほんの一瞬の時間を必要とした。
その一瞬が命取りになる…
それを理解していた熊童子は薙刀を手放して身を翻し、金時と距離を取る事で安全圏にまで離れる事を選んだ。
それでも…
それさえ読んでいたかのように、金時は間髪入れずに熊童子との距離を詰める。
選んだ攻撃は右斬り上げ。
今度こそ入る。
金時がそう確信した時…
熊童子は犠牲を捧げるように、金時の太刀筋の前に自身の両腕を差し出した。
少し驚きながらも、そのまま剣を振り抜いた金時。
しかし…
予想とは全く違うその手応えに、金時は警戒心を強めて距離を取った。
熊童子
「…今ので勝った気になって、目の前にツっ立ってくれていれば楽だったのだが…。」
金時の目に映ったのは…
両腕から血を流しながらも、顔色一つ変えない熊童子の姿…。
そして、斬り落としたつもりでいた熊童子の腕は…
浅い斬り傷がついただけで、深手にさえなっていなかった…。
熊童子の身体の丈夫さに、更に警戒心を強めた金時。
しかし…
この時、警戒心を強めていたのは金時だけではなかった…。
熊童子
『…何だ?
…あのガキの攻撃を防いだこの腕に残る【違和感】は…?
傷を付けられただけでも屈辱なのに…
傷の痛みとはまた別に感じられる、【これ】は…』
熊童子の腕に残った痺れ…
僅かに弛緩する筋力…
その正体…
一瞬 考えて、熊童子は直後に思い出したように警戒心を強めた。
彼は過去に経験していた…
金時と同じ【力】と対戦していた…
それがどの鬼にとっても、厄介極まりない【力】である事を、熊童子は理解していたのだ…。
熊童子
『…このガキは、今この場で殺さなくてはッ!!!』
成長されると不味い事になる…。
そう感じた熊童子にも、既に金時に対する油断は無かった。
緩んでいく筋肉に無理矢理 力を入れて、今までよりも更に隆起させた。
鋼のように頑強な筋肉…
酒天童子にさえ匹敵する腕力…
刀さえ弾く剛毛…
それ故に名付けられた…
熊童子と…
戦闘になれば武器はいらない…
この力さえあれば良い…
異常な程に膨れ上がったその筋肉だけが、法術以上に信頼できる熊童子の武器だった。
大きく振りかぶり、まるで隕石のように上空から振り下ろされた熊童子の右拳。
…これをまともに喰らったらまずい…
圧倒的で絶対的な破壊力を予想させる攻撃が金時に死を連想させた。
…受け止めるよりも躱すべき…
そう感じた金時は、熊童子の攻撃を横っ飛びに躱しつつも、同時に攻撃してきた腕に一撃入れていった。
金時
『鬼の身体の構造はよく分からないが、人間と同じような形をしている以上は手首に腱や橈骨動脈があるだろ!!!』
金時の読みは正しかった。
鬼にも血は流れ、脈があり、腱も存在する。
…しかし…
すれ違い様に金時が斬った場所には…
金時
『…熊みたいな腕に熊みたいな毛があって良く分からねぇけど…
出血している様子がねぇ…!!!』
一瞬だった。
その一瞬に、自分の攻撃の結果を確認しただけだった。
安全圏まで移動できれば、直ぐに次の攻撃を組み立てるはずだった。
それなのに…
金時に対しての油断をやめた熊童子の攻撃は、それまで熊童子を凌いでいると思われていた金時の脚力に追い付いた。
先の一撃とほぼ同時に放たれていた熊童子の左拳。
それは金時の動きの先を読むように死角を選び…
金時のやろうとしている事を阻害するように飛んで来た…。
その攻撃をまともに受ければ致命傷になる。
迷っている時間はなかった。
金時はその攻撃に、ギリギリのところで自分の右腕を滑り込ませた。
盾として犠牲になった金時の右腕。
しかし…
熊童子の威力は予想を超えて凄まじかった。
踏ん張りきれず、苦しそうな声を上げて弾け飛ぶ金時の身体。
致命傷こそ避けたものの、もう右腕は使い物にならなかった。
金時
『…なんつう腕力だ!!!』
激痛に見舞われながらも綺麗に着地して、再び刀を構え直した金時。
骨折は免れたようだが、その右腕は赤紫色に腫れ上がり、思うように動かせない。
構えの形だけ真似ているような状態だ。
それでも辛そうな表情さえ見せず、ただ静かに熊童子を睨み返す事だけが、今の金時にできる精一杯の去勢だった。
金時
『痛ってぇ~~~!!!
骨折は…してねぇな!!
痛みに耐えられない事はないけど…
動かせそうでもあるけど…
力が入らねぇ…!!
技のキレが無くなる…!!』
自分の状態を冷静に分析しようとする金時。
だが熊童子は、負傷を抱えた金時を休ませまいと更に襲い掛かって来た。
金時のように、一気に距離を詰めるのではない。
金時の様子を伺いながらも、右へ…
左へと位置を変えながら、着実に距離を詰める…。
金時を休ませたくないのに、何故このような行動を取ったのか?
それは熊童子が知っていたからだ…
力で劣る者が、力で勝る者から感じる重圧感…
そして…
それが重圧を感じる者からどれ程に体力を奪うのかを…
金時
『…考えろ…考えろ…考えろ…!!
目の前の敵を倒す最善、最短の手段を!!!』
熊童子
『…考えさせるな…
…怒らせろ…!
…恐怖を与えろ…!!
…冷静な思考を奪え…!!!』
間合いに入ると、その自慢の豪腕で金時に攻撃を仕掛けた熊童子。
その攻撃を躱し、次の攻撃を仕掛ける金時。
熊童子はその攻撃を防ぎ、更に攻撃を返す。
一進一退の攻防。
速さでは金時がやや優勢だったが…
力では熊童子が圧倒的に有利だった。
金時
『…こっちの攻撃は何度当てても大した傷にならねぇ!!
だが、俺は一撃受ければ致命傷だ!!
どうする!?』
熊童子
『一撃で良い!!
一撃入れれば勝てる!!!』
一撃狙いと言えども、その動きは決して雑にはならない。
なかなか隙を見せない熊童子。
さすがは鬼と言うべきか…
それとも経験値の差か…
勝つために熊童子への分析を進めて来た金時であったが…
知れば知る程に、目の前の敵の実力を深く理解していた。
金時
『落ち着け…
落ち着くんだ…!!
何かあるはず…
どんな敵でも、無敵なんて事は絶対にない!!』
戦いながら分析して、分析しながらこれまでの戦いを思い出して…
そして金時は【ある事】に気が付いた…。
金時
『…そう言えば…
…最初の方の攻撃は何度か躱されたな…?』
何度斬っても何度斬っても…
大した出血を見せない熊童子…。
そんな彼が金時の攻撃を躱した理由…
その答えは、それ程難しいものではなかった…。
金時
『全身が刀を弾くってわけじゃねぇって事だなッ!!!』
躱された攻撃は【目】への一突きと脚の腱や胴体への攻撃。
逆に金時の攻撃が通らなかったのは、熊童子の腕に入れた攻撃。
良く見れば、首や胴体や脚は一般的な人間の太さとそうは変わらないように見える。
あれだけの豪腕を振り回す以上は、他の部位に全く筋力が無いとは言いきれない。
だが、試してみる価値はある。
そう判断した金時は、熊童子の攻撃を捌きながら一歩ずつ前へと進んだ。
熊童子
「こっ…コイツッ!!!」
掠っただけでも致命傷になりそうな熊童子の左右の拳。
目の前を通過しただけで精神力を刈り取っていく太い腕。
攻撃が当たらなくても、相手が鬼だと言う事実だけで戦う気力は失せていく。
それら全てを感じながらも…
胸の奥で震える恐怖を自覚しながらも…
それでも金時は熊童子の攻撃を掻い潜り、遂に自分の攻撃が届く位置まで踏み込んだ。
熊童子はその驚きを言葉に直す事もできなかった。
同族である鬼達の中でも突出した戦闘力を持つ熊童子…
そんな彼が、そうやすやすと間合いに入られた事などない。
相手が人間の…
それも子供ならば尚更…
今更ながら、自身に迫る死の恐怖を自覚した熊童子。
あと少しのところまで金時の勝利が近付いて来ていた。
…だが…
恐怖にひきつった熊童子の表情を見て、勝利を確信した金時は思う…。
金時
『…こんなに簡単なはずがない…
…何かがヤバいッ!!!』
勝利を目の前に…
それでも警戒を怠らなかった金時…。
そして思い出していた…。
熊童子の【何】に手を焼いていたのかを…。
…風に靡いた熊童子の前髪…
残された右半分の前髪が、金時の目の前をフワリと横切った時…
そこに映し出された、胸を貫かれて絶命する桃太郎の姿…
熊童子の法術が作り出した幻影が、再び金時の冷静さを奪っていく…
人はそう簡単に変われない…
どんな使命感も…
どんな義務感も…
どんな反省も飛び越えて、変わりたいと願う人物の首を締める…
それが【人間性】…
自分自身として生まれ持った性質を変えるのは用意ではない…
それを変えようと考える事を効率的ではないと判断する者もいる…
効率的ではない事に挑戦するのは愚かな事だと言う者もいる…
それでも…
それを変えなければ乗り越えられない壁もある…。
その人間性と言う壁が、それを目の前にした者にとって乗り越える事が必須なのならば…
それはいくら効率的ではなくとも立ち向かうべき壁なのだ…。
だが…
これは金時にとって初めての体験…
「そんな挑発には乗るな」と、心から信号を発しても…
もう一つの心が更に強い信号で命令を出す…
…「殺せ」と…
金時
『しまったッ!!!』
幻影を見て動揺し、刀を止めてしまった金時。
今思えば、これは熊童子の作戦だったのかも知れない…。
法術を使う事をやめ…
物理的な攻撃を繰り返す事で法術から意識を反らし…
不意を突いてまた幻を見せる…。
そうする事で、一度は落ちた幻影の効果を再び底上げできる。
それでも一瞬、金時の動きを止める事で精一杯かも知れない…
金時が全く止まらない可能性もある…
だが…
敵を殺せるかも知れない最大の好機に集中力を高めない者等いない。
だからこそ、踏み込んで来ようとする金時を敢えて招き入れ、法術の効果を最大限に発揮するその時を待ったのだ。
熊童子
『…半分は作戦ではなかった…。
私の予想出来ない、強い踏み込みだった…。
敢えて招き入れたと言うよりは止められなかった…。
…悔しいが、それが真実だ…
だからこれは私の自尊心を投げ捨てた上での作戦勝ちだ…!!』
…金時の動きが一瞬止まる…
…致命的な隙が浮き彫りになる…
…そこに向けて放たれた熊童子の右拳…
…躱す事は出来ない…
…命を刈り取られる感覚が金時を襲った…
…その時…
熊童子の目の前を【何か】が横切った。
…それは【苦無】…
それが熊童子の眼前を一直線に横切り…
熊童子に残った右側の前髪を切り落とした。
熊童子
「…貴様ッ…まだッ…!!!」
顕になった熊童子の顔…
そして見開かれた両目…
熊童子は自由になったその両目で、苦無が飛んできた方向を確認した。
熊童子の目に映った者…
それは…
深手を負って、もう動く事も出来ないと思われていた景綱の姿だった。
景綱
「…お前なら…多分こうするだろうと…
…思ってたよ…!!」
金時から目を反らしてしまった熊童子…。
今度は、その生まれ持った性に勝てなかったのは熊童子の方だった。
金時
『…だよな…
…まだ…
俺一人に出来る事は少ない…。』
金時の硬直が解ける…
その手に握られた刀が振り下ろされる…
熊童子の首筋へと滑り込んだ刃…
そして…
金時
『…これが今の俺達に出来る事…
…俺一人では出来ない事…
…悔しくて…
…認めたくなくて…
…一人でも出来ると強がりたいけど…』
金時の刀が【そこ】を通り過ぎたと同時に、真っ赤な血液が辺り一面に飛び散った…。
金時
『…これが…
今の俺に出来る精一杯だから…!!』
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