第二十三話 渡る世間に鬼はいた ~其の四~

『…何だ…?


…何故、余は天を仰ぎ見ている…?


…余は戦っていたはずだ…


…それが何故、敵を視界から外している…?


…足の裏が地面に触れている感触がない…


…余の身体は浮いているのか…?


…顎の下側に走る激しい痛み…


…首の後ろに残る衝撃…


…余は攻撃を受けたのか…?


…余は…


…斬られたのか…?』


桃太郎の攻撃を受け、体制を崩して背中から後方に倒れた男。


大の字になって寝そべり、その瞳は意思を半分飛ばしたかのように虚ろなまま、静かに天を見上げていた。


『…凄い…。

…今のが木刀じゃのうて真剣じゃったら…

…今ので勝負が付いとった…!』


自負が見たものを疑う桜。


彼女は自分でも敵わないと判断した相手と桃太郎が戦って、桃太郎が勝つという信じられない場面を目の当たりにしていた。


…自分には一度も勝った事のない桃太郎…


…彼の事は、これから自分が守って行くんだと思い込んでいた…


…それがよもや、自分の方が守られる日が来るとは…


目の前で起きている信じられない出来事が、逃げようとした桜の足を止めてた…。


息を切らして、倒れたままの男を見下ろす桃太郎。


先程の一撃を放つのに、余程の集中力を要したのだろう。


体力的にと言うより、精神的に消耗したのだ。


精神力を大きく消耗した桃太郎。


その疲労感は息切れと言う形で表面に表れ、彼の呼吸を大きく乱していた…。


桃太郎の背中を見詰める桜…。


桜は桃太郎が初めて見せた強さに驚きを覚えると共に、喜びもまた同時に感じていた。


…そして…


何故 突然そんな力に目覚めたのか?


そんな疑問もまた…


「…ふふふ…」


倒したと思っていた男から聞こえてきた笑い声…。


その不気味さに、一瞬たじろぐ桃太郎と桜。


…まだ終わっていない…。


男の身体が、再び桃太郎と戦おうとして動き出す…。


…その瞬間を、桜が見逃す事はなかった…。


…桃太郎が動く気配はない…


…男が再び動き出したら、消耗し始めている桃太郎がまた勝てるとは限らない…


…殺される前に殺せ…


そんな言葉が桜の心の中に走った。


と、同時に【それ】を即断した桜。


彼女は一瞬で大量の気を練り上げると、再びその手で印を結んだ。


桜の左手が型どった【刀印(とういん)】…。


【悪を消し去る】と言う意味のあるその印は、攻撃のための術を発動させる時に用いられる手印であり…


桜が最も使ってこなかった手印であった…。


「【光劇・白咬(こうげき・びゃっこう)】」


桜の声掛けと共に、男を襲う無数の光線。


あらゆる角度から男を襲ったその様は、まるで獲物を喰らう獣の牙。


突然の出来事に驚きを隠せなかった桃太郎の目の前で、男は再び白い光に飲まれ、その姿が見えなくなってしまった。


桃太郎

「…桜!!」


まだ倒れている敵を攻撃するだなんて、良い気はしない。


…そう感じつつも…


桜の行動を正しいと理解する桃太郎。


桃太郎は自分が桜に守られたのだと言う事を理解していたのだ。


…あのままだったら殺されていたかも知れない…


やや気まずい雰囲気に飲まれながらも、桃太郎は桜に ぎこちない笑顔を返しす事で感謝の意思を表した。


…しかし…


桃太郎と桜が次の瞬間に目にした光景は、二人を激しく動揺させるものだった。


桜の術によって放たれた光が消え、攻撃された男の姿が顕になり始めた。


ボロボロになった衣服…


手足に着いた土の汚れ…


僅かに乱れた頭髪…


…しかし…


その身体のどこからも、出血の痕跡は見受けられなかった。


桃太郎の攻撃を受け…


桜の術をその身に受けて…


それでもなお、ほぼ無傷の男…。


…何故だ…?


桃太郎も桜も、あれだけの攻撃を受けて致命傷を負わない男の身体に疑問を感じずにはいられなかった。


…しかし、どんなに考えてもその答えは出ない…。


男はゆっくりと立ち上がると、構える事もなく手をブラリと下げ…


仁王立ちでうつ向いたまま、落ち着いた口調で桃太郎と桜に問い掛けた。


「…なかなか良い攻撃だ…。

…楽しめたぞ…。

…女…

…貴様もなかなか良い…

…容赦の無い良い攻撃だった…。」


男の放つ気が、先程までよりも更に強まった。


自然と身構える桃太郎と桜。


先程までは怒りの感情が勝っていた桃太郎も、今は男から感じる強い気に当てられて警戒心を強めていた。


…このままでは負ける…


そう感じた桃太郎は、桜を庇うようにその身を一歩踏み出した。


「…桃ちゃん!!!」


桃太郎

「逃げろ!! 桜ッ!!」


自分の盾になろうとしている桃太郎の意思を感じて戸惑う桜。


逆の立場になるはずだったのに…


自分が盾になるはずだったのに…


それなのに今は男の放つ気に当てられて、桜の足はその動きを鈍らせていた。


…足が重い…


…前に出せない…


その重さが自分の感じている恐怖から来るものだと気付いた時…


桜の声までもが、口を塞がれたように出せなくなってしまった。


『…悔しい…!

…悔しい…!

…悔しい…!!

…こんなハズじゃなかったんに!!!』


下唇を噛み締める桜。


そこから滲む血液。


目の前で起こっている、予想していたものとは全く違う現実。


…受け入れるしかなかった…


…予想していた理想との違いを…


…認めたくない程の、その落差を…


…しかし…


…ただ認めるだけではダメな事も、桜は理解していた…


…共に居たい存在がいる…


…失いたくない関係性がある…


…このまま、ただ現実を受け入れて全てを諦めてしまえば、それら全てを失う事になる…


…そんなのはイヤだ…


目の前の落差に失意を感じながらも、そんな現実を受け入れたくないと感じる拒絶の心…


それが桜を奮い立たせる勇気となって、彼女の身体を突き動かした。


「何を言うとるん!!?

桃ちゃんこそ逃げぇ!!!」


大きく一歩踏み出して、桃太郎の隣に立った桜。


自分と肩を並べる彼女の姿を見て、桃太郎も驚きを隠せなかった。


ずっと追い掛けていた、同じ寺子屋の優等生。


ずっと前を走っていたハズの存在。


心の底から敵わないと理解していた相手。


それが今は隣にいる。


同等の戦力として自分を見てくれている。


…そして、同じ敵を相手に刀を構えている。


いつかそんな日が来たら、きっと凄く嬉しく感じるはずだろうと桃太郎は思っていた。


優秀な桜と肩を並べて戦えるだなんて、光栄なはずだと…。


しかし、いざそんな状態になった今は…


彼女を守らなくてならないと感じるのに、その余裕も無い…。


むしろ、共に戦ってくれる意思を感じて心強くも感じている…。


女である桜にそれを感じてしまう自分に、複雑な想いがこみ上げてくる…。


…こんなハズじゃなかった…。


桃太郎の胸の中に広がる、言葉に直しきれない複雑な気持ちが、桃太郎の事もまた勇気付けていた。


桃太郎

「…じゃあ二人で戦おう!!

…それで恨みっこなしだ!!」


桃太郎の言葉に小さく頷く桜。


二人はそれまでよりも少し重心を低く構え、そして僅かに前傾姿勢になった。


…戦う事しか考えていない…


…見る者 全てにそう感じさせてしまうその構え…


それを視界に捉えた男は桃太郎と桜に興味を持ち…


その興味が男に【それ】を言わせた…。


「…お前達…【名】は…?」


この時、男の意思に変化があった事を桃太郎は感じ取っていた。


自分の気持ちばかりを優先していた男が他人に興味を持ち、その言葉に耳を傾けようとしている。


そして…


恐らく記憶に留めようとしている…。


それはきっと、男が次の攻撃で【終わり】にしようとしている意思の表れ…。


これから見る事になるのは、男の全力…。


それを感じ取った桃太郎と桜は、男の言葉に抵抗する事なく彼の問いに回答していた。


桃太郎

「…オイラは【桃太郎】!」


「…【桜】じゃ!」


二人の名を耳にして、男が放つ気は一瞬の静まりを見せる。


「…桃太郎…桜…。」


桃太郎と桜の名を聞いて満足した男は、再び刀を構えた。


…と、同時に…


まるで吹き抜ける突風のように桃太郎達に叩き付けられた男の気。


先程までとは全く違う、熱く荒々しい闘気。


それはまるで火山の火口から吹き出した熱風のようで…


そこにただ立っているだけで火傷をしそうな…


何もしていなくても命を削られていくような…


そんな印象を受ける気。


それを叩き付けられて、前傾姿勢に構えた桃太郎と桜の上体が、僅かに押し戻された。


それでも耐えようと、更に重心を低くして前へと上体を傾ける桃太郎と桜。


耐えるどころか抗おうとしている二人の様子を見て、男の口は横に割けたかのように広がり、両側からつり上げたかのように耳元まで口角を上げた。


「…桃太郎…桜…

…死ぬ前に覚えておくが良い…。」


左足を前に出し、頭上に刀を構えた男。


桃太郎と桜が今まで見てきたどんな型とも違う…


隙だらけに見えるのに、そこから感じる殺気が攻撃を許さない。


迂闊に飛び込めば殺される。


それを理解できてしまった桃太郎達は、その場を一歩も動く事が出来なかった。


「…余の名は【閻(えん)】…。

…覚えておくが良い…

これが遠くない未来…

この世を統べる者の名だ…!!」

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