第二十二話 渡る世間に鬼はいた ~其の三~

…遠くの山の向こう側から轟く雷鳴…


…少しずつ増していく川の水位…


…徐々に強まる風…


…下がり続ける気温…


何も考えなければ、それはただの雨が降る前触れだ。


…しかし…


【その男】を目の前にした桃太郎と桜にとって【それ】はただの自然現象などではなかった。


全て、目の前にいる男が引き起こしている事のような気がする。


その気配が…


その大胆不敵とも受け取れる態度が…


そして、その瞳の冷たい輝きが…


「何もかも自分がやった事だ」と、言っているような気がしてならなかった。


大して歳も変わらない、名前も知らないその男…


その存在感のようのものが強まるに連れて、周囲の状況が悪い方へと変わっていく…。


彼を止めなくては状況が好転する事はない…


桃太郎はそんな気がしていた…。


桃太郎

「…何でこんな事をするんだ…?

こんな子供を背後から斬ろうだなんて…!」


桃太郎の問いに、その男は何も回答しなかった。


ただニヤニヤと笑顔を浮かべ…


何かを楽しみに待つ、ただの子供のような目で桃太郎を見詰めていた。


目の前で真剣を握る男が何を考えているのか、桃太郎には分からない。


理解出来ない事は恐怖だ。


理解できたり、予想できるから人は平常心を保てる。


理解も予想もできなくても、それに対応できる経験値があればまだ落ち着いていられただろう。


しかし桃太郎には、その経験値さえ持ち合わせていなかった。


何もかもが分からなかった桃太郎の目の前で、男の次の行動が始まった。


右手前、左足前の諸手上段に構える男。


…攻撃が始まる…


…会話も無いままに…


桃太郎の過去に無い流れ。


桃太郎の意思など、全く関係ないと言いたげなその態度。


男が取った行動の全てが、桃太郎にとっては信じられなかった。


故に判断が遅れた。


目の前の男が取った行動に対して、反射的に自分も木刀を構えるが…


桃太郎には本当に今から攻撃が始まるとは考えられなかったのだ。


…現実味の無い戦いの火蓋…


「始め!」の掛け声も、試合の順番待ちもない【これ】こそが【実戦】…。


桃太郎にはそれを理解するのが遅すぎたのだ…。


…そして…


その瞬間は無慈悲にも訪れた…。


桃太郎に向けて振り下ろされた男の剣。


桃太郎はそれに反応さえできなかった。


桃太郎

『…見えているのに…!

…目の前の刃が【どこ】を通るのかさえ理解できているのに…!

…反応が…遅れて…ッ!!』


今からでは、どんな動きをしても間に合わない。


それを理解しながらも、桃太郎は後方に身を躱しながら木刀で男の剣を防ごうとしていた。


…だが…次の瞬間…


桃太郎と男の間に話って入った桜…。


桃太郎の反応が遅れた事をいち早く察した彼女は、その身を挺して男の剣を受け止めたのだ。


桃太郎

「桜ッ!!!」


桜が斬られてしまったのではないかと心配する桃太郎。


…しかし…


案ずる事はなかれ、そこは郷でも高い評価を受けていた女剣士・桜。


彼女は既に自らの剣を抜いていた。


その剣を構えて、男の殺意に満ちた凶刃から自らも桃太郎をも守ったのだ。


「…誰だ貴様は…?

余の邪魔をするな。」


「邪魔するに決まっておろうが!!!

名前も知らんお前みたいな男に、桃ちゃんの事を斬られてはたまらんのじゃ!!」


そう叫ぶと桜は剣の柄から左手を放し、その人差し指で地面を指すような仕草を見せた。


【降魔印】だ…


釈迦如来が悪魔を追い払った時に使った手印であり、悪い心に打ち勝つと言う意味のあるこの印は…


しばしば術の発動時に使用される事があり、桜が得意先とする【光】を使った術の発動時に必須となる。


「【光劇・盲御前(こうげき・めくらごぜ)】」


桃太郎

『あれはいつも授業で使ってた…!!』


「…【光】か…。 …厄介な…。」


次の瞬間…


桜の足下から放たれた激しい光。


まるで太陽の光のようなその白光は一瞬で辺りを包み、桜以外の者の瞳を強制的に塞いだ。


…今なら、誰も自分を追えない…。


そう思った桜は桃太郎に向かって走り出し、その手を掴んで逃走を試みた。


『…まったく…


…昔から本当に面倒な事にばかり首を突っ込むんじゃから…!


…自分一人じゃ何もできんくせに…


…敵わない相手とばかり勝負しようて…


…私に心配ばかり掛けて…


…周りがどんなに心配しよるのかも知らんで…


…でもね桃ちゃん…


…そんなキミだから…私は…』


…逃げられると確信していた…


…視界を奪われて正確な攻撃などできる者はいないから…


…それが普段の生活なら、まだ何とかなる事もあるだろう…


…しかし、目を瞑っての戦闘などまず不可能…


目が見えていても防げない攻撃…


目が見えていても避ける事が出来ない攻撃は幾らでもある…


一瞬の間に幾度となく攻撃が飛び交う戦場において、目が見えないと言う圧倒的不利は覆せない…。


…だから桜には、自分の術が成功した瞬間に逃げきれる確信があった…


…しかし…


…突然、桜の背後に迫る【静けさ】…。


それはまるで嵐の前のそれ…。


達人級の実力を持つ桜は その気配を知っている…。


『…うそ…私…斬られる…?』


桜からは見えない桜の真後ろに、既に【それ】は迫ったいた。


瞳を閉じたまま桜に襲い掛かる男。


美しい弧を描いて振られた男の刀。


そこから感じ取れる冷たい殺気。


それが桜の命を刈り取ろうとしていた…。


今まさにこの瞬間…


男の凶刃が桜の肌に触れようとしていた…。


桜の脳裏に過る【死】…


桜の心に生まれた【無念】…


これで自分は終わりなのだと確信した桜を救ったのは…


他でもない桃太郎だった。


今度は桃太郎が持つ木刀か男の刀を捉える。


しかし今度は男の刀を弾く事は出来なかった。


その手応えを感じて、眩んだ瞳をゆっくりと開く男…


自分の刀を阻んだ相手を確認しようとした…


…そこには…


片手を桜に引かれながらも、残った片手で男の剣と鍔競り合いをする桃太郎の姿が…。


…なんと言う腕力か…


…両腕で振った刀を片手で持った刀で受け止めるのは、並大抵の力量差ではない…。


しかし驚くべきはそれだけではなかった…。


桃太郎の瞳もまた、桜の術によって閉じられたままだったのだ。


「…瞳を閉じたまま、余の攻撃を防いだと言うのか…?」


「…桃ちゃん…

キミは…いったい…?」


桃太郎の異常な腕力に驚愕しつつも、その木刀を押し返さんと両の腕に力を込める男。


しかし桃太郎は男の腕力をものともせず、逆に力一杯 男の刀を押し返した。


桃太郎

「おりゃあ!!!」


桃太郎の力に抗えず、数歩 後ろへと押し戻された男。


直ぐに刀を構え直してみたものの、自分が力で負けたと言う事実に、男は驚きを隠せなかった…。


男にとっては未経験の出来事が目の前で起こっている。


それは…


男にとっては脅威な出来事でもあり…


そして…


とても刺激的な出来事でもあった…。


「…ふっ…ふふ…!」


自然とこみ上げて来る笑いを押さえきれない男。


その不気味さは、たった今 死を免れたばかりの桜に、もう一度 死を連想させた。


そして…


それは桃太郎の逆鱗にも触れたのだ…。


桃太郎

「何が面白いんだッ!!!」


男に向けて木刀を構え…


ゆっくりと瞳を開く桃太郎…。


その全身からは、桜さえ凌駕する強力な気が溢れ出していた。


「…ははっ…いいぞッ!!

お前は本当に良いッ!!!」


やはり桃太郎の言葉には反応せず、自分の感じた事ばかりを口に出す男。


そんな身勝手な男に対して、桃太郎の怒りは既に限界を迎えていた。


桃太郎

「本当に人の話を聞かないヤツだな…。」


そう言うと桃太郎は目にも止まらぬ速さで男との距離を縮め、男も反応出来ない素早さで木刀を振り抜いた。


男の左鎖骨辺りから右の脇腹へ向けて斜めに斬ろうとした桃太郎。


だが男は桃太郎の攻撃にギリギリ反応を見せて、半歩後方へと身を躱していた。


その切っ先は男の胴体を掠め、その立派な衣服に切り傷を付ける。


男・桜

『…速いッ!!!』


桃太郎の攻撃に背筋を凍らせた男。


しかし男の膝は伸びきり、次の攻撃に転じる事が難しい体制。


身動きの取れないその体制のままの男が次に見たものは、既に自分目掛けて襲い掛かろうとしていた桃太郎の木刀だった。


桃太郎

「オイラの仲間に手を出すなッ!!!」


全力を切っ先に乗せて放たれた桃太郎の一撃。


それは男の顎を捉え、激しい衝撃音と共に男の両足を地面から引き剥がすのだった。


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