54 あなたのすべて


 やがて彼女は握った両手を取り落とし、泣き崩れて地に膝をついてしまった。

 俺はほとんど反射的に膝を折って、カヤさんの肩を支えてしまう。

 彼女の肩は強張っていて、それでいてひどく震えていた。


「カヤ……さん……」

「ごめんなさい。ごめんなさいヨウハさん……私、ちょっとおかしいみたいで……」


 震える声で言葉を紡ぐ彼女は、何度も何度も謝りながら、その背を丸めて俯いていた。それを見て俺は、このまま何もせず、言葉も交さないままでいいのだろうか? 彼女が心の内をさらけ出してなお、俺は黙り込んでいていいのだろうか?


 答えは否。このままで良いわけが無い。


 彼女がそこまでして、自分の本心を伝えてくれた姿を見ても、それでも何もできずにいる自分の不甲斐なさを自覚した途端、俺の頭の中に言葉がまとまった。何を言うべきか、考えることもなく理解できた。


「カヤさん」


 俺が今彼女に何を伝えるべきなのか、理解できたのなら。

 ありのままの言葉を、伝えてしまえ。


「俺はあなたのすべてが知りたい」


 そう呟いた途端、彼女が顔を上げて俺を見た。

 涙の浮かんだ双眸が、見開かれた瞳が、俺を真っ直ぐに貫いている。

 それでも、俺が言うべきことは変わらない。


「あなたが今までどんな日々を送ってきたのか。

 あなたが今までどんな挫折を味わってきたのか。

 あなたが今までどんな幸せを感じてきたのか。

 あなたが今、どんな立場に身を置いているのか。

 あなたが今、何を目指して生きているのか。

 あなたが今、どんな気持ちでいるのか。

 その全てが知れたら、どんなに幸せだろうと思う」


 自分で言っていて恥ずかしくなるような台詞だ。

 それでも今更、恥はない。

 自分を良く見せたいがための恥など。

 他人を欺くだけの謙遜など、ハナから捨て去ってしまえ。


「それでも、全てを知るのは不可能だと、理解している。

 理解しているから、少しずつ知りたいんだ」


 これが俺の本心だ。

 醜いのか美しいのかもわからない、ありのままの心だ。

 彼女が求めてくれているのなら、ありのままを伝えてしまえ!!


「今日あなたが明かしたいだけのあなたを知って、

 その次はまた明日新しいあなたを知りたい。

 あなたが明かしたくなったなら、もう一度昨日のあなたを知りたい。

 俺とあなたが出会う前のあなたも、それよりずっと昔のあなたも

 そう思う気持ちが……そんな心の内が、許されるものなのか。

 俺には分からない。分からないから……」


 気付けば俺の視界は滲んで、彼女は涙の向こう側へ隠れていた。

 あなたが今、どんな表情をしているかわからない。

 どんな気持ちでいるのか分からない。

 それでも今更恐れはない。後悔はない。


 俺の心が醜く映るのか、美しく映るのか。

 心の美醜を決めるのは、俺じゃない。

 だから……


「だから、あなたが決めてくれ」


 腕で力強く涙を拭って、そのままその手を差し出した。



「あなたは、これからも俺といてくれますか」



 返事を聞く前に、大きく俺の身体が揺れた。

 ――カヤさんが、俺に抱きついていた。

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