第二十五話 渡る世間に鬼はいた ~其の六~
桃太郎と閻の刀がぶつかり合う…。
木刀と金属で出来た刀では火花が散る事はなかったが、胸の奥まで響くような激しい衝撃音が何度も周囲に木霊し続けていた。
交差する互いの剣。
それをギリギリで捌いては攻撃を返し、それを防がれてはまた攻撃を受ける。
戦略と知略が入り交じった複雑な攻防を繰り広げた彼らは…
気が付けば幾つもの傷をその身に作り、体力的にも精神的にも消耗しきっていた。
桃太郎
「ぜーーーッ!!! はーーーッ!!!
もうッ!!!
いい加減に倒れろッ!!!
この三白眼ッ!!!
そんで重蔵とその父ちゃんに謝れッ!!!」
閻
「はーーーッ!!! はーーーッ!!!
誰が三白眼だッ!!
貴様こそいい加減、余に斬り捨てられるがよいッ!!!」
激しい攻防を繰り広げる両者には、桜も追い付く事が出来なかった。
攻撃しながら移動して、自分に有利な地形を利用しては上手くいかず…
木や灯籠等の障害物を利用しては互いの隙を狙い、それでも致命傷は与えられず…
桃太郎も閻も、遂にお互いの手の内を出し尽くした頃…
…桜は彼らの姿を完全に見失っていた。
桃太郎と閻には、複雑な戦術を使う体力など既に残ってはいない…。
その思考は疲労も相まってまとまらない。
彼らに残された手段は…
もう、一つしか残っていなかった…。
桃太郎
『…前だッ!!!
前に出ろッ!!!
攻撃の手を止めるなッ!!!
後ろに下がったら閻の勢いに飲まれて負けるぞッ!!!』
閻
『近付けるなッ!!!
踏み込まれたら流れを持っていかれるッ!!!
距離を取れッ!!!
視界を広げろッ!!!
目の前の男の動き全てを把握しておかなくては何をされるか分からんッ!!!』
…それは互いに得意とする間合いでの斬り合い。
互いが互いの得意先をぶつけ合う事で、少しでも勝機を見出だそうとしていたのだ。
だが間合いとは、必ずしも自分に有利になるとは限らないもの。
得意な間合いを利用される事もある。
得意と感じる意識が精神的な隙になる事も…
相手の間合いとの相性が悪い場合もあるかも知れない…
それでも相手の体力と集中力が切れるまで動き続け…
相手が一瞬でも隙を見せればそこを狙った。
…そう…これは…
…殺し合い…
それは決して美しく見応えのあるものではない。
えげつなくお互いの弱点を探り合う生々しい生存争い。
…競技ではないのだ…。
それは、戦っている本人達が一番分かっている。
そして、これが初の実戦である桃太郎にとっては、この戦いの全てが衝撃的で…
全てが手探りで…
自分のやっている事…やろうとしている事の全てが本当に正しいのかも分からず…
心に迷いを抱えながらも、目の前で起こっている事象の全てに、ただ必死になってくらいつく事しかできなかった…。
このまま戦い、もしもどこかで閻の隙を見付ける事ができたのなら、その時は閻の命を奪うべきだろうか…?
…桃太郎には、自身が思い抱いてしまったそんな疑問への最適解は分からなかった…
…また…
…考えている余裕もなかった…
…それでも…
迷う桃太郎にも一つだけは分かる事があった…。
周りからどう見られたとしても諦めない事…
それが勝利を引き寄せる重要な要素である事…
それだけは桃太郎にも分かっていた…。
桃太郎
『…くそっ!! 当たれーーーッ!!!』
閻
『…躱せッ!! そして間髪入れずに攻撃を返すんだッ!!
桃太郎に考える時間も立て直す間も与えるなッ!!』
しかし、それでも当たらなかった互いの剣。
そして遂に二人の精神的疲労が極限に迫り始めた時…
見せたくなかった隙を先に見せたのは桃太郎の方だった。
桃太郎
『…いけねッ!!!
自分の攻撃で身体が流れて…ッ!!!』
閻
『…今だッ!!!』
桃太郎が見せた僅かな隙に目掛けて、渾身の力を込めた切っ先を振り抜いた閻。
…しかし、振り抜いた刀から手応えは返ってこなかった。
桃太郎が閻の攻撃を躱したのだ。
しかし、閻の感覚では その攻撃は完璧に桃太郎を捉えていたはず。
…いったいどうやって躱したのか?
…一瞬…そんな疑問を感じた閻…
次の瞬間、閻の瞳に映り込んだ光景(答え)…。
それは閻に時が止まったような錯覚を感じさせ、彼の桃太郎に対する認識を大きく代えさせた。
地面に対して、ほぼ平行と言える角度まで仰け反った桃太郎の上体。
その姿勢を下半身の筋力だけで支えていた桃太郎。
身体をそこまで寝かせる事で、閻の攻撃から逃れたのだ。
そしてその躱し方は奇しくも…
先程、桜の法術を躱した時に閻が見せたものと類似した。
自力で躱せないのなら、他の力を利用すれば良い。
…そう、桃太郎は…
閻を真似して重力を利用する事で、最大の危機を回避したのだ…!
重力に抗ってでも体制を立て直そうとするから行動が遅れる…。
…だがもしも、体制を崩してでも重力に従えば…?
これはそんな思い付きに従った結果だった。
閻
『馬鹿なッ!!!
その方法なら確かに躱せるが…
先程 見せたばかりの余の技を、当意即妙に真似たと言うのか!!?』
桃太郎
『…けどッ!! オイラには閻みたいにカッコよく体制を戻す技術はないんだけどッ!!?』
戦闘中に相手の技を学習するのはよくある事だ。
しかし、閻が見せたこの技は相手の奇を衒う事によって相手の判断さえ鈍らせる技術。
必ずしも上手くいくとは限らないし、失敗すれば隙を狙われて切り捨てられる。
扱いが難しく、使う者を選ぶ技術だった。
それを扱えたと言う事は…
閻
『…認めなくてはなるまい…
目の前にいるこの男は…
余と同格か…
余を脅かす存在だと…!!』
…そして、時は再び動き出す…。
閻から至極の評価を受けた桃太郎。
だが閻との戦闘で体力的限界が近かった桃太郎には自らの体制を立て直す力は残っておらず…
そこからは、ただ倒れていく事しかできなかった…。
それでも…
地を転がってでも距離を取りながら構え直す事ならできる。
それを即断した桃太郎は最後まで重力に従いながら、閻とは別の方法で体制を立て直そうとして後転した。
…だが…
そこにあったのは土手…
下方に見えるのは倉敷川と桟橋…
桃太郎は閻の攻撃を躱した代わりに大きく体制を崩し、土手を転げ落ちながら桟橋へと追い詰められた。
桃太郎
『ちくしょ!! 全身が痛ぇッ!!
でも早く立ち上がらなくちゃ!!』
全身を打ち付けて、素早く立ち上がる事も出来ない桃太郎。
その身体は四つん這いになり、体力の低下によって震えた手足は、桃太郎の身体を支えるので精一杯だった。
桃太郎の目の前にある地面。
戦闘中に自分がそこを見ている事に恐怖を感じた桃太郎は焦りながら上方にいるはずの閻を確認した。
…するとそこには…
既に桃太郎 目掛けて飛び上がり、逆さまに構えた剣でとどめを刺さんとする閻の姿が…。
その切っ先に乗った閻の全体重。
…そこに触れれば死が待っている…
それが理解できても、桃太郎の痙攣した手足が直ぐに反応してくれる事はなかった。
桃太郎
『動けってッ!!!
今 動かなかったら終わっちまうぞッ!!!』
これで決着とばかりに集中力を取り戻した閻の眼光。
そこから感じた、今まで以上の殺気。
桃太郎の震える手足に少しずつ込められた力は、閻の攻撃が自分を貫く直前になって、やっと僅かに桃太郎の指令を遂行するだけの反応を見せた。
焦って後方へと飛んだ桃太郎の身体。
しかし、思ったような理想の回避はしてくれない。
そのまま尻餅を突く桃太郎。
無様にも尻を引き摺るようにして間合いを取る桃太郎に直ぐ斬り掛かろうとした閻だったが、桃太郎に回避された彼の刀は地面へと深く突き刺さったまま抜けなかった。
閻
『…今が好機なのにッ!!!
刀が抜けんッ!!!』
落ち着いて真っ直ぐ抜けば簡単に抜けたはずの閻の刀。
だが勝利への焦りを隠しきれなかった閻は、刀を抜く角度も考えられないまま、力任せに抜こうとしていた。
結果的に無駄な体力を使い、桃太郎にとどめを刺す好機も逃した閻。
そんな彼がやっと自分の刀を引き抜けた頃…
桃太郎は震える手足を無理矢理言い聞かせ、ゆっくりと立ち上がろうとする様子を見せていた。
…しかし…
桃太郎
『やべっ!! 後ろを確認してないっ!!
川と桟橋があったようだったけど…ッ』
桃太郎が飛んだ先にあったものは…
桟橋の終わり…
そしてその先にあった川舟…
フラつきながらも立とうとした桃太郎の一歩目は桟橋をしっかりと踏み締めたが、続く二歩目は桟橋の端に僅かに触れる程度のものだった。
桃太郎
「うわっ!!!」
二歩目を滑らせ、大きく体制を崩して川舟に転落した桃太郎の身体。
またしても全身を打ち付けた桃太郎の身体は、今度は仰向けになって天を仰ぎ見ていた。
だが今は身体の痛みどころではない。
また直ぐに閻の攻撃が来る。
身の危険を感じて、桃太郎は直ぐに立ち上がろうとするが…
揺れる川舟は、桃太郎が起き上がろうとする力を悉く阻害した。
上手く身体を起こす事ができない桃太郎。
その隙を、もう二度と来ない好機と判断した閻は、桃太郎に向かって再び飛び掛かった。
舟の上を転がりながら、閻の攻撃をギリギリで躱す桃太郎。
そんな桃太郎を追って、閻は自分の剣を振り続けた。
決着を焦った閻の剣。
桃太郎はそれを自分の木刀で受け止める。
そして再び始まる鍔迫り合い。
だが、今度の鍔迫り合いは完全に桃太郎が不利だった。
倒れたままの桃太郎に全体重を預けながら、何とか押し斬ろうとする閻の刀。
綺麗な勝ち方じゃなくても良い。
このまま体重を預けていれば木刀くらい斬れるだろう。
…それで良い…
それでも桃太郎に勝ちたい。
勝利への執念にも似た閻の意思が、刀を通じて桃太郎へと伝わっていた。
…しかし…
…ここで閻は、とある重大な事実に気付いた…。
閻
「…どういう材質で出来ているのだこの木刀はッ!?
余の刀で傷一つ付かんとは…ッ!!」
桃太郎
「…へへッ!!
オイラのじい様の手製の木刀さッ!!
そこら辺の刀になんか斬られてたまるかッ!!」
桃太郎が持つ木刀の頑強さに驚きを隠せなかった閻。
しかし閻の刀もまた、そこら辺の刀ではなかった。
彼の手に握られた刀は、彼の一族に伝わる由緒正しい名刀だったのだ。
閻はその切れ味には自信があった。
…それなのに…
何度も閻の攻撃を受け止めたはずの桃太郎の木刀には、傷跡一つ付いてはいなかったのだ。
これ程の頑強さがこの木刀にあるとは桃太郎も知らなかった。
故に、その事について問われても桃太郎に答えられる事実など一つも在りはしなかった。
桃太郎だけではない…
木刀を造り上げた桃太郎のおじいさんでさえ…
この木刀がここまでの活躍を見せる事を知らなかったのだ。
…だが今は戦闘中…
桃太郎の木刀に意識を奪われている場合ではない。
先程の攻防で、桟橋に繋ぎ止めてあった縄を斬ってしまった閻の刀。
自由になった川舟は川の流れに身を委ね、少しずつ勢いを増しながら流れ始めた。
上流で降った雨の影響で勢いを増した川の流れ。
その流れに乗った舟は、ある段階を皮切りに…
暴れ馬のように乱暴な動きを見せながら下流へと向かって進み始めた。
一瞬、暴れる船に体制を崩され、鍔競り合いをやめてしまった桃太郎と閻。
それでも何とか体制を立て直しては互いに剣を振るった。
閻の攻撃に耐え続ける桃太郎。
まだ倒れたままの桃太郎は何とか隙を見計らって閻の腹部に蹴りを入れた。
思わず後ろへと下がる閻。
そして、やっと起き上がる事の出来た桃太郎は、ヨロヨロと後退した閻に向かって斬りかかった。
…だが…
水面を上下に浮き沈みする舟の力を借りて、大きく飛び上がった閻。
桃太郎の攻撃を躱しつつ桃太郎の頭上へと飛び上がった彼は、下方にいる桃太郎の頭部目掛けて真っ直ぐに刀を振り下ろした。
残った力を振り絞って振り抜いた閻の刀。
しかしそれさえ、桃太郎は皮一枚のところで躱す。
…今の攻撃を躱せたのは奇跡だ…
桃太郎の表情がそう語っていた。
…それもそのはず…
桃太郎は今の攻撃を自力で躱せた訳ではない…。
川の上…
流れる舟の上と言う慣れない条件の上での戦闘であったために、閻が犯した過ちだったからだ。
…間合いを見誤った…
それこそが、今の一撃を桃太郎が躱せた最大の要因だ。
…しかし…
攻撃を躱した影響で船底に突き刺さった閻の刀。
そこには小さな穴が空き、川の水を少しずつ舟の中に招き入れた。
どんどん侵入してくる川の水…
ゆっくりと水面に近付いていく舟…
それらを五感で感じながら、桃太郎と閻は理解した…。
決着が近い…。
桃太郎
『この舟が沈むまでに決着がつくッ!!』
閻
『次の攻防で最後だッ!!』
そしてお互いの武器を構え直した両者。
睨み合いながら機を伺い、暴れる舟の上をジリジリと歩み寄った。
既にくるぶしの高さまで侵入してきている川の水。
その水の中、舟の床を擦るように桃太郎と閻の足が近付いていく。
…もう直ぐ間合いだ…
両者の気が充実し、空気が張り積めていく中…
ふと…
閻とは全く別の方向から向けられている殺気に桃太郎は気付いた。
『避けろッ!!!』
桃太郎
『…え? …誰?』
桃太郎の視線が閻から反れる…。
そして桃太郎の視線が捉えた人影…。
閻の動きの全てを把握しようとしていた桃太郎の集中力が、その人影のせいで一瞬乱れた…。
閻はその隙を…決して見逃さなかった…。
桃太郎へと向けられた、閻の最後の攻撃。
その攻撃が桃太郎へと届くのとほぼ同時に…
桃太郎に向けて、何者かの攻撃法術が放たれていた。
桃太郎に向けて放たれた小さな光の弾のような攻撃法術…。
その速さからは、それなりの威力が伺える。
閻の攻撃か…
第三者からの攻撃か…
どちらか一つしか防ぐ事はできない。
そう直感した桃太郎が選んだ行動は…
閻の攻撃を防ぐ事…。
桃太郎の首を目掛けて、無駄の無い最小限の動きで滑り込んだ芸術的な閻の突き。
閻が選んだその攻撃は桃太郎の木刀に弾かれて僅かに狙いから反れ…
桃太郎の右肩付近を通過した。
…しかし…
別の方向から飛んできた誰かの攻撃法術が、桃太郎の左鎖骨に見事命中したのだ。
その攻撃を受けて川へと転落した桃太郎。
それが自分の攻撃による反応ではない事を、閻は即座に察知した。
川の中から上がって来ない桃太郎の身体。
閻は桃太郎がいるはずのその場所を眺めながら、川舟の上でただ立ち尽くしていた。
乱れたままの閻の呼吸。
向かう先を見失った切っ先。
気が付けば歯を喰い縛っていた閻の表情は険しく…
桃太郎との決着を迎えられなかった無念、その一色に染め上げられていた…。
桜
「はぁ! はぁ!
桃ちゃん! 今、何処にいるん!?」
その頃…
桃太郎と閻の姿が見えなくなった方向へと走り続けていた桜が、倉敷川の見えるところまで駆け付けていた。
桃太郎と閻が争った形跡と見られる足跡や、あらゆる場所に残された刀傷を追っていた桜。
そんな桜の視界に、最後に入ってきたのは…
川舟が停められていたであろう桟橋に残された縄…。
橋の上から覗き込むように見られたその縄は、舟に結び付けようと考えるには短く、端は自然に切れたと言うより鋭利な刃物によって斬られた跡があるように見えた。
桜
「…まさか…!」
桜の耳に轟く川の流れる音…
しかしその音の中に…
下流から聞こえて来た水面を叩くような音が微かに聞こえたらような気がした…。
何かが川へと落ちたのか…?
そう感じた桜の胸に突き刺さる嫌な予感。
桜は走った。
川の中を覗き込みながら…
時に手刷りから身を乗り出しては川の水面を確認した。
…そして…
…遂に見付けた桃太郎の姿…。
桃太郎は最後の力を振り絞り、何とか川岸に這い上がろうとしていた。
桜
「桃ちゃん!!!」
そこに急いで駆け付けた桜。
桃太郎の腕や衣服を引っ張りながら、何とか川岸に引き上げたその身体は…
どこを見ても傷だらけで、生きているのが不思議なくらい冷たくて…
その呼吸は止まってしまうのではないかと思える程に弱々しかった…。
体力など残っているようには見えない…。
…しかし…
桃太郎は おじいさんがこしらえた木刀だけは、しっかりとその手に握り締めたまま…
決して放そうとはしなかった…。
桜
「桃ちゃん!! 生きてた!!」
涙を流し、鼻をすすりながら桃太郎の生還を喜ぶ桜…。
…だが…
弱々しく呼吸を乱し…
呼んでも返事をせず…
目を開ける事もない桃太郎の状態は、余談を許すものではなかった…。
夜叉丸
「桜ッ!!!」
桜
「夜叉丸ッ!!!」
そこへ駆け付けた夜叉丸と、遅れて到着した小太郎。
彼らは桃太郎と桜が置かれたその状況を即座に理解出来ないまま…
ただひたすらに急いで、桃太郎を休められる宿を探しに走った。
…桜達が桃太郎の救命活動に追われていた頃…
岸に上がった閻は、一人で森の中を歩いていた。
つい先程まで、あれだけ激しい戦闘を繰り広げていた割にはしっかりとした足取りで…
乱れた呼吸も整い、何事も無かったかのように平然と、どこかへと向けて歩みを進める閻。
俯き加減の彼の表情は見にくかったが、確かに険しく、殺気にも似た威圧感を放っていた…。
閻の気配に恐れをなして、彼の側から逃げていく動物達…。
虫一匹として存在しないのではないかと思われる静寂が彼を包んだ頃…
閻はその歩みを止めた…。
閻
「…いい加減、姿を見せたらどうだ…
…【天王(てんおう)】…!!」
…突然…
何も無い森の闇の中に向けて言葉を発した閻。
何処までも深く暗いその闇には、閻が発した言葉さえもが飲み込まれてしまうようで…
そこから先へと進めば、その肉体さえただでは済まないのではないかと連想させる程の危険な気配を漂わせていた。
…並みの剣士ならばここで退いていた事だろう…
桃太郎が産まれ育った郷の剣士達でさえ進む事を躊躇っていたに違いない。
…しかし…
閻はそれ程の恐怖を感じさせる闇に向かって、純粋な怒りだけを込めた怒号を言い放った。
閻
「これ以上、余を待たせるなッ!!!
余が姿を見せろと言ったら直ぐに姿を見せろッ!!!」
先程まで、桃太郎に向けて放たれていた殺気以上の殺気…。
その殺気をまともに受けてしまった草木からは一気に生気が失われ…
青々と色付いていたはずの木葉や花は萎れ、閻の足下の雑草は全て枯れていた…。
辺りに木霊する閻の叫び声。
それが聞こえなくなる前に、【天王】と呼ばれていた存在が闇の中から姿を表した。
閻に向かって進んでくる足音…。
少しずつ闇の中から見えてきたその姿は…
ほぼ全身を包み込む程の美しい外套を羽織り、外套の一部で頭部から顔にかけて隠した…おそらく男…。
見るからにただ者ではないと思われる彼の姿には、ある特徴があった…。
彼の頭部を覆っている外套の一部…。
その隙間から、大きな二本の【角】が…
左右に向かって突き出ていたのだ…。
…そう…
彼は【鬼】…
閻
「…【八部衆(はちぶしゅう)】が一人…
…最強の【天王】…!!
余の戦いの邪魔をしたのは貴様か…ッ!!」
桃太郎の郷を襲った阿修羅達の仲間にして、彼女達を纏め上げる最強の鬼…。
【天王】…
そう呼ばれた彼の手には、閻がいつの間にか手放していた刀の鞘が握られていた。
天王
「…あの少年との最後のやり取り…。
もしも私が割って入らなければ、負けていましたよ?
…【我が君】…。」
そう言って、手に持った鞘を両手で閻に差し出した天王。
頭を垂れ、閻に対する最大の敬意を表した天王の姿を見て、それでも閻は舌打ちをした。
そして乱暴に鞘を受けとると閻は刀を納め、その腰に帯刀する。
その表情は険しいままだったが…
天王の言っている事にも理解を示しているような…
閻の表情にほそんな悔しさも同時に滲み出ていた。
閻
「…例え負けていたとしても、それが全力を出した結果ならば受け入れたッ!!!
余を誰だと心得ておるッ!!?
剣士と剣士の戦いに横槍を刺し、その決着を濁すような真似をしおって!!
それでも貴様は誉れ高き八部衆の長か!?
次はない!!
二度とこのような出過ぎた真似をするなッ!!!」
閻の怒鳴り声をただ黙って聞いていた天王。
閻の力なら、彼を斬り捨てる事も簡単に出来たかも知れない…。
【本来の閻の力】ならば…。
しかし今は違った…。
天王
「…余程 楽しかったのですね…
あの【人間の少年】との戦いが…。」
天王に背を向けたまま…
彼の言葉に足を止めた閻…。
閻がこの時何を感じていたのか…
それを天王はハッキリと理解していた…。
天王
「…確かに…
今まであなた様を楽しませる事ができた者など、一人も居なかった…。
…しかしそれは【本来の力】を存分に使った場合のあなた様の話です。
…【今のあなた様】のように…
実力を制限する【法具】を身に付けたままのお姿ならば、食い下がれる人間も時には現れましょう…。」
それは【不満】…。
自分が感じている不満を、お前は感じた事がないだろうと言う不満…。
納得出来ない状況を変え、少しでも満足感に浸りたいと考えても、それを天王は許さない…。
それは激しい不満となって閻の表情や態度に表れ、天王の全身を貫いた。
肩越しに天王を睨み付ける刃物のような閻の眼光。
そこに込められた殺気を全身でまともに感じ取ったのならば、普通なら恐怖を隠せないはず。
弱い人間ならば心臓を止めていたかも…?
しかし…
天王はその恐ろしい殺気の中、表情一つ変える事なく閻をただ見つめ返していた。
恐怖どころか、微かに微笑んでいるように見える天王の表情。
そんな天王の反応を見て、暖簾に腕押しとでも感じたのか?
閻は自らが放つ激しい殺気を納め、再び自分の進行方向へと振り向いた。
と、同時に…
閻は自らの髷に取り付けられていた飾りを取り外した。
円環状の金属部品の周りに揺らめく炎のような装飾が施された髪飾り。
それは閻の気を吸い上げ続け、吸った気を法術へと返還させる【法具】だったのだ。
本人の意思とは無関係に気を吸い続けるその法具は閻の全身を包み込み、閻の姿を彼が望むものへと返還させ続けてくれていた。
気の消耗は激しいが、自分が使えない法術をいとも容易く使用できるその法具は、便利であるのと同時に、使用者の力を大きく制限するのだった。
…髪飾りを外したとたん、急激に高まり始めた閻の気…。
見る見る内に枯れ始めた周囲の木々や草花…。
植物達が風化さえ始めてしまいそうな程に生気を失っていくその様子は、見る者全てにこの世の終わりを連想させた。
閻の身の回りで起きている現象を目の当たりにして、さすがに一歩…二歩と後退する天王。
その頬には汗が滲み、その口元からはいつの間にか微笑みが消えていた。
閻
「…確かに便利な【法具】だった…。
これを身に付けていると身体が重く感じられ、気の扱いも難しくなる…。
恐らくこれを身に付けている間は、本来の実力の一割程にも力を出せていなかった事だろう。」
徐々に姿形を変え始めた閻の身体。
その肌は今までよりも色白く変色し…
その頭部からは、謎の突起が姿を現し始めていた。
閻
「…【これ】の実験を兼ねての偵察ではあったが…
この法具は外す時も注意が必要だな…。
重い物を持って歩いた後のように身体が軽く、気が充実して感じられる…。
…身体からうっかり溢れ出した気だけでこの影響だ…
天王…
貴様とて立っているので精一杯だろう…。」
閻の言葉は図星だった。
僅かに震え始めていた天王の膝。
外套のせいで分かりにくいが、実は手も震えていた。
閻の後ろ姿を見ているだけで意識が遠退く。
それ程の気に耐えるので精一杯かと思われた天王だったが…
彼の自尊心が、自分が限界である事を閻に覚られる事を強く拒んだ。
天王
「…あの【人間の親子】は如何なされるおつもりで…?」
平然とした態度で閻に問い掛ける天王。
その言葉が指し示した人間の親子とは重蔵とその父親の事だった。
街で暴れ…
頭部に角を確認できた重蔵の父親…
父が鬼なら子も鬼…
そう思われていた…
しかし…
それさえもが、閻と天王の計画の内だったのだ…。
閻
「…余に取り付けられた法具を利用し、貴様の法術を使って鬼の姿に変えたあの親子か…。
本来ならばあの親子を使って【あの男】を探すはずだったのだが…
洗脳の術を使って【あの男】の気配を辿らせたが、大人の方は混乱して暴れだし、子供の方は何故か桃太郎を探し出してきた。
作戦は半分失敗だ。
適当に術を解いて元の生活に戻してやれ。」
…なんと…
重蔵親子は【人間】だったのだ…。
その姿を鬼に変え、彼らが探す別の誰かを誘き寄せるために利用した罠。
それが重蔵親子だった…。
むしろ【鬼】だったのは閻の方…。
尖った耳…。
僅かに唇からはみ出した、肉食動物を思わせる牙。
彼の額中央から真っ直ぐに生えた一本の角…。
その姿は…
阿修羅達のような他の鬼よりも夜叉丸に酷似した。
そして遂に閻が放つ気に耐えられなくなってしまった天王。
彼は片膝を地に着き、片方の拳を地面に突き立てる事でその身を支えた。
そしてその姿は奇しくも…
自らの将に最大の敬意を表す家臣が行う礼のようだった。
天王
「…仰せのままに…。
…【我が君】…
…【閻魔大王様】の【お子】…
…そして…
…【煉獄童子・閻羅天(れんごくどうじ・えんらてん)】様…!」
草木を朽ちさせながら、何処かを目指して進む閻…。
その眼光は既に、遥か先にいるはずの【その男】を捉え…
その歩みは一歩の無駄も無くそこへと向けて進められているようだった。
閻
「…待っていろ…。
…直ぐに見つけ出してみせるぞ…
…【夜叉丸】…!!」
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