53 綺麗
「ああ、無事だったんだな。本当に良かった……」
顔を合わせた第一声と共に、彼は寝台に座った俺の身体を強く抱きしめてくれた。
なんでも、エンデさんがカヤさんに巻いた例の包帯は、血に触れるとしばらくの間、一部の獣にとって耐え難い異臭を残す包帯であったらしい。
一瞬、それではカヤさんにも悪影響があるのではと考えてしまったが、無理に彼女の素性を明かさないために、黙っておいた。
ともあれ、エンデさんは素早く止血を終わらせた後、血だまりの中に残りの包帯を投げ込んで、撤退したというわけだ。
撤退の際は、俺にも声をかけていたそうだが……
「結果は知っての通りだ。君たちを置いて行ってしまったことは確かだし、俺の判断がもっと早ければ、全員揃って撤退だってできただろうに……すまなかった」
「顔を上げて……ください。今回の失敗は……全部俺のせいです。俺のせいで、みんなの計画が台無しになって……」
たまらず俺がそう伝えると、エンデさんは目を丸くして俺の方を見た。
俺にとっても意外な表情で、つられて俺も驚いてしまう。
「ああ……そっか。君はひょっとして、まだ知らないのか?」
「えっと……何のことですか?」
俺がそういうと、エンデさんは頭を抱えて空を仰いだ。
何かに納得が行ったという風にため息をついて、肩の力を抜いている。
「なるほどな……だから君はそんな表情をしているんだな」
「というと……」
「ああ、そうだな。何から話そうか……いい知らせと悪い知らせ、どっちから聞きたい?」
「……じゃあ、悪い知らせからで」
俺がそう言って身構えると、エンデさんは「そんなに気張らなくていい」と俺の肩に手を置いてくれた。言われた通りに肩の力を抜いて、彼の目をまっすぐ見据えてみれば、彼は掌をパンと合わせて「実はな……」と話を切り出す。
「君たちとはぐれている間に、行方不明者たちが見付かった」
「え……それが、悪い知らせ?」
「ああ。君たちは凄く意気込んでいたから、発見の瞬間に立ち会えなかったのは残念だろう?」
言われてみれば確かに、意気込みが空回りしてしまったような気はするが……
それでも目的が達成できたと思えば、決して悪い気分はしない。もしかするとそれは、俺たち無しでも、エンデさんたちだけで十分だったという意味かもしれないが……
「それで、いい知らせだけど」
エンデさんはそこで一度言葉を切り、俺の方を強く指差して言った。
「彼らが助かったのは君たちのおかげだ。もちろん、他のパーティーメンバーも無事ではあるが、死に瀕していた行方不明者を救ったのは君たちだ」
一瞬、言葉の意味を理解できず、ぽかんと口を開けてしまう。
言うまでもなく、自覚のないことだったからだ。
「彼らはね。先んじてアサードジョーの大群に襲われて、身動きが取れずにいたんだよ」
「そう……なんですね」
「ああ。問題は、彼らがいた場所の方さ。どこだと思う?」
尋ねられて考え込んでみるが、やはり思い当たらない。近くに隠れていたのかもしれないが、だとすれば俺が居なくとも、隙を見て逃げ出せていたはずだ。俺たちがいなければ助からなかったという、その理由がわからない。
「……わかりません」
「オーケー。だったら答えを言おう」
直後、エンデさんが顔を近づけて、俺の目の前で大きく口を開ける。
そのまま彼は開いた自分の口を指差して、言った。
「彼らは腹の中にいた。二人そろってアサードジョーに、丸呑みされていたんだよ」
あっけに取られて、俺までぽかんと口を開けてしまう。
「丸呑み……?」
「ああ、魔獣に詳しいアーフルさんから聞いた話だから多分間違いないと思う」
そう言って、エンデさんはアサードジョーと呼ばれる魔獣の生体について、かいつまんで教えてくれた。身体の三分の一ほどまで伸びた長い顎が特徴のそいつは、基本的にとても食い意地の張った魔物なのだそうだ。
「奴らの食い気はそれはもうすごくてね。仲間同士で餌を取り合って争うから、こうした機会でなければ、群れを組むこともめったにない。それでも昨夜の襲撃の中では、アサードジョー以外の獣も大量に混じっていたそうだから、おそらくはそいつらを追ってきたんだろうね」
常に腹を空かせているヤツらは餌を求めてどこまでも行く。それでいくら腹が満たされても、彼らの食い意地は変わらないのだそうで。
「おそらくは行方不明になっていた二人は……足でも折ってしまっていたのかな。それで身動きが取れなくなったところを、群れの一部に見つかって……」
「それで、丸呑み?」
「ああ。万が一にも他のヤツらに横取りされないように、食べ残しが無いようにね」
聞けば、アサードジョーの胃袋はそれはもう強靭で、時には自分より一回り大きな動物ですら、丸呑みにしてしまうことがあるそうだ。そのぶん、外見は大きく膨らんでしまうから、あのあと、群れをやり過ごしてから現場に戻って来たエンデさんたちは、一目見て中に何か居ると感づいた。
「最初は君たちが食われてしまったのだと、そう思っていたんだけど、腹をさばいてみれば全く見知らぬ顔がいるじゃないか。しかも彼らは全身が圧迫されていたせいで、あちこち骨を折っていた。あとほんの少しでも救出が遅れていたら、絶対に助からなかっただろうって話さ」
「……なるほど」
それでも彼らが助かったのは、エンデさんたちが素早く群れをやり過ごし、現場に戻って来てくれたおかげだとは思うが……そのことを伝えても彼は、今回のことは俺とカヤさんのおかげだと言って聞かなかった。
「きっと、彼らも目を覚ましたら、君らの方に感謝するはずさ」
だから今は気兼ねなく休めばいいと、彼はそう言い残して俺の前を去った。
思わぬ知らせを受けて、しばらく放心状態になってしまう。
俺たちがお互いに非を引き受けようとしている間に、エンデさんたちが今回のことを、成功に転じさせてしまった。
そんな状況にもなって、俺はどう振る舞えばいいのだろう。
結局答えはわからないまま、俺はまた横になって、眠りに着いた。
◆◇◆◇◆
数日の間、療養に努めていると、キャンプの管理者たちから声が掛かった。なんでも、日々の防衛で負傷者が増えてきたから、治療が済んで身動きが取れる者には、街の方へ戻ってもらいたいとのことらしい。
「私が診るのはここまでだが、今回の件が落ち着いても、しばらくは安静にしてくれたまえよ」
「一応言っておくけど、カヤちゃんだけじゃなくヨウハくんもだからね!」
カヤさんと俺は二人並んで、アーフルさんとシャラさんに見送りの言葉をかけられた。
俺の方はうまく受け答えできなかったが、カヤさんはできるだけ気丈に振る舞って、明るく感謝を述べていた。彼女も思うところはあるだろうに、できた人だ。
「あの……ヨウハさん」
「なんだろうか」
時刻は夕暮れ。スタンピードが押し寄せる前にキャンプを発ち、エイビルムへ戻る道の途中で、それまで黙りこんでいたカヤさんが、そう呟いて立ち止まった。合わせて俺も立ち止まり、彼女の顔を覗き込もうとするが、彼女は俯いて目を合わせてくれない。
「先日のことは、すいませんでした」
その言葉で、俺は一つ思い当たる。
おそらく、彼女はまだ知らないのだろう。
「あの、行方不明者さんたちは無事で……」
「大丈夫です。そのことは知っていますが、その上で……いろいろと、らしくないことを言ってしまいました」
「……ああ」
彼女の言葉で、ようやく察しがついた。彼女はおそらく、危険地帯からの帰り道に交わした、あの会話のことを言っているのだ。
「それを言うなら、俺の方こそだ」
「そうですか?」
「ああ……心の内に秘めておけばいいことをべらべらと、喋り過ぎてしまったような気がする」
……ふと、そんな気持ちを言葉にしたら、耐え難い気持ちが湧き出てきた。
「本当に……自己満足で、酷い真似をした」
俺は本当に、なんて自己満足なことをしてしまったのだろうか。
落ち込む彼女に寄り添おうだなんて言って、実際のところは何をした?
尋ねられてもいないのに自分の心を見せびらかして。
彼女のためを装って自分の欲望だけを満たして。
「こんなにも醜い心の内など、明かすべきではなかったのに」
そう呟いた瞬間。
俺の隣で、何かが落ちた音がした。
「なにが……」
見れば、隣を歩いていたはずの彼女が、杖を取り落としている。
その場に杖を投げ捨てて、拳を握りこんでいる。
「なにが醜いものですか……」
カヤさんの声に、押し殺すような感情が込められている。
握りこんだ拳の中に、確かな激情が握られている。
「なにが自己満足ですか……!」
瞬間、彼女は足先をこちらへ向け、握りこんだ拳を開いた。
彼女は開いたその掌で、俺の手を取った。
「私は……あなたの気持ちを知れて……!」
重なり合わさったその両手を、顔の直前まで持ち上げた。
つられて、視界が上を向く。
彼女の顔が、表情が、視界に飛び込んでくる。
「底なしに純粋な心の内を教えてもらって……!!」
彼女の両の瞳は、夕焼けの光を受けてなお、青く力強く輝いていた。
カヤさんは、この赤く染まった空の下で、俺に正面から面と向かって。
組み合わさったその両手を、力強く握りしめていた。
「本当に、本当に嬉しかったんですから……!!」
両の瞳から溢れた雫が、赤く染まった頬を伝って。
華奢な顎先からこぼれて落ちた。
そんな彼女は、カヤさんは。
「そんなにも綺麗なあなたの心を、醜いだなんて言わないでください!!」
そうやって力強く叫びながら、
どうしようもなく綺麗に、泣いていた。
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