52 醜い


 もはや頭の痛みは引いて、思考は冴えわたっていた。

 全身が痛むことは確かだが、動けないほどではなかった。

 それでもエンデさんとはぐれた俺たちに、行方不明者の捜索を続けられる余力は残っていない。

 キャンプへ撤退するほかないだろう。


 急いで彼女の傷を見れば、彼女の肩口には深緑色の包帯が固く巻かれていた。

 そのおかげか、魔法が効果を表す頃には、カヤさんの出血は完全に止まっていた。

 エンデさんが、自分の仕事をやり遂げてくれたのだろう。


 彼女の居た近くには、深緑色の包帯の束も、丸々三つ残されていた。

 だから俺は胴に何重にも包帯を巻いて、愛用の剣を背中に固定した。

 もっとも、外套とマスターのくれたインナーのおかげで、腕以外に怪我はなかったのだが。

 こうでもしなければ、できないことがあった。


「ヨウハさん……無理しないで……」

「……いや、そうはいかない」


 俺は今、背中にカヤさんを担いでいる。

 身につけ直した外套越しに、彼女の両腕を剣の背に載せて。

 ひたすらに来た道を引き返し続けている。

 魔法を使ってもらっても、彼女の酷く疲弊した様子は変わらなかった。

 もしかすると、あまりに傷が深すぎると、ナルリアでは治療に時間がかかるのかもしれない。

 あるいは……いや、後ろ向きなことを考えるのは止そう。


「キャンプに帰れば、しっかりとした治療を受けられるはずだ」


 あのキャンプには、負傷者用の天幕もあった。

 帰ればきっと、二人とも助かる。またあの獣たちに見つかる前に、何としてでもたどり着かないといけない。


「ごめんなさい……ヨウハさん」

「……なんで謝るんだ」


 カヤさんを怪我させたのは俺だ。

 俺があの時、ぼーっとしていなければ、彼女が俺を庇うこともなかった。俺の代わりに、こんな傷を負うこともなかった。

 エンデさんたちと、はぐれてしまうようなこともなかった。


「今回のことは、全部俺のせいじゃないか」


 それは、誤魔化しようのない真実であるはずだ。

 カヤさんが謝ることなど、何も無いはずだ。

 自嘲気にそう言い切って、気づいた。


「違うんです……」


 カヤさんが、酷く苦しそうに息をしている。

 俺の言葉で、傷ついている。


「そもそもが私の……私のせいなんです。私が、私が行方不明の冒険者さんを、助けに行きたいって言わなければ……あなたも、エンデさんたちもこんな目に遭ったりしなくて……」


 俺の背中で、彼女が声を震わせている。

 震える声色に嗚咽や鼻を鳴らす音が混じっていく。

 俺の首筋に冷たいものが落ちてくる。流れていく。


「私……わたしきっと浮かれてたんです……! おかしかったんです……! 自分には力があるって勘違いして、自分自身のわがままのために、人の力を借りられるって勘違いして……!」


 彼女の声に、激情が込められては吐き出されていく。

 彼女が嗚咽を漏らすたびに、俺の心が締め付けられる。

 彼女が自分を否定するのを見たくない。そんな言葉を、聞きたくない。


「なあ、カヤさん」


 だったら、このまま、黙っているわけにはいかないだろう。


「俺はあなたの優しさが好きだ。キャンプで言った通りだ。人を助けるあなたのことを、精一杯支えたいという気持ちに嘘はない」

「……はい」

「でも、そう思ったきっかけは、とても褒められるようなことじゃ、なかったんだと思う」

「……そうなんですか?」


 少し乱暴なやり方かもしれない。自己満足で終わるかもしれない。それでも今伝えなければ、彼女から何かが失われてしまう気がしたから。俺の内から、伝えなければならないことが抜け落ちてしまう気がしたから。


 伝えられなかったって後悔する前に、伝えなきゃって思ったから。


「嫉妬していたんだ。まだ存在もしない未来の仲間たちや、あなたに助けられる人々に。憧れてれていたんだ。あなたにとって大切な人々に、俺よりずっと強力に、あなたのことを、助けられる人々に」


 歩みを止めぬまま、ひたすらに言葉を紡いでいく。俺の本心をさらけ出していく。醜さをさらけ出していく。

 あなたを思う、俺の心は醜い。


「でも」


 それを押し付けてまで、俺は何を求めるのか。

 そうだ……本当の意味で、彼女の傍に居たいと思うのなら。


「俺はきっと、あなたの一番になりたかったんだと思う」


 その答えは単純明快で、きっと目を逸らしてはいけないことだった。


◆◇◆◇◆


 それからはただ無言で歩みを進めつつ、またしばらく歩いていると、森が開けてきた。日はかなり傾いて、空は色づき始めてしまっているが、どうやら間に合ったようだった。


 ここまで来れば、もう安心だ。

 そう思って、近くに人の影が見えた途端に、限界はきた。

 俺はカヤさんを背負ったままうつ伏せに倒れて、気を失ってしまったらしい。


 次に目を覚ましたのは、翌日の朝方のこと。

 事前に思っていた通り、俺の身体は負傷者用の天幕の中で、寝台に寝かされていた。

 その時点で、スタンピードの第一波は退け終えていたのだろう。天幕の中には、まばらに他の冒険者らしき人々も横になっていたが、カヤさんほどの重傷者は居ないように見えた。


 そう。カヤさんだけは例外だった。

 カヤさんの傷は、やはり魔法だけでは治り切らなかったらしい。俺が起きたころには少し落ち着いたようだったが、昨晩は酷い高熱に浮かされて、危険な状態だったそうだ。


 彼女のすぐそばには、数人の見知った顔があった。

 治療を担当するアーフルさん。その補佐をしているシャラさん。

 例の師匠さんはいなかったが、なんとマスターはそこにいた。


「お前か。……よくここまで、彼女を連れ帰ってくれたな」


 マスターは顔を合わせるなり、俺の傍に寄って、そんな労いの言葉をかけてくれた。

 相変わらず眉間のシワは険しかったが、怒ってはいないようだった。

 耐えられなくなって、俺が彼女を危険にさらしたことを告げると、マスターは少し黙り込んだ後、一言だけ言った。


「元から無茶な話だったからな。自業自得だよ」


 皮肉っぽくそういう彼の言葉を、即座に否定したかったのに、帰り際に聞いたカヤさんの言葉を思い出してしまって……俺は、何も言うことができなかった。

 それらしい言葉を探してみたけれど、深手を負ったカヤさんと、この場に居ないエンデさんたちのことを思うと、何も言うことができそうになかった。

 それでも、無理にでも反論しなければという思いが、先走って言葉を詰まらせてしまったら、その隙にアーフルさんから、安静にするように言われてしまった。


「……俺は、何をしてるんだ」


 大人しく戻った寝台の上で横になって、自責の念に駆られながら目を閉じる。

 頭痛の原因になった声や光景については、ぼんやりとしか思い出せていない。

 まぶたの裏には、彼女の血が舞うあの瞬間の光景だけがこびりついている。

 それ以外のことは考えられそうになかった。



 そうやって、天幕の中で無為な数時間を過ごした後。

 エンデさんたちが戻って来たという知らせを聞いた。

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