第三十四話 心を刃に…
高らかに響き渡る桃太郎の姿をした熊童子の笑い声…
そのすぐ目の前には…
金時のために刺された景綱の姿があった…。
景綱の刺された左胸から止めどなく流れ出る血液。
その痛みに耐える苦悶の表情。
それでも声を挙げようとせず、倒れようともしない景綱の様子を見て、声を挙げずにはいられなかったのは金時の方だった。
金時
「うわぁあぁあぁあぁあぁあぁあぁッ!!!」
桃太郎
「はーっはっはっはっはっはっ!!!
あーっはっはっはっはっはっはっはぁ!!!」
景綱の左胸に刺した薙刀を捻り、更に強い苦痛を与える熊童子。
それでも熊童子は尚、虚ろな表情のまま大声で笑っていた。
三日月のように開いた口。
それは桃太郎のものではなく…
化けの皮の一枚向こう側から覗いた熊童子の口。
その口から発せられる熊童子の声。
…この時…
…熊童子は自らの法術のからくりを露見させていた…。
…気付こうとすれば気付けたはずだ…
…それでも金時は気付けなかった…
自分のせいで景綱が傷付いたと言う事実が、金時から正常な思考と判断力を奪っていた。
混乱した思考は普段なら理解できる事柄を謎で包み、その視野を限りなく狭める。
景綱の流血が、それを更に加速させていた。
景綱
「…金時君…
…無事かい…?」
まだ息がある。
…いや…
景綱は死ぬ訳にも、意識を失うわけにもいかなかった。
仲間の死が、他の仲間に与える影響は大きい。
それがほぼ初陣である金時になら尚更だ。
正常な思考など保てるはずがない…
実力では勝っている相手にさえ敗けを喫する時もある…。
景綱の過去の仲間達の中には、最悪 自害する者もいた…。
「深手は負ったが生きている」と言う事実が、金時の生存の可能性を僅かでも高め、その精神をギリギリ繋ぎ止めていた。
それを理解しているからこそ、景綱は何があっても死ねなかった。
景綱の胸から引き抜かれた薙刀。
同時に傷口から、更に激しく流れ出した血液。
その痛み…
何と表現するべきか…
【痛い】と言うよりも【熱】く…
立とうとしても、自分の意に反して身体が言う事を聞かない。
考えなくてはならない事がたくさんあるのに、思考がまとまらず…
自身を死へと誘う【何か】を背後に感じる…。
景綱の心の中に広がっていく死への恐怖…
全てを諦めてしまいたくなる絶望…
心はそれらに「従いたい」と叫び…
身体は「楽になりたい」と駄々を捏ねている…。
それらの全てを「受け入れたい」と言う信号を発する脳…
それでも…
景綱の精神だけは、それらの全てを拒絶した。
景綱
『…懐かしい…』
倒れようとする身体を、ギリギリのところで支えた足…
景綱
『…何度も経験してきた…』
恐怖する心を押さえ込む、もう一つの心…
景綱
『…何度も乗り越えて来た…』
自分の意思とは全く逆の信号を発する脳を、無理矢理 従わせる協力な意思力…
景綱
『…自分の気持ちや身体の状態なんかよりも、よっぽど大切な事があると知っているから…』
それらが、回避する事が出来なかったはずの絶対なる【死】を拒絶し、景綱に今までにない闘気を与えていた。
景綱
『だから戦うんだッ!!!
今も…これからもッ!!!』
これで最後かもしれない剣を振るう景綱。
その剣は何かを確かめるように…
そして…
それを金時に知らせるように振られていた…。
桃太郎
「おっと!」
今もなお地面に両膝を付け、助けを求めるように景綱に手を伸ばす桃太郎の姿。
その手のひらから生えたように見えていた薙刀は不自然にその位置を変え、何も無い空中を刃と柄の途中までだけで飛ぶように移動していた。
薙刀の刃に弾かれる景綱の刀。
その時に響いた金属音が、金時の混乱した思考を少しだけ正常に戻した。
金時
「…景綱…生きている…!
…戦っている…!」
最後の力を振り絞って戦う景綱の姿に、彼が生きていたと言う安堵感を覚えてしまった金時。
その緩んだ表情を一瞬 横目で追った景綱は、金時の考えている事に直ぐに気付いた。
…見るべき場所が違う…
…今 注視すべきは…
…目の前の敵…
その事を伝えようと気合いを入れ直す景綱。
景綱は胸の痛みに耐えながら精一杯の空気を吸い込み…
可能な限りの大声を張り上げた。
景綱
「金時君ッ!!! 見るんだッ!!!」
景綱の声に驚いた金時。
見ろと言われても、金時の脳は一瞬 何も理解出来なかった。
しかし…
そこは寺子屋 二強の一人…
遅れを取った思考は直ぐに景綱の言わんとしている事を理解した。
…自分達を囲んだまま、視線を地面に落として何も見ようとしない他の鬼達…
…彼らは決して戦闘に参加しようとはしない…
…何故だ…?
…考えてみれば、桃太郎の姿が現れてからずっとそうだったかも知れない…
それまで密集した鬼の軍勢の中を進んで来ていたと言うのに、急に開けた視界…
景綱に突き飛ばされてから隙だらけだったはずの自分に襲い掛かって来なかった鬼達…
それは…
もしかしたら、自分達も巻き添えを食うからなのかも知れない…
金時が鬼達の行動の理由を理解し始めた時…
精神力だけで繋ぎ止めていた景綱の動きが遂に止まり、金時の集中力を再び乱した。
金時
「景綱!!」
片膝を地に着き…
左胸の傷口から出血し…
それでも尚、景綱は両の手は自身の刀を握り締めていた。
その鋭い眼光は目の前の敵を睨み付け、その精神は敵の攻撃に集中している。
…これこそが本物の実戦…
…これこそが本物の闘志…
…これこそが本物の侍…
それらを体現した景綱の戦いぶりを見て、金時は多くの事を学んでいた。
自尊心のために戦った自分とは違う…
やりたくても出来ない事に腹を立てていた自分とは違う…
例え心乱していたとしても、景綱の動きをちゃんと見よう…
この目に焼き付けよう…
そう感じた金時の視線は、命を燃やして戦う景綱の一挙手一投足に集中していた。
…しかし…
景綱
「…違う…そうじゃない…
…見るべきは…
…そこじゃない…!」
息も絶え絶えに景綱が口にした言葉…。
それは金時の予想に反し…
そして、景綱が命を賭けて戦っている相手に、金時の意識を集中させた。
景綱
『…そう…そうだ…
…敵を見ろ…
…生き残るために…
…或いは…
…キミが大切に想う誰かを守るために…』
景綱は、もうほとんど力の入らない身体で剣を振るった。
金時に見せるために。
敵の戦い方を…
その性格を…
その弱点を…
この敵を倒し…
金時を生かして帰すために…
しかし…
ほんの数秒前までとは打って変わって、動きにキレが無い今の景綱では、最早 何の役にも立っていなかった。
熊童子の蹴りを受け、金時の近くに倒れ込んでしまった景綱。
それでも景綱は決して刀を手放さなかった…
景綱
『…刀は武士の命…
…手放す事は、戦う事を諦めたも同義だ…!!』
残された力で立ち上がろうとする景綱。
しかし…
景綱には既に、上体を起こす力も残っていなかった。
金時
「景綱!!」
景綱に駆け寄り、安否を確認する金時。
だが無理に動かす事は出来ない。
金時は戦闘中である事を理解しながらも自身の服を破き、景綱の傷口に押し当てる事で圧迫止血を試みた。
桃太郎
「…何だ…
…もう終わりか?
…私にもっと絶望した表情を見せてくれ!」
再び、桃太郎の口が裂け…
そこから桃太郎のものとは違う声が響いてきた…。
桃太郎
「…お前は何を見た?
…何を思い出した?
…【それ】に攻撃された気分はどうだ?
…或いは、【それ】に攻撃するしかなかったのはどんな気分だった?
…ガキの方は分かりやすかった…
…【桃太郎】と言ったか?
…友人か?
…私にそれを見たんだな…
…良い顔をしていた…
…だが腕の立つ大人の方は良く分からなかったな…。」
桃太郎の姿をした別人…
恐らく鬼…
その事に、今更ながら気付いた金時。
鬼が桃太郎の姿をしている事も…
景綱を傷付けた事も許せない…。
まんまと鬼の策略に乗ってしまった事も金時の精神を抉り、鬼の言葉は逆撫でするように金時の冷静さを奪おうとする…。
桃太郎
「…お前の目に映ったのは誰だった?
…親か?
…兄弟か?
…それとも友か?
…女か?」
景綱に話し掛ける熊童子に対して、金時の胸の中に再び芽生える激しい怒り。
…しかし…
今度の怒りは先程までのものとは違っていた…。
桃太郎
「…さあ…
…死ぬ前に教えてくれ…?
…お前の記憶の中に残るその存在を…!
…見せてくれ…
…お前の表情に写し出される、お前の絶望を!!」
金時の全身から力が抜けていく…
金時の思考が冷たくなっていく…
桃太郎
「私は深く絶望した人間を斬った時!!
…嗚呼…
私は今…命を斬ったんだと言う強い充実感に満たされるんだ!!」
混乱はもう無い…
やらなくてはならない事は分かっている…
桃太郎
「さあ!
そんな表情を見せていないで!!
無理はしなくて良い!!
お前は見たはずだ!!
私の身体に…
お前にとって、最も大切な存在を!!」
遠くに転がっている自分の刀ではなく、景綱が最後まで手放さなかった刀を優しく握った金時の手…。
桃太郎
「その相手に自分の刀を向けなければならなかった悔しさを…
その相手にもう一度死を与えなくてはならないと感じた怒りを…
それを自らの手で行わなくてはならなかった理不尽を…
その表情に見せてくれ!!!」
金時
「うるせぇよッ!!!」
桃太郎に化けた鬼の言葉を遮るように響いた、雷鳴のような金時の怒号。
…先程までとは何かが違う…
それを察した熊童子の判断は早かった…。
金時
「…黙って聞いてりゃ言いてぇ事ばかり言いやがって…
図に乗るんじゃねぇよ…!
…テメェなんざ、景綱が出張らなくても俺だけで十分なんだよッ!!!」
再び頭に血が登ったかに見えた金時。
だが…
その瞳に写し出された金時の決意のようなものを見て…
景綱は、今の彼ならば大丈夫だと確信した…。
景綱
「…【金時】…
…心を刃にするんだ…
…その刃で、己の未熟な部分を断て…!」
最後の力を振り絞るように吐き出された景綱の言葉。
その意味の重さを、金時は痛い程に良く分かっていた。
桃太郎
「…ふふっ…
…おいクソガキぃ…
…お前にも見えるだろぅ…?
…【桃太郎】…
…お前はコイツを斬れるのか…?」
金時に対する警戒を強めた熊童子。
警戒を強めたからこそ、その挑発的な口調に手加減はなかった。
桃太郎
「さあ! 助けてやれよ!
お前がいれば桃太郎は死なずに済む!!
こんな状況の桃太郎を見捨てないでくれよ!!
なぁ!!」
自分の刀を、そっと離して金時に渡した景綱。
その手は力無く…
ゆっくりと自身の腹部の辺りに落ちていった。
景綱
「…勝つために必要な事にだけ考えろ…
…何があっても諦めるな…
…キミの諦めはキミが大切に想う誰かの死だ…
…例えどんなに勝利を手放したくなる絶望の暗闇の中でも…
…その暗闇を斬り裂いて、進むべき道を見付けられる刃のような心を持て…!!」
金時は景綱の言葉を何一つ聞き逃さなかった…。
そこに在る景綱の意志も…
自分を呼び捨てにしてくれた事も…
景綱
「…大義の道だ…!!
…それは多くの人達の命と願いで出来た道だと…
…キミにならば分かるだろ?」
そっと頷いて…
大切な事を教えてくれた景綱を、優しく寝かせた金時。
そこには柔らかな布団も、頭部を支える枕もない。
それでも…
景綱は満足そうな笑みをうかべながら、鬼に立ち向かう金時を見送った。
桃太郎
「はっ!!
何が【大義の道】だ!?
お前は守れなかったんだ!!
見殺しにした存在の姿を私に見ただろう!?
これはお前の【罪の証】だ…。
お前のせいでコイツは死んだ…。
そしてお前も死ぬ…。
今、お前がやっている事は…
努力賞も貰えない程度の自己満足なんだよ!!!」
熊童子が話し終えるのと同時に…
熊童子の眼前を走った一筋の光。
キラリと…
ほんの一瞬、何かが光を反射した程度にしか思わなかった…
…しかし…
直後に、何も無かったはずの場所に現れた鬼の顔の左半分…。
その目のとても特徴的で…
その結膜は黄色く濁り…
その瞳孔は蛇のように縦に長く割れていた…。
…その直後…
地面に落ちた【軽そうな何か】と、何も無い空間から突然姿を表した大きな手…
その手はそれまで持っていたであろう薙刀を手放し、露見してしまった顔を焦った様子で覆い隠していた。
金時
「…ベラベラベラベラと話してくれて有り難う…。
お陰でお前の法術の仕組みが分かってきたよ…。」
地面に落ちていたのは【髪の毛】…
成人男性の背丈ほどもあろうかと言う長い長い髪…
それが切り落とされて顕になったその場所には…
人間の女性の着物を着た鬼の姿があった。
そして何より…
金時
「…桃太郎の姿が半分消えたな…。
…これでハッキリしたぜ…!」
まるでそこに障害物でもあるかのように、不自然に見えなくなった桃太郎の左半身…
そして…
残ったその半身さえ不自然に乱れて見えて、現実味を失っている。
金時
「…つまりその法術は…
お前の全身を覆う程長い【髪】に映し出された【幻】って訳だ…。」
金時の言葉と態度に怒りを覚え…
その瞳に殺意の炎を宿す熊童子…
それまで金時を苛立たせていた熊童子の言葉は止まり…
代わりに、その怒りを表現するような歯軋りが響いてきた…。
顔を隠す指の隙間から覗く鬼の目。
目の周りを覆う両手の甲に浮き上がる太い血管。
隆起する両手の筋肉。
着物にしても…髪の長さにしても女性的な熊童子であったが…
その腕からは…
【女性】らしさは一切感じ取る事が出来なかった。
金時
「…今更分かったぜ…。
…お前【男】だろ!?」
金時の言葉に図星を突かれたのか?
顔を覆っていた手を強く握り締めた熊童子。
すると…
熊童子はその両手を、ゆっくりと顔から離していった…。
顕になっていく熊童子の顔…
同時に彼の全身から立ち上る、黒い炎のような気…
戦闘に集中しようとしているのか?
残った髪に映し出されていた桃太郎の姿も消えた…。
金時
「…へぇ…。
想像通りの【不細工】だな…!!」
…金時は挑発のために敢えてそう言ったが…
熊童子の顔立ちは美しく…
とても【男】とは思えない女性的な顔立ちをしていた…。
白塗りされた顔に殿上眉と真っ赤な口紅。
キリッとしていて、それでいてパッチリとしているように見える瞳…。
女性のように艶やかで美しい髪…
…しかし…
その着物の袖から覗く両腕は丸太のように太く…
毛深く…
筋肉質で…
顔と胴体が別人のような印象を受ける作りになっていた…。
熊童子
「…おのれ人間の子供よ…
よくも私の姿を見たな…!!」
女性的な声…
女性的な唇…
そこから僅かに覗く二本の牙…
そして…
それまで分からなかったが、金時が前髪を斬った事で顕になった、眉間の上から生えた山羊のような角…。
この時…
金時の心の中には「やっと鬼だと認識できた」という感想もあったが…
しかしそれ以上に…
金時
「…やっと斬るべき【敵】の面が拝めたぜ…!!」
鬼であるかどうかは関係ない…。
目の前にいるコイツは敵だ…。
その認識が金時の怒りを爆発させ…
同時に頭の回転を冷たく鋭く研ぎ澄ませていた…。
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