鼻下の鼻水 美化で乾びる:美化の鼻水 鼻下で乾びる

アタオカしき(批評会開催中)

びかのはなみず びかでからびる

 
















 部屋。薄暗い明かりの中、2つの瞳がきらめく。赤い色の、淡い瞳。暗い色の、青い瞳。



 電気の白い光を浴びる少年は、ティッシュで鼻水を噛む。離すと、つーっと糸を引いた。幾度いくどもティッシュでこすられた鼻下は、湿って赤く腫れている。少年は、自らの頭の影で暗く見える、濡れたティッシュをじっとみつめた後、その汁をすする。

「うま……けっこうイケる」


 少年はティッシュから口を離し、唇の端に落ちてきた涙をなめた。


 汁をすする音と、鼻をすする音が、冷たい部屋で静かに聞こえる。

 玄関で鍵が、がちゃりと鳴った。

 扉が開き、寒い風を追い出すようにそれが閉じられる。

 そこにいたのは厚化粧の女。

 赤い色の、淡い瞳。暗い色の、青い瞳。

 再び鍵ががちゃりと鳴り、廊下から足音が近づく。

「あんた何してんの!」

 目の下にくまがある女は、少年からティッシュを乱暴に取り上げる。

「やめなさいよばかみっともない」

 崩れるように膝を曲げた女は、少年を抱きしめた。女の肩へと、顎をのせる少年。そのかさついた唇を、水のような鼻水が濡らす。

「濡らして塩かけた。思ったよりイケるんだよこれ」

 女の目頭からぬくもりのある涙が鼻の横を伝い、落ちる頃には刺すような冷たさになる。

「ごめんね……ごめんねあたしがばかなせいで」

 少年はのせていた顎を少し離した。

 

 その時少年の充血した瞳に、お金のきらめきのように写ったもの。

 

 女の耳、きらりと、赤い小さな宝石の耳飾り。ガーネット色。

 

 少年の目はどす黒くなった。その時強く鼻をすすって、そっと上を向く。


 天井に茶色いしみがあった。少年の瞳に鏡のように反射するのは、小さく割れた板チョコレート。

 

 まばたきをこらえる目、その目尻には、大粒の涙がたまっている。



 部屋の冷たさに、少年は鳥肌が立った。






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 大きな部屋。LEDの明るい暖色の光を浴びる少年は、床で座りながら鼻水で濡れたティッシュをすする。

「おいちい」

 その時、少年と並ぶほど大きな犬の、吠える声が響く。その犬は玄関へと走り、首輪の鈴を鳴らした。

 玄関から、鍵と扉の開く音がする。

「しーずーかーに」

 寒い風を追い出すように閉まる音。そして、廊下から、重なる複数の足音が近づく。

「ただいまーはぁーさむかったあったけー」

「あんた何してんの!」

 はじめに鼻が詰まった男の声。その後に甲高い女の声が、少年の耳を刺す。

 目尻を吊り上げている女は、少年からティッシュを乱暴に取り上げた。

「やめなさいよばかみっともない」

 ロングコートを着ているその女は口を尖らせて、近くのごみ箱へ放り投げた。

 大きな犬に飛びかかられた男、鼻をすする。手に持った大きな買い物袋を下ろした。体をのけぞらせながらその背中をわしゃわしゃと撫で、落ち着かせる。男は脱いだロングコートをソファにかけ、仕立ての良い薄青色のビジネスジャケットを脱いでそれに重ねる。ネクタイを緩めた。落ち着いた犬は少年の後ろに移動すると、体で囲むように横たわった。

「きったねー」

 女は、男の二の腕に頭をもたれかけさせ、にっと微笑む。

「誰に似たんだかね〜?」

 鼻すする男は、女の肩をそっと抱き寄せる。

「誰だろうな〜?てかかあさーん!?どこー?」

 トイレの扉、向こうから水の流れる音がした。

 開いた扉、白髪の目立つ女が現れる。

 赤い色の、淡い瞳。暗い色の、青い瞳。

 小さく赤い宝石の耳飾りが、耳できらめいた。色褪せ、赤珊瑚あかさんご色へと変じている。


 鼻すする男は耳飾りへと目線を送り、首を傾げた。

 その男の視線。

 赤い色の、淡い瞳。暗い色の、青い瞳。


 白髪の女は男へと、呼びかけに対する返事をする。


「はいはい」


 鼻すする男はその耳を指した。


「あれ?なんか色変わった?」


 男は赤く乾いた鼻下を触りながら、白髪の女を横目で見る。


「さあね。時間も経てば色くらい変わるんじゃない?知らんけどさ」


「ふーん。てかちゃんと見ててよもぉー目ぇ離すからティッシュ食べてるじゃーん」


 白髪の女はにやりと口端を吊り上げる。


「あっら。誰のばかがうつったのかしらね。あんたに似てきたじゃない」


 鼻すする男は、ぼりぼりと後頭部を掻いた。白い長袖のシャツから時計が顔をのぞかせる。その銀色、お金のようなきらめき。


「もーその話やめてー」


 男は口を両手で押さえてくしゃみをした。鼻をすする。

 足元のティッシュ箱から一枚、少年はそれを取って立ち上がると、男へ、腕を高くして片手で差し出す。


「あげるぱぱ」


 ティッシュの味を思い出すかのように、男は唇の端をなめ、それを受け取った。鼻をかむと、乾いた鼻下がひりひりと痛む。置いた買い物袋から板チョコレートを取り出し、少年へ、札束のように扇いだ。


 濡れたティッシュを拳で包むように隠す。


「おいしくないからやめろよ。ご飯までがまんして」


 男にもたれかかっていた女は、その二の腕を突き放し、板チョコレートを取り上げる。

 ふじ色の、あでやかな瞳。麦色の、派手やかな瞳。


 男は強く鼻をすすった。


「食事前にお菓子あげんなって言ったよね?」


「はいはい俺が悪かったですねー」


 どす黒くなった、男の目。ただちにぎゅっと、強くまぶたが閉じられる。固くなった目の笑み。強く鼻をすする。


 ゆっくり開けられた時、その目は、やわらかい色をしていた。


「我慢しろってさ。ごめんな」


「いらない。ちょこきらい」

 ふぎ色の、白眼はくがんの瞳、麦色の、派手やかな瞳。


 暖房の風が顔に当たった。ひりついた痛み増したように、乾いた鼻下の赤みが増す。鼻を強くすすった。


 苦い笑みを浮かべる男。乾いた鼻下に垂れかけた鼻水をすすり、少年の頭をやさしく撫でる。


 部屋の冷たさに、男は鳥肌が立った。


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